人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

55本のバラが繋ぐもの。

2014年11月29日 | 水戸発・異業種交流会

パーティも終盤に近づいて来て、恒例の正会員スピーチの時間となりました。

最初の数名が終わったところでいきなり代表であり主宰者の私がステージに促されました。台本に無い展開に戸惑っていると、用意された椅子に無理やり掛けさせられて、スポットが私に当てられました。残りの会員のひとりひとりが私に向かってバラを1本づつ手にして、マイクを片手に語りかけ始めたのです。

「金原代表のおかげで・・・」、「一会倶楽部があったから・・・」、「こんな素晴らしい方々と出会えて・・・」、などと言いながら、一本、また一本と私にバラを手渡して行くのです。最初は照れくささが先だっていた私でしたが、中盤以降は、皆さんのあまりの真剣さと、徐々に増えて行く右手のバラの花束のズシリとしたその重さに、こころ打たれて行きました。

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』は、この11月で発会20周年を迎えました。

その記念のパーティがつい一週間ほど前に、85人の参加者を集めて、水戸市内のホテルで開催されました。先に書いたのはそのセレモニーの模様です。この交流会、記念すべき第一回目の例会は1994年11月、代表である私の自宅で、6人の参加者で開催されました。以来239回の例会を数えるこの日まで、月例会は一度も途絶えることなく続きました。現在の正会員数は68人です。

この会の初期のころは、正会員とその交友関係のビジターというごく限られたコミュニティだけの会合だったので、異業種交流会とはいえ、新しい出会いには限界がありました。そこで、一般からも自由に参加が出来るようにと、初めて会の門戸を外部に広く開いたのは、発会から十数年を経た2009年1月のことでした。その後は年に2回、新年と夏、「オープン例会」というタイトルのもと、広く参加者を募る案内をするのが常となりました。

それから会は、今までに無い顔ぶれに溢れ、一気に活性化し出しました。また数年を経て、今度は新手のSNSとして登場したフェイスブックの存在で、例会の集客数は異常と言えるぐらいにまで上昇し、参加会員からは「毎月オープン例会のようだね!」とのつぶやきも聞かれました。最近はこれも“鎮静化”し、本来の倶楽部の姿を取り戻しつつあります。

交流会はその名の通り、「一期一会」を基本理念に掲げて来た会ですから、月例会においても、会える時もあれば会えない時もある、という淡白な運営を主宰者である私は心がけて来たつもりです。

一年に1度だけ参加しようが、毎月参加しようが、そのことを持って会員を差別するものではもちろんなくて、どの参加者にも同じように公平に接すべきであることは、私が改めてここで申し上げることでもありません。しかし、しかしです。だからと言って参加回数の多い方と少ない方とでは、実際、その方に対する私の「気持ちの入れ込み様」が変わるのも、これも止めようのない事実ではあります。

というのも、月例会は私が毎月会員にプレゼンテーションする『無形の商品』であって、それを受け入れていただいた方だけが、当月参加してくれるのだ、という気持ちの縛りを自ら設け、私は私自身の「情報感度」と「目標達成意識」をずっと煽り続けて来たからです。参加していただける方は、その月の私という商品の「共感者」であり、それは多ければ多いほど嬉しいし、逆に少ない時は、モチベーションはぐっと下がりました。

これは、主宰者としての偽らざる心境です。

が、究極は、そんな風に他者依存するのでは無くて、他の用件を押してでも参加したいと、会員・ビジターの皆さんが思ってくださるような月例会やイベントを開催することが、何にも増して大切な第一義であることは、これも疑いようの無い事実です。皆さんがこぞって参加したくなる、また参加する意義のあるパーティとするべく、私自身の「商品」としてのその「ブランド力」向上の努力を欠かさないことこそが重要なのです。

ステージ上では、50人の参加「正会員」から、最後に55本のバラが手渡されました。私が「5」と言う数字がラッキーナンバーであることまで仕入れて来てくれていたのです。

このブログも記念例会の終了後一週間を経てやっと発信することが出来ました。こうして皆さんに評価していただける「交流の場」をクリエイトして行けることに、無上のやりがいを感じている私です。参加者おひとりおひとりの満足という真剣勝負に立ち向かった例会が終わると、翌日は寝床から起き上がれない程の疲労感に襲われます。しかし、それもほどなく、やがては豊かな達成感に包まれるのです。

以前に、神戸大学大学院経営学研究科・金井壽宏教授(現職かどうか不明です)がこんなことを書いていました。

>中年期は、過去に抱いた夢の検証をしつつ、
>同時に夢を「私一人の夢」から「われわれの夢」に
>転換するべき時期である。
>この時期に世代継承性を意識して
>人生に向き合うことができるか、
>つまり次世代のために何かを生み出し、
>残すことを自分の夢の一つとして
>組み込むことができるかどうか、
>成長と停滞の分かれ道はここにある。


ズシリと重い55本のバラを手にして、今まで支えてくれた皆さんのご尽力に感謝しつつ、私の夢が、いつの間にか「われわれの夢」になる日も近いような気がしている私です。

本当にありがとうございました。

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