人脈は一日にしてならず

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』主宰者。現在正会員数67名。月例会は連続継続250回超え、21年目。

「ノーサイド」

2015年01月10日 | 2015年 夢を発信!

<2012/6/17 Facebook投稿記事リライト後のブログへの改めてのアーカイブです>

写真は、東京サンデーリーグ「新宿ガッデムズ」http://goddamns.d2.r-cms.jp/ (1980年前後)で現役のラガーマンだった頃の私です。

私がラグビーというスポーツと出合ったのは高等学校入学の時です。先に高校に在学していた三つ違いの姉に、どの部活を選んだら女の子にモテるのかをたずねたところ、当時その高等学校で強かった「ラグビー」か「レスリング」のどちらかを選ぶように勧められたからです。

入学前にその両部を見学すると、ラグビーは醤油で煮詰めたような色の汚いボロボロのジャージを着てはいたものの、青空のもとで走り回るその姿は清々しく印象に残りました。一方のレスリングは、狭い道場のマットの上で、男同士が”ネチャネチャ”と抱き合って汗臭く、私の嗅覚がすでに私にノーサインを出していました。まぁ、後々考えて見れば、ラグビーも汗臭さでは大差なく、レスリングに私が感じたその時の印象はお門違いあることは明白でした。しかし、それも後の祭りです。

入部し、初めに教えられたのは、ラグビーが「紳士のスポーツ」であるということでした。だから、例えば試合で自軍に得点が入っても、大げさに騒ぐことは相手に失礼にあたると言われ、その行為を厳に戒められました。そして、「ノーサイド」という言葉です。「試合が終われば、敵も味方も無い」という教えでした。ラグビーはイングランドの発祥ですが、私はその「ノーサイド」に極めて日本的な精神、例えれば『武士道』のようなものを感じたものです。

とは言え、現役選手の頃の私は、試合になるといつも冷静さを失ってしまい、よく監督や先輩にたしなめられていました。試合が終わってもとても「ノーサイド」どころの気分になれない自分に、逆に腹立たしい思いもしました。その精神の本当の素晴らしさに気づいたのは、社会人になって”草ラグビー”を始めた頃からでした。

私が24歳の時から所属していたこの東京の"草ラグビー"チームのオーナーは当時、新宿に5店舗の居酒屋を経営する、新宿では知る人ぞ知る有名人でした。

私の東京での”極貧生活”も4~5年目に入ると、文京区の広告代理店の駆け出し営業マン(昔はかっこよく、あまり意味もわからずに、トラフィックなんていってた)として採用されていたこともあり、だんだん腹にたまるだけの食べ物を三食とれる余裕も出てきて、そうなると、なぜだか高校時代にいいかげんにやっていたラグビーのことが無償に思い出され、また、あの楕円球を何も考えずに追いかけたいと思う欲求が膨らんでいきました。

そんなワケで、人伝えに、呑んべい達が新宿の花園神社を拠点にラグビーをしていて、部員を募集しているという話しが舞い込んできました。

なんで神社が拠点なんだろう?でも高校ラグビーの甲子園であるあの近鉄花園ラグビー場と同じネーミングの神社ならオッケーだ、などと、脈絡の無い、ワケのわからない納得感とともに、当時そのオーナーが雇われマスターをしていた神社の鳥居横のバーに足を運んで、即座に入部しました。

初練習は調布にあった東京ジューキのグランドでした。ただただラグビーがしたくて入ったクラブでしたが、”ランパス”(ランニング・パスの略称で、ラグビー・トレーニングの基本中の基本)が始まると、「なんでまたこんな辛いことを始めてしまったんだろう」と、幾分かの後悔が頭をよぎりました。高校を卒業してからの5~6年間は運動らしい運動は何もしていなかったワケですから、一回のランパスで息が上がっていました。

経験者というふれこみで入部していたので、初めて私の走りを見た部員たちからは、多少の落胆と、微妙な親近感が漂うのが感じられました。その時の印象をある先輩は「バタバタ走りだった」と後々の飲み会で冷たく、一刀両断にしてくれたものです。創部直後は、新宿の花園神社の境内が練習場所だったようですが、幸いにも私には経験がありません。しかし、草ラグビーチームの宿命で、調布・府中・飛田給などと中央線エリアのグランドを求めてジプシーチームは点々と練習場所を移動したものです。

練習後の楽しみは、なんといっても銭湯に入ることと、その後の飲み会でした。中には練習には参加せずに、飲み会にだけ参加するというふとどき者までいました。銭湯までの道程をカチャカチャとシューズのスパイクの音を響かせながら、汗まみれのジャージ姿で力無く歩く集団は、百歩譲っても、素敵なスポーツマンとはいえない「バッチイ」奴らでした。

とくに、雨の中の練習の後は、戦時中の南方戦線の日本陸軍の雨中行軍もさもありなんという姿で、「一番湯」を汚されるのを嫌った銭湯からは、「出入り禁止」を通告されるようなありさまでした。ということで、我々のマナーは、銭湯に入店(入浴では無く)する前に、屋外にある水道でまず身体をキレイに洗って、身についた泥を落とすという「儀式」からでした。

そんなこんなで、ようやく身奇麗になった我々が向かう先は、蟻が角砂糖に群がるように、新宿のオーナーの経営する店(前出のオーナーは間もなく自分のお店を出店し、文字通りオーナーとなった)と相場は決まっていました。そうして今日の練習をあ~でもないこ~でもないと振り返りつつ、新宿の夜がまさに明けんとするまで飲み明かすのでした。

集ったチームメートは、もともとラグビーがしたかったのか、それとも、ただ練習の後のそんな楽しい飲み会に参加したかっただけなのか判別の難しい連中ばかりでしたが、程なく私もその中の一人に、自然に呑みこまれ、そんな東京でのラガーマン生活は7年近く続きました。



・・・懐かしい当時のチームメートたちの中には、既に物故するものもでてきました。

時には、熱い青春時代を振り返るのも良しとしましょう。人生の「ノーサイド」は、誰の身にも否応なくおとずれます。

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1 コメント

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不惑ラグビー (朝戸裕二)
2015-01-10 17:00:24
私も大学でラグビーを始め、卒業後はほとんどやっていませんでした。創部20周年記念のOB戦に出るために、少しトレーニングして試合に出ました(40台後半の時です)。新しく買ったラグビー用品は現役学生にプレゼントしラグビーは最後にするつもりでした。夜の宴会で後輩にそれではダメだと諭され、不惑ラグビーを始めることになった次第ですが、楽しくプレーできています。金原さんももう一度始めてみたらいかがですか。

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