空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

意識高い系さん

2017-11-22 12:05:09 | Weblog
LivedoorNews 古舘伊知郎 「意識高い系」を茶化す風潮に声荒らげる 2017年11月19日 12時43分

古舘も「人が頑張っているものを(現在は)茶化す傾向にあると思うんですよ」「攻撃もするけど、手前で茶化すっていうかね」

 昔からガリ勉君、とかいってたから、これは「現在は」に限った話ではない。

他人の努力を「意識高い系」と茶化すことについて、古舘は「素直に『立派だね』と言いたくない」心理が働いていると指摘

 より正確には、「自分は意識が高いんだ、それを積極的に主張するぞ!」といったタイプを「意識高い系」というのであろう。

 例えばガチ学者を意識高い系とは言わないだろう。とりあえず席から見える名前をあげれば呉座勇一をつかまえて「なに? 『応仁の乱』について語っちゃったわけ? へー意識たっかーい」とか言わないだろう。彼は単に意識が高いのであり、「高い系」ではない。

 ということで、真に意識が高いわけではないが、それなのに意識が高いのだと自己評価して、そういう自分を積極的にプレゼンして他者の認知を得る~賞賛を浴びようというようなのを「意識高い系」というのである。

 例えば「君ぃ、アベノミクスというのはアホノミクスと上手いことを言う人もいてだねえ」とか得々と喋るひとは「意識高い系」。

古舘が、ジョギングを例にとって現在の風潮を説明する。ジョギング中に知り合いに出会った場合、昔はねぎらいの言葉をもらったが、今は「毎日自分磨きやって頑張ってんだ。ずいぶん意識高い系?」と言われるだろうという

 こういう人は嫌味くさいひと、というあたりだろう。むしろ、ンなことを言ってくるほうが「意識高い系」。
 だって、ジョギングなんぞするのは、通常の健康維持行動であって、特段珍しいことでもない。健康維持の王道の一つというべきだ。
 なので、王道に従っているだけの保守的な人ともいえるわけだ。例えば新書で、待鳥聡史『代議制民主主義』とか遠藤乾『欧州複合危機』とか読むのは、まあ非専門領域についてまあ穏当な手ではないか。

 が、「そんなんじゃなくて、もっと普通の」本を読めというのだな、意識高い系は。ハウツーモノをたくさん、具体的には例えば浜矩子。そうでないと人の心・一般民衆の動きを理解できないのだというのだが、あのう、欧州危機について話すなら、欧州危機に関する専門家の概説を見るべきであり、経済については経済の専門家の話を聞くべきであり、従って浜矩子を経済の話のタネにつかうのはそもそもナシですよねえ。

 紫のひとについてのメモ:
ミス・パープル(2017-11-03)」
見ていた記事メモ(2017-11-15)(2017-11-15)」

 専門家というのは、について:
今後の方針を考えるに当たって(2017-11-18)」

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