空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

雑感:あべそうり。

2017-05-17 20:58:02 | Weblog


 こういうわけなので、「アベはバカだ」と言い募る人には、「それはそうだろうが、どうも今回は彼は、賢い人にお御輿にされるだけの賢さを展開しているっぽいですね」と云うことにしていたり。「なぜ国民はアベのバカに騙されているのだろう」と言う人がいるが、そりゃ、あのお御輿を活いている誰かの手に乗ってるからじゃないですか? だから安倍バカ安倍バカっていってるだけじゃ、真に相手すべき者たちに届きもしませんよ? という指摘をしつづけているのだが、どうもお分かりいただけない。



 マジこれ。

 なお以下の朝日新聞案件に見るように、大メディアさんはこの点、段々弱体化している感を持つ。
 まあいままでだって、いろいろ垣間見えてはいたわけだ。だが、大メディアはいろいろ押し切ってきたわけだ。権威だのなんだの、いろんな資源をもっていて、それに自信があったんだろう。

 だが、最近は微妙に押し切れなくなってきた。
 その現れのひとつとして、”たかがいち著者ごとき”のコメントを自由に素材として利用することが出来なくなってきた。「自分たちの解釈のほうが正しい」という強弁がききづらくなってきた。

歌舞伎四〇〇年の言葉 朝日新聞の記事について 2017-05-15 10:08:41

歌舞伎四〇〇年の言葉 朝日新聞 文化部デスクより電話がありました 2017-05-15 18:06:25

 所謂「公平性」を賛否両論で確保したりしようとすること、原発事故の件でも延々経験されただろうところである。まあその、そういった意味で新聞記事は単なるbot的生産品だというような感想を持つ昨今である。

 太古の昔の新聞記者は、問題を発見し世論をつくり出す、時代の旗手であったのだろう、そういう時代もあったのだろう(まあごく一部であれ)。それを夢見て、しかし日々の締め切りに追われて工場的な生産物…素材を適宜、フォーマットに落とし込んでいく作業の産物…をつくりつづけ、ふとそこに、”これまでの記者人生で培ってきた人生観、正義感”を、英雄的な思想的努力を抜きに、しかし英雄的な思想的努力の産物として脊椎反射的に盛り込んでしまう。

 そうした悲劇が数多く見られるようだ―という思いがつのり、その数字的表れとしては講読数減少などが観察されると、そういうことなのだろう。

 そういったわけで、そんな感想文の山を見飽きた市民は時折、真剣な骨太のものを欲しがってしまう:




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 あとこれは買った:




 メモ。
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