AKB48 チームBのファンより

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『清純フィロソフィー』が恋愛禁止騒動に終止符を打つ。(ときめき研究家)

2013-11-02 23:56:17 | ときめき研究家
NMB48『カモネギックス』のカップリングが粒ぞろいだと書いた()が、AKB48『ハート・エレキ』とカップリング曲7曲は更に名曲ぞろい、宝の山だ。このところ毎日の通勤時が充実している。

1曲ずつじっくり感想を書いて行きたいが、まずは何よりチーム4の『清純フィロソフィー』だ。
曲調、歌詞とも1回で気に入った。完全な「ひと目ぼれ」だ。

「2文字熟語+英単語」という得意パターンのタイトル。
「卒業するまでは清純を守りたい 何が大切なのか自分で考えて決めたい」といった内容。十代の少女が自分で「清純」などと言うのは気恥ずかしい。更には「生まれたあの日のまま天使のように」「キラキラ輝いてる裸の私」といったフレーズもかなりのものだが、堂々と歌い上げている。これこそが創作ならではのリアリティで、歌詞だからこそ、臆面もなく歌うことができて、それが人を感動させるのだ。

もちろんこの歌詞の背後には、AKBグループの「恋愛禁止」を巡る様々な事件があることは明白だ。
恋愛禁止が公式な規則かどうか、その規則は人権侵害か、若い女性にとって不自然なことか、お泊まりは駄目で合コンはセーフか、相手が一般人か芸能人か、違反者の処分に一貫性があるかどうか、そんなことはこの曲の中では問題ではない。この曲は、自分自身のフィロソフィー(哲学・人生観)として「清純でありたい」という気高い意志の表明だ。その意志を全面的に支持する。

歌詞の中に「誰かが汚(けが)れたとしても 私責めたりしない 何も」という部分がある。「恋愛禁止」を破った峯岸にとっては複雑な歌詞だ。汚れた人を責めても何も得るものはない。自分自身が自分の意志で清純であればいいという超越した姿勢を歌っている。
AKBグループ内の固有の事象を歌っていて普遍性のない「楽屋落ち」の曲を、私は好きでない。このブログで何回もそう書いてきた。しかしこの曲には、十代の少女の決意として普遍性があると思うし、「楽屋落ち」に関する私のこだわりを吹き飛ばすような、有無を言わせぬ説得力がある。

クラーク博士が札幌農学校の校則を「紳士たれ」という1つだけにしたように、アイドルの規則は「清純であれ」1つでいい。清純とは何なのかは、自分自身が判断して行動せよ、この曲はそう言いたいのだろう。
現実のチーム4のメンバー(峯岸以外)が本当に「清純」かどうか、それはわからないし、どうでもいい。2番の歌詞では「清純と呼ばれたい」と歌っているように、清純と見えればいいのだ。折角輝いているアイドルとしての魅力を減じてしまわないように、少なくとも「清純と呼ばれたい」その意識だけは持ち続けてほしいと思う。

サビのメロディーが抜群にいい。思わず涙ぐみそうになる。「清純を守りたい」の歌詞がメロディーに完璧にマッチしていて、まさにその歌詞のために作られたメロディーだと感じる。
「白いスニーカーが汚れても洗えばいい」というフレーズは『白いシャツ』も連想させるが、松本伊代『バージニア・ラプソディー』でも「白いスニーカーいつか汚れる気にしないでね」と歌われていた。

ミュージックビデオも見たが、なかなかいい出来だ。
チーム4メンバーの自己紹介を兼ねているような内容で、顔と名前を覚えるためにも使える。

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