大徳寺山内散策の最後に龍源院に入りました。
永正年間(1504ー1521年)に東渓宗牧を開山とし、畠山義元、大友義長、大内義興らが創建したと言われています。
創建年次は文亀2年(1502年)、永正元年(1504年)など諸説あります。
大徳寺南派の寺院で重要文化財の方丈、唐門、表門は創建当時のままの姿を残し、大徳寺山内でも最古の建物です。
方丈(重要文化財)
室町時代の禅宗様式建築として、その遺構を完全にとどめる唯一のものです。
奥に唐門があります。
方丈に入ります。
滹沱底(こだてい)
宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる滹沱河から名付けられた白砂の庭で、
阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれる。
東滴壺(とうてきこ)
方丈と庫裏との間の狭小な空間につくられた壺石庭。
1960年鍋島岳生によって作庭された現代壺庭の傑作、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。
一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒」という室号から名付けられたもので、
丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。
パノラマ撮影
礼の間
和尚と修行僧が一衆和合、公式の茶礼等を行う場所です。
昔は大名、公家のお供が控えた場所でもあります。
開祖堂
開祖・東渓禅師の塔所となっている一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、
南北朝・鎌倉・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れた昭和の代表作である。
龍吟庭(りょうぎんてい)
方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し、
青々とした杉苔は洋々たる大海を表す。
室中
方丈の中心の間で和尚が禅の教えを説き、時には儀式法要を行う場所です。
襖絵の「龍と波」は江戸時代初期の南画ですが、作者不詳です。
檀那の間
経済面で寺や和尚らを外護し、世話をする檀越し、檀家と和尚がお茶を飲みながら会う間
上間 別称 衣鉢間
出家僧の三衣(袈裟)、鉄鉢(食器)を納める間
下間 別称 書院の間
今の応接室、方丈の下の間を言います。
公式の賓客と応対相見する場所、畳は昔高貴な方が使われたもので、一般の人々は使用できませんでした。
掛軸
種子島銃
天正11年(1583年)在銘、日本最古の種子島銃
龍源院には種子島銃以外にも、撮影はしなかったのですが、豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝わる四方蒔絵碁盤・碁笥もありました。
大徳寺ですから、塔頭寺院もおそらく時の権力者たちとの付き合いがあったものだと思います。
ありがとうございます。