人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

「徹底的」を習慣化して淡々とやる。

2014年09月20日 | 2014年 夢を発信!

> 「徹底的」を習慣化して淡々とやる。

> やる気のある人が特別なことをやらないのは、
> 習慣化しているからです。

これは最近Twitterにツイートされていた中谷彰宏さんの言葉です。「金言」だとは思いませんか?

私は、お会いする方々によく「革靴がピカピカですね」とほめられます。もちろん毎日磨いているからです。それは中谷さんが言うように、私にとっては特別なことというよりも習慣になっているから、ある意味当たり前のことなのです。

私の早朝ウォーキングが習慣化されたのが6~7年前です。その1時間近くの運動の仕上げがこの靴磨きでした。前日履いた靴を、感謝の気持ちを込めてここでしっかりと磨くのです。次に紹介するのは、「REGAL CLUB NEWS」というメルマガに載っていた一文です。

> 昔の人は、
> 「その人が裕福な人かどうか見分けるには、
> その人の靴を見ればわかる。」と表現しました。
> それは何も真新しい靴を、
> とっかえひっかえ履くのが良いということではなく、
> その人が靴をキチンと手入れしているかどうか、
> その人が靴にまで気を配れている精神的余裕の
> ある人かどうかということなのです。

水商売の女性たちも、これと同じような視点でお客様を選別する(あまりいい言葉ではなくて失礼)ということを聞いたことがあります。

また、「足元を見る」という言葉もあります。身なりなどから判断して、商品の販売金額などを不当につり上げたりすることを表現した言葉ですが、これはもともと江戸時代に使われ始めたとされています。当時、「旅籠屋」や「船頭」などが旅人の足元を見て、足袋や草履が汚れている人は、疲労の度合いも激しいだろうから、多少値段を高くしても仕方なく利用するだろうとして、通常より高い値段につり上げていた、というのが語源のようです。

まあ、ことの真偽はさておいて、サービス業の端くれにいた私には、この言葉の持つ機微が理解出来ます。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」のお辞儀をして見るとわかりますが、下げた視線の通過点というか、頭を上下する視線の先にあるのは、常にその相手の方の足先、つまり靴なのです。

知らず知らずに私も靴を見て、お客様の、またその方の生活などを想像してしまっていたのは、無粋と思いながらも仕方の無いことでした。私がそうだと言うことは、私のお辞儀に伴って同じようにお辞儀を返してくれる相手の視線の先にあった私の靴が、そして、その靴の先にあったであろう私の生活のイメージが値踏みされていたかも知れないのです。

話しは変わりますが、大リーグで活躍していた松井秀喜選手や現役のイチロー選手は、メジャーリーガーになっても、自分の道具であるグラブやスパイクを大切にして、試合の後には自ら手入れすることを怠らなかったそうです。これは日本人選手全般に共通する行動だったようで、桑田真澄投手は、練習の終わったグランドをいつもの習慣で整備していて、外国人選手にグランドキーパーの仕事を盗るのかと非難されたそうです。

極めて日本人的なこの感性は、私が大ファンだった松井選手の次の言葉からもよく滲み出ていたと思います。

「僕は昔から、すべてのものに魂が宿っていると信じています。だから、グラブやバットやシューズに対しても、思いやりをもって接する気持ちはどこにいっても大切なことだと思っていますよ」。

私の仕事の道具のひとつである「革靴」は、「足元を見る」のその言葉に象徴されるように、ビジネスアイテムの中でも特に重要な位置を占めていると私は思っています。私は、習慣になっている毎朝の散歩の最後の仕上げに、前日に履いた靴を磨いて、同時に今日一日の心構えを整えることを今も続けています。

足元の靴にも、魂が宿っているだろうことを、私も信じて疑いませんから。

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