ミシガン大の金融工学教員「日本の大学って学費タダだっけ?」私「国立大だと年5千ドル位だね。」同教員「ああ、事実上タダだね。」
— Willy OES (@willyoes) 2016年6月11日
それで「平等」をできるだけ推し進めようとしたのだろうが、現実には―
そういえば,伝統的な遺産相続方式が男系か女系かで,男児・女児に対する教育投資に差が出たりするのだろうか。
— umedam (@umedam) 2016年7月16日
…女の子に対する教育投資は、特にやや成績の低い・親の収入レベルが低いあたりできっつくなる。根拠となるデータは省略。必要ならCiniiですぐでるだろう。
でまあ、
大阪電気通信大学 公募推薦入学試験【A・B日程】
「女子に対する優遇制度
女子に対し、全学部において、一定の点数を加算して判定します。」
こういうのも、ある種の是正措置として許容されるであろう。国立じゃないし、裁量の範囲内だろう。
幹細胞と再生医療・遺伝子治療の産業界中心のMesa会議参加の為にサンディエゴに到着。大学等の研究成果が実用化産業化に成功する事で、新たな財源が産まれ、基礎研究投資の必要性を社会が理解する。残念なのは、基礎研究投資を要求する大学研究者の大部分は実用化研究を軽視し評価せず関わらない。 https://t.co/AKK4P9pcOu
— Norio Nakatsuji (@norionakatsuji) 2016年10月4日
だって実用よりの研究をしていることになっている人のかなりの部分が研究してないもん、うちだと。「役にたつ分野をやっている、それで教育している」というあたりで自己正当化が終わって、「役に立たない分野の人間」を軽視し、侮蔑するんだもん。そりゃこっちとしては、「そーゆー非生産的な人から、基礎研究費を剥奪したほうがいいんじゃないですか? だって役立たずにはカネ、必要ないんでしょ?」みたいな感想を持ちますよ。
―もちろん、研究を進めているひとにとっては、僕は有用な人なわけで。双方win-winでいけますが。
いやもう、「紀要論文なんて(憫笑)」なんて言ってないで、紀要論文くらい書いたらどうなんですかね、と思うんだけど。
ああ、あと、自分の学科の若い人を教育したり、引き上げたりするのも大事よ。共著って文化があるでしょう? 共著でも、1報は1報だから。なだめすかしたりして、作業させて、共著者にいれてあげて、新しい展開への道筋をつけてあげなさいよ。若造たちは、自分が何をすればいいのか、何ができるのか、わからないんだから(いやまあ、30半ば過ぎても若造か、という問題はあるが)。
…それまでも、私がしてあげないといけないわけ? とか思ったりもするんですよねえ。
生産性がないもの、例えば文学研究とか生産性がないよね、と言って文学研究から資金をかっぱぐのは、まあ、財政危機の状況だったらまあ、「みんな」のために許容せざるをえないかもしれない。でも、だったら、同様に生産性のない(自称)研究者からも資金をかっぱぐべきだよね?というのは、科学技術に対する反逆行為なんだろうか。
…あの、論文業績の生産性は『役立たず文系』の僕の10分の一とか、検出限界以下とかだったりしませんか?とか、外部予算受領の額や件数は(以下略)とかいうのは、理工学に対する侮辱行為なんだろうか?
基礎研究にはバラマキが必要というのは目標も見えていない・これから何をするかわからない若者に手厚い基礎配分を保障すべきだという意味で、十年査読論文書いてないとか四十過ぎて単著もない年寄りに小遣い配れって意味じゃないから(にこやかに)。(なお基準は分野ごとに適宜修正してください)
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2016年10月4日
自分の研究費くらい、自分で稼いできてよねーと年長者に思う私。
そういえば私、時折人当たりが悪くなるけど、基本、”目上”の人に対してだな。目上と言うか、年上の人たちに対して。年長者の無能が辛いのだが、まあ別の考え方もあろうなあ。年齢の上下のみで目上目下が決定するわけでもなし。
知識も経験もあるはずのおじさんが仕事で使えないのは、その人自身が自分に期待しておらず、自分を諦めてるからだろうな。悲しいけれど、そんな人より、知識は無くてもモチベーションがある若い人を育てる方が意味がある。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2016年7月6日
(わかる)
いわゆるおじさんが致命的に使えないのは、せっかくの高い能力を仕事の質の向上ではなく、自分がいかに楽するかに集中するから。そういった後ろ向きのおじさんを働かせるには、周囲の人に大きな負荷が掛かる。少々知識が劣っても、前向きな若い人の方がずっと良い。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2016年7月7日
(わかる)
なお後ろ向きな若者も居る模様。
これがなかなか難しいんですよねえ…。
だからこそ、任期つきポストを増大させて、ちょっとやらせてみる…ということを試みているんでしょうけど…
…問題は、10~20年前に採用された人々のなかにもある・そっちが顕著だったりもする、のであって。
といってもクビにするわけにはいかず・できず、しかも年長者の場合は人件費がかさむ。
しかし「まあ、後数年だ…」と我慢することは、まあそのお年よりの人柄・能力等によっては可能です。
そこで、若くして採用された新進気鋭の人材だったが、割と早期に不活発になった若手~中堅に目が向くのです…。
とはいえそれをどう見いだすか。
今のところ「やらせてみる」「だめならすぐ変える」ぐらいしかないのでしょうなあ。
さすがに若造に「長」のつく仕事を任せられず、妥協点で選ばれた感がある人選だったと思うのだけど、大当たりを引いたみたい。
この場合は、わりとみんな幸せっぽいのです。
…あと、その当人が若いか年寄りかはべつとして、その「経験や知識」がどのような制限つきのものか、という問題が。
例えば東○大や○都大や…の大学院で非常に優秀な博士論文を書いた気鋭の博士様であっても、指導教員の能力や研究室所在の機材に依存しきった人であるばあい…
…任地のしょぼい機材と予算をうまく工夫して業績出すことができなくて詰む、みたいな。