人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

以って無為に至る。

2015年05月29日 | 2015年 夢を発信!

<2012/3/19 facebook 投稿記事リライト後のアーカイブス>

> 学を為むる者は日に益し、
> 道を聞く者は日に損す。
> これを損してまた損し、
> 以って無為に至る。

訳】 学問を修める者は日ごとに知識をふやしていくが、「道」を修める者は日ごとに減らしていく。減らしに減らしていったその果てに、無為の境地に到達する。そこまで到達すれば、どんなことでもできないことはない。

> どんなジャンルであれ、神業のような職人の仕事は、
> 洗練されていて無駄な動きが一切ない。
> 逆に、ごく自然に動いているようにしか見えないため、
> 傍からはその凄さがわからなかったりもする。

雑誌 PRESIDENT <歴史に学ぶ仕事道> 作家・守屋淳 氏<『老子』勝機は「職人の道」にあり>より

老子の言葉です。やっぱり凄いですね。

スポーツであれ、芸能であれ、ビジネスであれ、世の中に、あぁこの人はプロだなぁ!職人だなぁ!とおもわず私たちをうならせてしまうような凄技を発揮する人が確かにいます。ただし、私は凡人なので、ここで言う「無為」であることには一種の恐怖を感じてしまいます。だからそんな自分を悟られないように、知識によって武装しようと汲々とし、がんじがらめになって、逆にそれに縛られてしまいます。

それだから、減らしに減らして研ぎ澄まされた感性の先にある境地など、とてもとても真似のできない代物でした。しかしその私が、ここ数年は、身辺の整理をし始めました。例えば生活の中では、住居の掃除であったり、書棚の整理であったり、ビジネスバッグの整理であったり、ビジネスデスクの整理であったり・・・そしてなんとなんと、挙句の果てはサラリーマンを辞めることだったりしました。

何でもかんでも捨て始めて、モノから解き放たれて、その束縛から逃れようとしました。老子の言葉とは、はるかに次元の異なることですが、そうして身の廻りを軽くすることによって新たに見えてくるというか、浮かび上がってくるものが確かにあります。

アイデンティティもそのひとつです。

これまでは、どちらかといえばロジカルであろうとし、知識を無理ムリ詰め込んで、したり顔で、さも自分の言葉のように吐き出していました。しかし、それは他人の知識の受け売りでしかないから、こころある人にはすぐに見破られてしまいます。なので、もともと私に備わっていた感性のままに自然に自己表現しようと努めて見るのです。そうすると、とても人間が素直になれるし、それはそもそも”素の私自身”だから当たり前のことなのでした。

そうして、いったんは裸の自分に戻るのです。

老子の言葉を、そんな私の生き方に置き換えてみると、家族に奉仕し、友人に奉仕し、社会に奉仕する、というようなことにつながってくると思います。理想的には、誰かに与えられるのを待つのではなく、与えに与え続けるのです。そうすることで、私は私の愛する人たちと私の人生に使い尽くされて、やがて。


やがて、私は「無為」になります。

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