人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

追悼の気持ちを込めて

2014年07月26日 | 水戸発・異業種交流会

<追悼の気持ちを込めた、ブログへのアーカイブです。2012年7月25日記事のリライト>

 

その電話が掛かって来た時、私は仕事の資料をパソコン上でいじりまわしていて、思考が混乱していました。掛かって来たのは、私のデスクに置いてあった携帯へでした。明後日予定している交流会の件かなと思って電話に出ると、その人は意外なことを話し始めました。

「〇〇〇さんが、さっき亡くなったそうです・・・」

消え入りそうな声だったので、私はもう一度聞き返しました。しかし、繰り返し出てきたセリフは、そのままの事実をふたたび私に伝えていました。それにどう応えていいものかも分からずに、紋きり型の言葉がただただ口をついて出ました。

電話を切ってからも、ぼ~っと考えていると、今度は別の人から通夜と告別式の日時を伝えるメールが入りました。いよいよと思いつつ、実感が湧かずに、そんな自分の気持ちを量りかねていました。大変なことなのに、動揺も無ければ、悲しみも湧いてきません。

こんな気分は以前に経験したことがあるなと考えていたら、それは二つ年上の姉が亡くなって、長兄からそれを知らせる電話を、同じように職場にもらった記憶でした。「泣くなよ!」という長兄の言葉に「うん」と応えつつも、私には今日と同じように、正直何の感情も湧いてきませんでした。

しばらくは自分が何を考えているのかを、自分の頭の中で解りかねて、次第に頭が痛くなってきました。ウソのようですが、本当の頭痛でした。例えれば、血圧の薬を初めて飲んで効き過ぎた時のような、一気に血液が血管の中を駆け巡り、こめかみの毛細血管に集中した時のような疼痛でした。

 

その人は若く奇麗な女性でした。男勝りに仕事をこなし、お酒も遊びも豪快といっていいようなタイプでしたから、どちらかといえば年上の男性に可愛がられて、事実モテました。私たちの倶楽部に入会してからも、そんな「素行」は変わりませんでしたので、古参の女性会員からは眉をひそめられ疎まれることもあって、そのことに悩んでいた時期もありました。

そんな彼女が癌を患い、胃をほとんど残さずに摘出する手術を受けて、そして生還しました。私たちはその頑張りに驚嘆しましたが、次第にやせ細っていく彼女の姿は倶楽部の例会からはだんだんと遠のいて行きました。

最近は、「まだ、体調が優れませんので、一緒に食事の席にいるのは辛いので、欠席させてください。頑張ってみんなに忘れられないうちに参加できるようにしますね」という、毎月同じような内容の欠席メールをいただくだけになっていました。その間も、時々は仲間内のゴルフに参加しているようなことも聞いたりしましたが、そのうち彼女のことは次第に私たちの話題にのぼらなくなっていきました。

 

私が彼女を最後に見かけたのは、水戸駅前のシネコンで映画を観ての帰り道、車を駐車場から出そうとしていたその時でした。彼女と彼女のお姉さんが乗った車とすれ違い、彼女がフロントガラス越しに、少女のような笑顔で私に手を振ってくれた時のことです。顔だけしか見えませんでしたが、あきらかに痛々しいぐらいに痩せ細っていました。

そして本当に本当の最後のやりとりは、その月の交流会の出欠のメールででした。たぶん彼女の送信は、「体調が優れないので欠席させてください」というような内容だったと思います。私は珍しく、彼女を元気づけようと、彼女をからかうようなメールを直ぐに返信しましたが、いつもでしたらそんなメールには、必ず返事をくれる彼女からの返信はありませんでした。

 

そして、それが、本当の最後になりました。

 

ひとひとりが亡くなるということは大変なことですが、かといって私たちの日常の世界は何事も無かったかのように流れていくのも事実です。私は、最後の最後まで、彼女に何もしてあげられませんでした。けれども、彼女という人がいたことを忘れないように、私自身の思い出にしっかりと残し刻んでおくことで、私自身が私を許せない気持ちに、許しを請いたいと思います。

 

彼女は本当にとても素敵なひとでした。

 

さようなら!さようなら!さようなら!〇〇〇さん。またいつか”巡り会える”その時まで。

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