MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

國弘正雄先生講演会のお知らせなど

2006年09月27日 | 通訳研究

立教の連続公開講演会、次回は10月7日(土)(まもなく)、あの國弘正雄先生(エジンバラ大学特任客員教授、元参議院議員)です。もちろん日本通訳学会の共催。時間は午後6時半から8時。タイトルは「異文化に橋を架ける-通訳・翻訳そして外交-」。詳しくはこちらをごらん下さい。事前の申込は不要です。國弘先生ご自身も楽しみにしておられるようですし、こういう形で講演を聞くことができる機会はもうあまりないかもしれませんので、ぜひご参加下さい。また関心のありそうな人への口コミをお願いします。講演の後、楽しい懇親会もあります。

スロバキアにThe Slovak Association for the Study of Englishという学会(?)があり、SKASE Journal of Translation and Interpretingという雑誌を発行している。まだ1冊だけだが、その全文をこちらで読むことができる(左のJournals Volumesをクリック)。Mona BakerのNarratives in and of TranslationやRobin SettonのSo What is Interesting about Simultaneous Interpreting?など8本を収録。他にも理論言語学や応用言語学のジャーナルが読める。ISSNがついているが、紙媒体なしのWebジャーナルなのだろうか。


年次大会・講演会終了

2006年09月25日 | 通訳研究

日本通訳学会の年次大会と翌日の立教での講演会(ワークショップ)が終了して、ようやくひと息ついた。講演会の方は立教のRW運営機構との共催だったのだが、通訳学会側は僕一人だったのでちょっとシャレにならない忙しさであった。幸い東京外語の南部さんと立教の吉田さんが手伝ってくれて何とか共催の責を果たせた格好です。大会の方は場所がちょっと不便だったにもかかわらず、外語の学生・院生の皆さんの活躍で大成功だったと思います。皆さんお疲れ様でした。それからご協力ありがとうございました。来年はその一ヶ月後に大阪大学との統合をひかえた大阪外国語大学で2日間にわたって行われる予定です。今度は津田先生にお世話になります。なお実際の会場はまだ流動的です。

その津田先生から昨日、雑誌記事のコピーを頂いたので紹介しておこう。日本キリスト教団出版局が出している『信徒の友』2006年8月号に、津田守先生が書いた「多言語・多文化間の境界に立ち続けて」という1ページの記事なのだが、実に5世代にわたる異文化間媒介者としての津田家の歴史を簡潔にまとめている。それによると曾祖父の仙氏は1867年江戸幕府とアメリカ政府の外交交渉のために、外国奉行通弁役としてワシントンまで出張している。今で言えば外務大臣付きの通訳官というところだろうか。仙氏の娘が有名な津田梅子(津田塾大学の創始者)である。ところでこの記事には仙氏と津田先生の写真が並んでいる。2人とも顎髭だけが豊かであるところがうり二つである。

さて、大会が終わるとそろそろ秋の風が感じられるようになる。僕の教員生活もいよいよあと半年を残すだけとなった。(ひとまず、であるが。)すでに立教の授業は始まっており、大東も今週の土曜日から。来月前半は秋の大学院入試業務がある。翻訳研究分科会のOccasional Paperの編集作業もしなければならないし、終わっていない査読もある。追い込みに入る修士論文指導にも本格的に取り組まなければならない。しかしこのブログは何とか更新していくつもりです。

そうそう、大会では船山さんと一緒に発表したのですが、これが翻訳の論文の片手間にやったにしては意外に面白いことになってきたので、発表の場では時間がなくて触れられなかった点を含めて、論文でもないですがホームページの方にアップしようと思います。あと数日お待ちを。


幻の映画

2006年09月10日 | 雑想
Changesという映画があった。ここで見ると1969年の映画だから、おそらくその年に見たのだと思う。洋の東西を問わず学生叛乱が盛り上がっていた時期である。日本では『青春の光と影』という少し恥ずかしいタイトルで公開された。当時の心情にぴったり合って、いい映画だと思ったのだが、こんな話だったのか。(ヒモだな。)この映画、一度ビデオになったらしいが、その後入手不可能になりいまだにDVD化されていない。その可能性は限りなくゼロに近い。なぜか日本公開時のポスターがあった。
主題歌(?)はジュディ・コリンズのBoth Sides Now(邦題は映画と同じ)で、映画よりもこの歌を知っている人の方が多いだろう。この歌もまあ良かったのだが、映画の中で使われた別の歌の印象が強いかった。調べてみるとTim Buckleyの'Goodbye and Hello'というアルバムが使われていたらしい。まだ手に入るので聞いてみた。それらしいのが1,2曲あるが思い出せないし、当時の感興もよみがえらない。37年も経っているのだから仕方がないか。ただ一箇所だけ記憶している(と思っている)のは、映画の末尾で、主人公が小さな書店に入り、「ソローの本はありませんか?」というところなのだが、それでいいのかどうか。

矢野龍渓『経国美談』の文体論

2006年09月07日 | 翻訳研究
矢野龍渓『経国美談』(下)(岩波文庫)後編の「自序」に「文体論」がある。

「今や我邦の文体に四種あり。曰く漢文体なり。曰く和文体なり。曰く欧文直訳体なり。曰く俗語俚言体なり。」

「四体の精華を摘撰して、各々之を妥当なる地に填用せば、天下の事物、復た将に写出し難き者あらざらんとす。」

「意に随て漢文、和文、俗語の三体を雑用する者は、已に非常の便宜あるに、今叉欧文直訳なる一種の新体を生ずるに至る。是に於てか文を屬するの便、益々加て文体叉益々変ず。若し一体を墨守する者より、之を見ば其の奇怪幻妖なる実に愕貽(正しくは貝偏ではなく目偏)すべき者多からん。」

「叉欧文直訳体は、其の語気時として梗渋なるが為に、或は文勢を損するなきにあらず。しかれども、極精極微の状況を写し、至大至細の形容を示すに於ては、他の三体に有せざる、一種の妙味を含蓄せり。(中略)欧米の進歩せる繁密の世事を叙記して、毫も遺脱なからしむる、欧米の語法文体を移し来て、之を我が時文に用るは、非常の便宜を感ずること少なからず。余は深く信ず、後来欧文直訳の文体が我が時文に侵入し来ること、益々盛なるべきを。」

これでも旧字体を使っていない分だけましなのだが、書き写すのが大変。「┐(こと)」のような「合字」もあるし。(「ども」の合字は表記のしようがなかった。なんとかならないものだろうか。)なお地の文は原文ではカタカナ。明治17年なので、『繋思談』(訳者が序文で直訳の態度を鮮明にした)より1年早い時期に、直訳体が日本語に及ぼす影響を見通しているわけで、なかなかの慧眼というべきだろう。

この折衷案に対して末松謙澄は、「それはいいが、もっと流暢円滑で一般にも分かりやすい文にすべきだ」と批判し、たとえば(1)其の審理を識別せざるもの (2)其の道理を知らざる者 (3)其のことわりをわきまへしらぬやから、のうち、円滑流暢で尤も世間に通用しやすいのは(2)だと言ったのであった。(『日本文章論』明治19年)。


高橋五郎の翻訳論(明治41年)

2006年09月06日 | 翻訳研究
森田思軒は「翻訳の心得」(明治20)の中で、「原文に心に印す」とあらば直ちに「心に印す」と翻訳し度し。其事恰も「肝に銘ず」と相符すればとて「肝に銘ず」とは翻訳す可らず」と書いた。「翻訳の心得」は数ページの短い文章だが、一応翻訳論と言っていいだろう。二葉亭四迷の有名な「余が翻訳の標準」も短い文章だ。
最近、高橋五郎という人が明治41年に『英文訳解法』という本の中で、かなり長い翻訳論を書いているのを見つけた。その「第3章 英文訳解の忠実兼正確なり得べき事」は40ページほどあり、後続の章を合わせて考えれば、昭和初期の野上豊一郎の『翻訳論』に先立つ、比較的充実した翻訳論であると言っていいと思う。高橋五郎は明治・大正期の評論家、英語学者で、聖書や「ブルタルク英雄伝」「カーライル仏国革命史」などの翻訳がある。彼の翻訳論の要は直訳擁護だ。

「按ずるに翻訳の最大要件は先づ原文の精神を深く究め且其一般の口調及び特殊の観念を写し出し且つ此方の文法を傷つけざる限りは及ぶだけ原本の文体を紙上に再現するに在るが如し、若し果たして然りとせば翻訳は此等三種(逐字訳、直訳、意訳のこと)中の第二、即ち直訳literal translationを以て最上乗なる者と為さざる可らず、」

しかし面白いことに、高橋は森田思軒とは違い、idiomaticな表現はそれに対応する表現に転換することを薦めている。たとえば、The child is father to the man.は、「之を善き意味にすれば「栴檀は二葉より馨はし」と為すべく、叉之を悪き意味にしては「三歳児(みつご)の魂百までも」と為すべし」と言う。
翻訳はかくあるべしという規範は、翻訳者や文学者の翻訳についての発言だけでなく、『英文訳解法』のような語学学習書を通じても形作られていったのではないだろうか。