山に越して

日々の生活の記録

山に越して 閉ざされた時間 23-7

2015-07-27 10:23:42 | 長編小説

  七 流露    

 

 内に籠もることは出来ても感情を吐露しなければならないときがある。会議は七時から始まっていた。雅生は黙って聞いていたが徐々に不快感を覚えてきた。

「人間の生きる環境を変える必要がある」

 と、遠藤が言った。

「環境が変われば何が変わる?」

 と、桐山が応じた。

「当然人間が変わる。生き方や考え方、目的や行動の仕方が変わってくる。今まで真理だと思っていたことが愚にも付かないことになり、見捨てられていたものが価値を見出す」

「価値など相対的でしかない。しかし人間にとって、それ程の価値の有るものは一つもない」

 と、加賀見純一が言った。

「相対的なことを超え絶対的なところに来たとき価値がある。価値が相対的などとほざいている間は何も分からない」

「価値など何処にあっても良い。何れ、このさもしい現実から逃れることは出来ない」

「具体的にどこの銀行を襲うか考えよう」

「R銀行で良い」

「投げ遣り的だな」

「金の価値は認めざるを得ないだろう」

「正しいと思えば何でも出来る」

「しかし、金がなければ必要な物は手に入らない」

「正当な理由は?」

  と、雅生は言った

「俺たちが生きる為だ。一つのことが終わることにより思惟が変遷する。勝利者になったとき価値が生まれる」

  と、遠藤淳二が応えた。

「勝手次第と言う訳だ」

「そうは言っても現況を越えることに意味がある。与えられた物以外許容されない生活を送っている俺たちは馬鹿者でしかない。しかし銀行を襲うこととは関係がない」

「そう言うことだ。現状を打破しても仕方がない」

「雅生、一緒に行動する以外道はない」

「俺は止めておくよ」

「統制が乱れるな」

 と、桐山が言った。

「必要なことではない。自身を越えることに他者は関係がない。その時、自身をどこに置くかで決まってくる」

「雅生の言う通りだ」

 と、遠藤が応じた。

「集団は個の集まりではない」

「真理だな、夫々がそれぞれの思いで遣れば良い」

「躊躇するのは教育されたことに依る」

「その後は?」

「個別的に考えれば良いことで、拘束される必要はない」

 行動を起こすことで集団の規律が生じることはなく、一人では単に行動する範囲が足りないだけである。行動は起こされるだろう、そして起こされたことで安定する。遠藤にしても桐山にしても、日々の生活から逃れる術を知らず、ともすれば情況に流されるより仕方がない。日々の生活が齎すものは何も無く、虚無感は誰もが一度や二度は感じる。感じても、其れが何であるのか突き詰めて考えない。また、虚無感は持続せず、持続すれば生きようとする志向性や方向性を失ってくる。生きている人間が依り良い生き方を目指す限り、何時までも虚無感に浸っていたのでは生きられない。虚無感は、数分、数時間、数日で消滅して本人が気付いたときには雲散霧消している。恐らく心の防御反応が働くのだろう、成る可く心の中に隙間を作らないようにしている。しかし虚無感が持続して行くとき、始めて自分の生き方や過ぎし日々が見えてくる。それは、生きてきた過程の一切の価値から解放される。価値など無いと思えばその人間にとって一切無い。宗教に帰依した奴など現実の生活を省みるとき、『目から鱗が落ちた』と感じる。最早、虚無感などとは無縁な薔薇色の人生が待っている。

 雅生は虚空を見ていた。行き場のない喪失感は時間だけを失っている。遣りきれない思いのまま溜め息を吐いた。その瞬間、雅生は蜥蜴になって地を這いずり回っていた。汗を掻くとも出来ず、暑い日差しに木陰で涼を取りながら空を見ていた。静かだと思った瞬間一羽の真っ黒な鳥が襲い掛かってきた。雅生は必死に叢に逃げ込んだ。空を見上げると真っ黒な鳥は上空高く飛んでいる。しかし、旋回しながら再び急降下してきた。雅生は、また舞い上がる鳥の影を見ていた。鳥の嘴には蜥蜴の尻尾が揺れている。雅生の近くでウロウロしていたのだろうか、雅生より機敏さに欠けていたことで、一瞬の違いで生きることを放棄してしまった。真っ黒な鳥は尻尾まで飲み込み未だ上空を旋回している。今度は雅生を目がけ急降下してきた。雅生はジーッとして待っていた。来るなら来て見ろと思った瞬間、雅生を嘴で挟み弄んでいた。しかし直ぐに飲み込みもせず都会の方に連れて行った。上空から乱立したビルの群が見え、此処で落とされるのかと思った瞬間其処には暗黒の世界が拡がっていた。時空を超えた知ることのない未来、西暦四千年の空間に雅生は居た。人間は一人も生きていない、木や雑草一本とて生えていない不毛の地で、空間を遮るものは無く、全ての生命が死滅したような世界だった。展望できる筈の、想像することの出来た科学も文化も、医学の進歩も、発達した空間も無かった。人間の歴史を、痕跡を探そうにも手掛かりになるものは一切無く、足許は砂礫がカサカサと泣いている。透明感のある匂いの無い空気、雲一つ無い空は何処までも蒼いままで、南の空に眩しいばかりの太陽が輝いていた。それは、生まれたての地球のような新鮮な感覚だった。雅生は声を出してみた。反響する建物も無いので、声は地平の彼方に消えていった。

 その後の歴史に何があったのか、人間たちは日常に埋没しながらも耐えざる目標を持って進化しようとしていた。しかし、進化のなれの果てが生命の興亡を招くことになるとは誰一人として気付くことはない。人間の欲望には切りがなく、切りが無いから依り以上のものを求める。その繰り返しの果て総てを失うことになる。人間だけではなく地球上のあらゆる生命の命を奪うことになる。在った筈の過去は既に消え、過去自体は消滅する為にのみある。

 西暦元年の地上は生きる人間の匂いがした。李(すもも)のような甘酸っぱい匂いを放ち、電信柱も、舗装された道路も私鉄も無かった。辺り一面焼け野原の土地は誰の所有物でもない。人間たちは、所々に集落を作り共同生活が始まろうとしている。足許を見ると、蟻が行列を作り西に進んでいる。雅生の住んでいる西暦二千年と何も変わりがない。しかし地面の至る所蟻だけである。そして、空間と時間を超え誰が西暦四千年の未来を想像しただろう。人々は日々の暮らしに追われ、明日のことまで考えることなど億劫で出来ない。明日のことが分からないのに未来のことなど、況して二千年先のことなど関係がない。何故生きているのかなど問う必要はなく、日々の生活に追われ、今日一日のことを考える余裕さえない。

 雅生は自分が何処に居るのか分からず脱力感に襲われ意識が薄れて行くのを感じていた。目を閉じることも腕を上げることも出来ず、自分の身体を他者の身体のように操られていた。開いた視野の先に周囲の物を捉えることも出来ず、こんな状態で生き、何故、日常を超越出来ないのか不安に駆られた。生きている果てを越えない限り新しい地平は戻って来ない。子供の頃に感じた新鮮な思いは最早何処にも有りはしない。川辺で魚取りをした。森で蝉取りをした。ギラギラ輝く太陽が肌を焼き、喉の渇きを覚え、生きることに飢えていた。毎日が活き活きとして活動的だった。怖れるものや不安など有りはしなかった。学校から帰宅すると毎日毎日フラフラと歩き回っていた。目的の無いことがせめてもの支えだった。同じところをグルグルと旋回していようと、それが生きている証だった。

 吐息を吐くと雅生は薄目を開けた。過去なのか、未来なのか、現実なのか分からなかった。

「長い間眠っていたな、雅生」

 と、桐山が言った。

「他の連中は?」

「準備の為に帰った」

「しかし、何も変わることはないだろう」

「夫々が承知している。俺もお前も進歩することも後退することもない。唯、必要なことを失うかも知れない」

「それで良い」

「センチメンタルになっているのか酒が飲みたくなった」

「それも良いだろう」

「中途半端のまま自分の行動を許容していく。情けないと思いながらそんな生き様しか見えない。しかし俺にとっても二十二歳の青春の筈である」

「仕方がない」

「何処かで逃げたいのかも知れない。しかし、残余の生でしかない事も事実である」

「俺もそう思っている」

 と、雅生は言った。

「虚無ではなく、単なる無に等しい感覚は、閉ざされた時間の中で既に行き場を失っている」

「足りないものは無い」

「満たされている訳でもない」

「しかし、失っている」

「俺たちが生きている時代が悪いのか、生まれてきたこと自体が悪いのか、一瞬を境にしても何も変わらないことを知りながら生きている。先が見えない不安ではなく、現実が不安の中で踠き苦しんでいる。雅生、明日俺は死ぬかも知れない。しかし必然も偶然も関係がない以上生も死も関係がない」

「過程は無意味でしかない。得るものが無くても?」

「分かっている。そして、最早行動を規定するものは無い。成るようにしかならない」

 生きている間人間同士は関係を持つ。無意味であると知りながら互いに理解したいと努力を重ねる。雅生や桐山たち以外に人間はいない。人間であるとき、人間が人間を証明する。類人猿の進化した姿、即ち人間、しかし単に人間が証明しているに過ぎない。人間と言う言葉は多くの学者が定義してきた。どんな定義付けを試みようと、それは対社会的な存在や、生物学上の規定をしたのに過ぎない。類的な存在としての定義である。

 雅生たちにとって、無目的であるとき、何処に紛れ込んで行こうと関係がない。其れはただ現実社会から逃避しているのに過ぎず、戻るべき場所のない悲しさか、戻る場所を失った悲しさなのか、雅生も他の連中も同じことだった。感情や感覚を吐露して、例え相手がそれを受け入れたとしても同じ事であった。唯、無意味なことでしかない。

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