山に越して

日々の生活の記録

鷺草(さぎそう) 16-10

2017-09-06 09:05:36 | 中編小説

  十

 

 裕二が逮捕されてから正美は不安定な日々を送っていた。両親との軋轢、また、父親から殴られ酷く罵られた。母親は正美を庇っていたが、父親はそんな母も罵っていた。弟や妹も不安な眼差しで姉を見ていた。

 夏休み中は外出することもなく過ぎて行った。そして、二学期が始まり一週間が過ぎた。G警察署で事情聴取を受けていたことを学校側は知っていて、登校初日校長室に呼び出された。校長室には教頭、学年主任も立ち会っていた。

「田中君、此処に来て貰った理由は分かっているね」

 と、校長が切り出した。

「いいえ、何故呼ばれたのか分かりません」

「八月五日、G警察署に行っているね」

「はい」

「何故、警察署に行ったのか理由を言って貰いたい」

「別に理由は有りません」

「理由が無いのに警察署に行く訳がないと思うが?」

 と、やんわりと言った。正美は話すより仕方がないと思ったが決して本当のことは言うまいと思った。

「図書館で勉強をしていました。でも、夕方になったので帰ろうと思って公園を歩いていました」

「それで」

「公園で喧嘩をしているところに通り掛かりました。そして、事情を訊かれました」

「新聞に依れば、高校生同士の喧嘩で、一人が刺され重体になったとあるが、田中君はそれを見ていたと言うことかね」

 校長が新聞に依ればと言ったことで、何も知らないだろうと推測した。

「偶然見てしまいました」

「その高校生たちと知り合いではなかったのかね」

「全く知らない人たちです」

「パトカーに乗せられ警察署に連行された。全身ぐっしょり濡れていたと聞いているが?」

  校長が何処まで知っているのか不安になった。

「急に雨が降り出しました」

「警察署ではどんなことを訊かれたかね」

「ナイフは誰が持っていたか、刺したときの様子とか、そんなことです」

「田中君との関係を訊かれただろう?」

「訊かれましたけど、関係のない人たちです」

「翌日も警察署に行っているね」

「人が刺されたのを見たのは初めてです。すごく興奮していたと思います。夜お母さんに迎えに来て貰い帰りました。その日は警察署で何を話したのかよく覚えていません。次の日、お母さんと一緒に行きました」

「それで」

「でも、偶然その場を通り掛かっただけで、雨も降っていたのでよく覚えていません。警察官の質問にも殆ど答えることが出来なかったと思います」

「もう一度訊くが、田中君は本当に関係がないね」

「はい」

「分かった。もう行っても良いよ」

「心配をお掛けして申し訳ありませんでした」

 その後、校長からの呼び出しもなく学校生活に変化はなかった。六ヶ月間の少年院送りになったことは裕二の母親から聞いた。裕二の母には本当のことを話すより仕方がなかった。正直に話すことで理解されたかった。しかし激しく罵られ、二度と裕二に会わないように、そして電話も掛けないように言われた。仕方がないと思った。それ以上裕二のことや少年院の様子を訊く訳にもいかず電話を切った。唯、自分の母だけには分かって欲しかった。話すことで理解されたかった。

 正美は学校から帰ってくると、何時も通り母親の代わりに夕食の支度をしていた。陽も西に傾き辺りは薄暗くなっていた。手を休めると裕二のことが思い出された。『・・・少年院の中でどんな風に過ごしているのだろう。私を守る為に犠牲になった裕二、挫けないで欲しい。手紙を書くことも面会に行くことも出来ないけれど、裕二のことを信じています・・・』

 

 正美は卓球部を辞め勉強に打ち込んでいた。暇な時間を作らないことで、裕二の思いに応えることが出来、勉強することで、残された高校生活の将来の方向を見出そうとした。父親も母親も正美の外出を許さなかったが、両親とも出掛けた三週後の日曜日、裕二の収容されている少年院に行った。

 列車を乗り継ぎS市に着いた頃から秋雨が降り始め、N中等少年院へ着く頃には本格的な降りになっていた。閉ざされた門柱に、所々錆びた真鍮の表札が填め込まれていた。N中等少年院の文字を見た瞬間正美は戦慄を覚え体中が震え出した。涙が流れてきた。暫くの間その場を動くことが出来なかったが、気を取り直し、塀に沿って歩き始めた。時々立ち止まっては塀を見上げ、厚い剥き出しの壁に触れた。傘を畳み、塀に耳を当ててみたが中からは何も聞こえず、静まり返った虚空に雨音だけが響いていた。小高い丘がその先にあったので正美は登って行った。しかし塀の内側は分からず、その高さが外部の一切を遮断させていた。正美はN中等少年院を一周して、児童公園の中で暫く間立ち止まっていたが駅に向かって下りて行った。

  家に帰り着いたとき両親とも帰っていたが何も言わなかった。蕭々とした正美の姿に何も言えなかったのだろう。その夜は夕食を摂ることもなく早めに横になった。『・・・外部を遮断する塀の高さに圧倒されてしまった。正面が管理棟兼事務所になっているのだろうか、その横に大きな鉄の扉があった。護送車の入り口なのかも知れない。裕二はあの扉から塀の中に入ったのだろう。入院するときも、退院するときもあの門を通るのかも知れない。一旦入れば自由を奪われ社会から隔絶される。有刺鉄線の隙間から中の様子を窺ったが何も見えず静寂さだけが漂っていた。あの塀の中に、一人鉄格子に囲まれ、寒々とした建物の何処かに幽閉されている。四六時中監視され、個としての自由の無いところで苦しんでいる。会いに行くことも出来ない閉ざされた空間・・・何時あの塀の中から出て来るのか分からない・・・不条理・・・法のみが肯定され、法のみによって差別選別される。一定の枠の中でしか処理出来ない社会生活、人間として生きている存在が軽視され短絡的に結論を出す。其処は個として生きることが否定され、何故、と問うことさえ出来ない。現実を肯定するとき生きる資格が与えられ、未来を認知するとき人間として受容される。しかしそれ以外に生きる方法があるのだろうか。個性も人間性も必要では無く、規則を遵守する者、命令に従順な者のみが生き長らえる。人間の尊厳は、集団と隔離との相乗作用に依り摩滅する。裕二はその中で踠き苦しまなくてはならない・・・負けないで欲しい・・・』

 雨はまだ降り続いていた。正美は裕二が居るだろう方角を見ていた。何かが違っていると思った。でも、それが何であるのか確かなことが掴めなかった。屈辱、恥辱、隔離と、幾つかの言葉が堂々巡りをしていた。

 

 正美が塀の周りを歩いていた頃、裕二は図書室の格子の窓から外を眺めていた。降る雨の向こうに正美の姿を見ていた。裕二の心の中にも、正美の心の中にも雨が降り続いていた。唯、雨に打たれているより仕方がなかった。雨宿りの方法も傘を差すことも知らなかった。しかし二人にとって、何時かは逞しく成長して行く為の試練だった。逃避することなく、悲しみに苛まれることなく、受け止めて行く勇気は持っていた。

 翌朝も雨は降り続いていた。秋霖には程遠い季節であったが、雨に濡れながら登校した。今の正美にとって、夏江と過ごすことが日課のようになっていた。昼休み、何時ものように雨を避けながら屋上で話をした。

「昨日行ってきた」

 と、正美は小さな声で言った。

「そう・・・苦しかった?」

「ううん、唯、あの中に裕二がいると信じられなかった。深閑とした建物、高い塀、人を寄せ付けない威圧感、拳で叩いても何の反応も無い壁、辺りは樹木に囲まれていたけれど要塞のようだった。少年院って何だろう・・・?」

「六ヶ月間を耐えると思う」

「自分では開けることの出来ない鉄格子に囲まれ、必死で耐えている姿が見える。でも、私には・・・」

「駄目、泣いては駄目、私達だって見えない格子の中にいる。彼、逞しくなって帰ってくると思う。その逞しさに負けないように正美も成長しなくてはならない。一日一日を長く感じるかも知れないけれど、待つことに耐えなければ明日は来ない。この一、二ヶ月、正美は波間に浮かぶ小舟のように激しく揺れ動いていた。彼のことに苦しみ、自分のことに耐えていた。正美の辛苦は、正美を何れ変えて行く」

「うん」

「元気を出して!彼がいない間、私が恋人になって上げる」

「いらない」

「今度一緒に行こう」

「有り難う」

「正美・・・夏休みに誘われていた旅行、結局行かなかった」

「そうすると思っていた」

「授業始まるね」

「明日の昼休みも待っている」

「行こう」

 午後のチャイムが鳴っていた。現在やることは一生懸命勉強することだった。しかし授業に集中しているようであっても、ふと気付くと裕二は何をしているのだろうと、深い物思いに沈んでいた。

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