限りなく悲嘆に暮れ、限りなく至福に浸った一年だった…
何かに対するものの見方が、ひとつの出来事を境に、たった一日でがらりと変わってしまうことがある。
それが3月11日14時46分に起こった大震災であることは言うまでもない。思い起こせば今シーズンは「震災に始まり、震災に終わった一年だった」…そう言っても過言でないほど、大震災は我々の記憶に、数多くの教訓を残していった。圧倒的な大地の怒りに触れ、積み上げた価値観がモロくも崩れ去ったあの日…
震災で亡くなった方々へ鎮魂の頭(こうべ)を垂れ、生きた者の証(あかし)として、生きることへ前向きに、そして、純粋にチームという結合体が一丸となっていく瞬間でもあった。結果的に今では仲間と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が、昨年とまるで違ったもののように感じられる…
学生たちの献身的な活躍を、影ながらサポートしていく仲間たち…
震災により泡となって消えた企画に涙する職員に、優しく手を差し伸べていく仲間たち…
思い悩んでいる学生たちや、職員たちを見兼ねて、倒れないように支えていった仲間たち…
初めての試みとなる企画に、必死になって喰らいつく職員や学生を、助けようとする仲間たち…
人間関係で苦しんでいる学生や職員に対し、必死に解決の糸口を見いだそうとする仲間たち…
シーズンという鋭い刃物によって切り取られた魂のひとかけらは、とてつもなく重く、せつなく、そして尊い。
そのひとかけらは、しばらくの間、スタッフの心を彷徨(さまよ)った末、時が経つに連れ、次第にその鮮やかさを失い、やがて圧倒的な時の流れの中に消えてしまうことだろう。
それでも、今年、我々の目の前を通り過ぎた、忘れることが出来ない「物語」というワンシーンは、どこか心の片隅に着かず離れず残っていく。皆の心の中で2011年シーズンという「物語」の財産が蓄積され、そのことが、今後の人生の中できっと役に立つ日が来ると信じたい。
学校責任者に就任して3年あまり…ブログのタイトルにも掲げた「学校が変わる」ということに関して、この東京福祉専門学校も大きな変貌(へんぼう)を遂げた。いや、遂げていると、言ったほうが正しいだろう。
どんな学校に変わったのか?(変わっていくのか?)と問われれば、この3年間、そして、この後も築き上げたい学校とは、こんな学校だとハッキリ言える。それは、人と人が想いを高め、想いを包み込むような学校である。
外は真っ暗で、木枯らしが鋭い唸(うな)り声をあげてる夜に、みんなで体温をわかち合えるような学校、どこまでが自分の温かみで、どこからが他の誰かの温かみなのか、区別できなくなってしまうような学校、どこからが自分の夢で、どこからが他人の夢なのか境目が失われてしまうような学校、そういう学校が、自分にとっての「変わるべき学校」の絶対的な基準になっていると信じている。
人を愛し、人を尊び、人を憂い、人を励まし、人を癒し、人を報い、人を認め、人を讃え、人を喜ばせる。
若くなって、激しい恋をしているみたいな感情の揺れ…そういう奇跡的な邂逅(かいこう)は、日々の中で、そうできるものではない。これからも、人と人が正直に魂をぶつけ合える学校になるべく、自分自身も真摯(しんし)に人に向き合っていきたい。
さて、最後にブログについても少し触れたい。3年あまり続けてきたこのブログも本日をもって終了する。
別に、このブログが終了したところで、社会の趨勢(すうせい)になんら影響が出ることはない。地球は単調な回転を続け、教職員はあくびをしながら学校に出かけ、学生たちはコツコツと勉強を続けていく。寄せては返す果てしない日常の中で、誰も過去のブログのことなど、いつまでも覚えているわけがない…
しかし、他の誰かがどんなに忘れ去ろうと、どんなに世界が変化しようと、この世界には「物語」というかたちでしか、伝えることができない「想い」や「情報」が変わることなくある。そして、活字になった「物語」でしか、表すことのできない「魂の動き」や「震え」もある。そのことを信じてこの3年間、ブログを書き続けてきた。書き続けるという事への大切さを、今では何よりも痛感している。
どれだけ枝葉が揺れようと、根幹の確かさを信じる気持ちが、この続けるということに繋がったと思う。
書くとは自己を見つめ直し、自己を研鑽し、自己の人格形成の一因になっていく壮大な旅路である。このブログを終える事になり、改めてその事に気づける機会をもらった3年間だった。
何回か前のブログにも書いたが…「物語」は風である。風は目には見えない。揺らされるものがあって、初めて風は目に見える。学校で行われる学生たちのかけがえのない「物語」も、卒業生たちが業界で躍動する「物語」も、教職員たちの真摯に学生たちに向き合う「物語」も…本来であれば埋もれてしまう「物語」であった。それが、このブログという媒体が風となり、「物語」として、目に見える形となっていった。
しかし、このブログの役目も今日で終わる…
時が経ったとき、機会があればまた、改めて風をつかまえていきたい。
きっと、その時は、今より風の音色が素敵な響きを奏でていることを願って止まない…
何かに対するものの見方が、ひとつの出来事を境に、たった一日でがらりと変わってしまうことがある。
それが3月11日14時46分に起こった大震災であることは言うまでもない。思い起こせば今シーズンは「震災に始まり、震災に終わった一年だった」…そう言っても過言でないほど、大震災は我々の記憶に、数多くの教訓を残していった。圧倒的な大地の怒りに触れ、積み上げた価値観がモロくも崩れ去ったあの日…
震災で亡くなった方々へ鎮魂の頭(こうべ)を垂れ、生きた者の証(あかし)として、生きることへ前向きに、そして、純粋にチームという結合体が一丸となっていく瞬間でもあった。結果的に今では仲間と心を通わせることで、光の輝きや、風の感触が、昨年とまるで違ったもののように感じられる…
学生たちの献身的な活躍を、影ながらサポートしていく仲間たち…
震災により泡となって消えた企画に涙する職員に、優しく手を差し伸べていく仲間たち…
思い悩んでいる学生たちや、職員たちを見兼ねて、倒れないように支えていった仲間たち…
初めての試みとなる企画に、必死になって喰らいつく職員や学生を、助けようとする仲間たち…
人間関係で苦しんでいる学生や職員に対し、必死に解決の糸口を見いだそうとする仲間たち…
シーズンという鋭い刃物によって切り取られた魂のひとかけらは、とてつもなく重く、せつなく、そして尊い。
そのひとかけらは、しばらくの間、スタッフの心を彷徨(さまよ)った末、時が経つに連れ、次第にその鮮やかさを失い、やがて圧倒的な時の流れの中に消えてしまうことだろう。
それでも、今年、我々の目の前を通り過ぎた、忘れることが出来ない「物語」というワンシーンは、どこか心の片隅に着かず離れず残っていく。皆の心の中で2011年シーズンという「物語」の財産が蓄積され、そのことが、今後の人生の中できっと役に立つ日が来ると信じたい。
学校責任者に就任して3年あまり…ブログのタイトルにも掲げた「学校が変わる」ということに関して、この東京福祉専門学校も大きな変貌(へんぼう)を遂げた。いや、遂げていると、言ったほうが正しいだろう。
どんな学校に変わったのか?(変わっていくのか?)と問われれば、この3年間、そして、この後も築き上げたい学校とは、こんな学校だとハッキリ言える。それは、人と人が想いを高め、想いを包み込むような学校である。
外は真っ暗で、木枯らしが鋭い唸(うな)り声をあげてる夜に、みんなで体温をわかち合えるような学校、どこまでが自分の温かみで、どこからが他の誰かの温かみなのか、区別できなくなってしまうような学校、どこからが自分の夢で、どこからが他人の夢なのか境目が失われてしまうような学校、そういう学校が、自分にとっての「変わるべき学校」の絶対的な基準になっていると信じている。
人を愛し、人を尊び、人を憂い、人を励まし、人を癒し、人を報い、人を認め、人を讃え、人を喜ばせる。
若くなって、激しい恋をしているみたいな感情の揺れ…そういう奇跡的な邂逅(かいこう)は、日々の中で、そうできるものではない。これからも、人と人が正直に魂をぶつけ合える学校になるべく、自分自身も真摯(しんし)に人に向き合っていきたい。
さて、最後にブログについても少し触れたい。3年あまり続けてきたこのブログも本日をもって終了する。
別に、このブログが終了したところで、社会の趨勢(すうせい)になんら影響が出ることはない。地球は単調な回転を続け、教職員はあくびをしながら学校に出かけ、学生たちはコツコツと勉強を続けていく。寄せては返す果てしない日常の中で、誰も過去のブログのことなど、いつまでも覚えているわけがない…
しかし、他の誰かがどんなに忘れ去ろうと、どんなに世界が変化しようと、この世界には「物語」というかたちでしか、伝えることができない「想い」や「情報」が変わることなくある。そして、活字になった「物語」でしか、表すことのできない「魂の動き」や「震え」もある。そのことを信じてこの3年間、ブログを書き続けてきた。書き続けるという事への大切さを、今では何よりも痛感している。
どれだけ枝葉が揺れようと、根幹の確かさを信じる気持ちが、この続けるということに繋がったと思う。
書くとは自己を見つめ直し、自己を研鑽し、自己の人格形成の一因になっていく壮大な旅路である。このブログを終える事になり、改めてその事に気づける機会をもらった3年間だった。
何回か前のブログにも書いたが…「物語」は風である。風は目には見えない。揺らされるものがあって、初めて風は目に見える。学校で行われる学生たちのかけがえのない「物語」も、卒業生たちが業界で躍動する「物語」も、教職員たちの真摯に学生たちに向き合う「物語」も…本来であれば埋もれてしまう「物語」であった。それが、このブログという媒体が風となり、「物語」として、目に見える形となっていった。
しかし、このブログの役目も今日で終わる…
時が経ったとき、機会があればまた、改めて風をつかまえていきたい。
きっと、その時は、今より風の音色が素敵な響きを奏でていることを願って止まない…










