人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

「顔のある犠牲者効果」

2016年04月22日 | 水戸発・異業種交流会

昨夜は、主宰している交流会の第256回目の例会が水戸市内のホテルのレストランで開催されました。

今回のゲストは、茨城県の”等身大の女性たち”を応援する、まさに等身大以上の熱意溢れる素敵なガールで、その言葉の端々からほとばしるプラスの波動に、参加者の方々もかなりの刺激を受けておられました。

さてそんな中、熊本の大地震は未だに終息の兆しさえ見えません。そして、同じ日本とはいえ、遠く離れた私たちの日常は平和に過ぎて、こんな事ではいけないと思いつつも、平和であることにある種の罪悪感すら感じてしまったりしています。

開催直前まで、今回の熊本の震災に関する支援について、何らかのアクションを起こすべきかどうかを、主宰者である私はとても悩みましたが、結果、例会の中では見送ることを決めました。

毎回、例会の最後にお願いしている参加者全員のスピーチの中で、複数の方が震災の事を取り上げた中で、私と同じように、この支援に関するある種の”戸惑い”のような事を口にされる方がいらっしゃいました。

この件は別にして、私たちの水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』は、1997年2月から特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンの海外援助活動の趣旨に賛同し、チャイルド・スポンサーとなって、バングラデシュのアリ・サリムくんという少年に、毎月例会費の中から4,500円の支援金を送り続けています。

期間は、このサリムくんの前に支援していたカンボジアのリム・ロタくんという少年と継続して19年を超え、その支援総額は100万円を超えました。

この活動は、我々の集まりが「ただの飲み会」ではあまりにも寂しいということで、何か柱になる『免罪符』のようなものが欲しい、という話し合いの中から選定されたものです。

「"何もかも"はできなくても、"何か"はきっとできる。」というワールド・ビジョンの案内文も、その時の私たちが求めていた方向性にフィットするものでした。

当初このスポンサーになった時に、私にはひとつのイメージがありました。それは、可愛い海外の少女を支援し、その女の子がある程度の年齢になった時に、勉学のために私たちのいる日本を訪れ、私たちに会いに来てくれる、という美談でした。

そう、いわゆる小説「足ながおじさん」のようなストーリーです。

しかし実際の支援要請は、カンボジアとバングラデシュのそれぞれ小さな少年に対してとなりました。

話は変わりますが、1987年に米テキサス州で起こった「ベビー・ジェシカ」事故では、古井戸に落ちた18ヶ月の少女の58時間に亘る救出劇を世界中のメディアが報道しました。救助隊員の腕に抱かれた彼女の写真は、1988年のピューリッツアー賞を受賞、70万ドルの寄付金が集まって、テレビ映画化もされました。

一方、1994年のルワンダ虐殺では、100日間で赤ん坊を含む80万人という人たちが犠牲になったにも関わらず、CNNの扱いは小さく、寄付金も少額でした。

行動経済学者のダン・アリエリー氏は、「なぜ私達は、困っている一人は助けるのに、大勢を助けようとしないのか?」について分析しました。

過去の事例について、寄付金の総額と被災者の数をグラフ化してみると、ハリケーン・カトリーナと911テロ事件の寄付金が圧倒的で、津波や結核、エイズ、マラリアといった項目への寄付は極めて少額というように、資金配分の偏りが一目瞭然だったといいます。

これは長年言われてきたことで、過去にスターリンは、「一人の死は悲劇だ。しかし100万人の死は、統計上の数字に過ぎない」と発言したし、マザー・テレサの、「顔のない集団を前にしても、私は行動を起こさないでしょう。一人一人が相手だからこそ、行動できるのです」という言葉なども、ある意味ではこの傾向を裏付けています。

さらに、アメリカで行われた大学教授らの実験は、これを証明するものとなりました。それは、アンケート報酬で得た5ドルの収入を、「食料危機支援」と、「マリ共和国の7歳の少女ロキアの貧困支援」のどちらかに寄付させるという実験で、少女ロキアが食料支援の倍額以上を獲得したのです。

これを教授たちは「顔のある犠牲者効果」と呼びました。

このように、顔のある犠牲者を支援し、統計上の犠牲者を支援しないのは、対象となる犠牲者との心理的な「近さ」や、ケガの様子などの「鮮明さ」、そして「焼け石に水」にならずに自分にも救い出すことが出来るかも知れない、という思いが影響しているとダン氏は分析しました。

私たちの支援に話しを戻します。

この私たちの支援はほんの僅かなものでした。しかし、ワールド・ビジョンの案内コピーにもあるように「小さな愛の実践が、国境を越えて世界の子どもたちの生活を変える力として届けられている」ことは、我々の活動にとっても、大変意義深いことでありました。

我々の支援がこれだけ長期間出来たのは、もちろん倶楽部が継続し、会員の理解があったからに他なりませんが、その仕組みを簡単にしたことにもよると思います。例えば38人が参加した昨日の月例会を例にとると、参加者から集めた参加費の中から、ひと月の支援金4,500円を均等に頭割りして捻出しました。つまり、一人約118円の海外支援活動が、倶楽部例会に参加するだけで自動的に(主宰者である私が勝手に徴収しています)出来るシステムでした。

こうした知らず知らずが19年間にもなったのです。

そしてまた、「可愛い海外の少女」とはいかないまでも、カンボジアのリム・ロタくんや、バングラデシュのアリ・サリムくんという、特定の少年の成長を確認出来る「顔のある」支援が実現できたからです。

さて、311や茨城県常総地域の水害、そして今回の熊本震災。同じ国や同じ県内に住む私や私たちは、果たして、どれだけの「顔のある」支援をし、支援をして来たでしょうか?

私自身、想い考え続けることも重要だとは言い聞かせてはいますが、とどまってばかりいないで、一歩を踏み出さなければ何も始まらないというのは、支援だけに限ったことではありませんね。

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