人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

10月17日、おじいちゃんの命日の今日に。

2014年10月17日 | 2014年 夢を発信!

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たぶん昭和40年代の国鉄助役帽です。

私の息子は、幼い頃からたびたび東京の両親(息子にとってはおじいちゃん、おばあちゃん)にあずかってもらう機会がありました。こどもは乗り物が大好きですから、おじいちゃんはよく孫を連れてふたりで電車に揺られるだけのレジャーを楽しんでいたようです。

もともと、もの静かなおじいちゃんは時刻表のマニアです。複雑な列車ダイヤが彼にとってのクロスワード・パズルのようなものだったのでしょう。ひとり分厚い時刻表を隅々まで眺めては、イメージの中の旅を楽しんでいるようでもありました。

その頃から息子は、停まっている自転車のスポークをひたすら廻して見つめることや、交差点や踏切の信号機に対する興味が、親の目から見ても異常(笑い話程度に)に思えるほどになっていきました。

幼いその頃の息子の口癖は、「にたい、いち~っ!」でした。これは都営地下鉄三田線の構内放送が「三田行き~っ!」と言っているのを彼が幼児語に翻訳(?)したもので、お題目のように、彼の記憶の中に刷り込まれていきました。息子の将来の夢が、東京の都営地下鉄の運転手になることだったのも、ごくごく自然な流れといえました。

中学を卒業する頃になると、息子は自分で取り寄せた東京の鉄道高校のパンフレットを持って、私たち両親の説得に当りました。そのような顛末から息子は、おじいちゃん、おばあちゃんの住む東京の家から、程なく自分の選んだ鉄道高校に通うことになりました。

高校生の時の彼のアルバイト先は、高校の先輩から代々引き継がれていたという新宿駅の私鉄電車の駅務係でした。その巨大な改札の2階のベランダに息子は度々、杖を片手にした彼のおじいちゃんの姿を見かけたといいます。新宿駅までは1時間近くもかかる自宅から、不自由な足で杖を突きつき電車を乗り継いで、孫が働く姿を、彼に気づかれないように、改札から遠く離れた場所から眺めていたのです。

それが頻繁だったにも関わらず、おじいちゃんは決して改札に寄ってくることもなく、また自宅に帰ってもそんな話題には一切触れなかったといいます。孫や、そもそも駅務に迷惑をかけないという、マニアらしい礼儀とそのこだわりが、おじいちゃんの中にしっかりと根づいていたのでしょう。

高校を卒業すると息子は、本当に鉄道会社に勤めることになりました。『才能は環境がつくる』といいます。おじいちゃんのDNAは、親族の誰の目から見ても、確実に彼の孫に引き継がれることになったのでした。

時はずっと過ぎて、おじいちゃんの悲しい出棺の日、孫である息子の手から冷たくなったおじいちゃんの棺に納められたのは、この国鉄助役帽と時刻表でした。息子の話しによるとおじいちゃんは、時々この帽子をかぶりながら、その細い目をもっとすぼめて、ひとり無心に時刻表を眺めていたのだといいます。

優しい孫からのこの最後のそして最高のプレゼントは、おじいちゃんのこれからの永い旅のお供に、その棺の中で一緒に焼かれました。

84年分という分厚い時刻表を片手に、あの誰にでも優しかった私たちのおじいちゃんの魂は今頃、助役帽を斜にかぶり、「銀河鉄道」のどの辺りをひた走っているのでしょうか?

10月17日、おじいちゃんの命日の今日に。

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