山に越して

日々の生活の記録

鷺草(さぎそう) 16-9

2017-08-03 11:16:30 | 中編小説

  九

 

 N中等少年院は関東地方の南西部多摩丘陵地帯の一角にあった。周囲は閑静な住宅地に囲まれ、未だ開発が進んでいない山林地帯が拡がり、小高い丘の上からはS市の全景が見渡せた。しかし少年院の周囲は、高さ四メートルの剥き出しのコンクリート塀に囲まれ、内部の所々は有刺鉄線が張られ物々しさが感じられた。N中等少年院は、収容人員二〇〇名、職員数七十名で管理運営されていた。正面玄関に管理棟、その奥に独居棟が二方向に延び、管理棟を中心に拡がっていた。独居棟と独居棟は丁度中程で二の字で繋がり、一方を食堂が占め、片方を訓練棟や学習室、医務室などが並んでいる。中庭には芝生が植えられ、芝生の間には遊歩道を思わせるような砂利道が敷かれていたが、外界から遮断するかのように塀の前で途切れていた。N中等少年院の隣は児童公園になっていて、休日には子供たちで賑わっていた。入院者にとって、社会から隔絶された場所であっても、子供たちの歓声が風に乗り途切れ途切れに聞こえてくるだけで慰められるものがあった。

 少年院は此処関東甲信越地区に十六カ所が数えられ、収容人員総数は三千名を越えている。初等少年院、中等少年院、特別少年院、医療少年院に別れ、【少年院法第四条】矯正教育は在院者を社会生活に適応させるため、その自覚に訴え規律ある生活のもとに、教科並びに職業の補導、適当な訓練及び医療を授けるものとする。と規定し、教科については在院者の特性に基づき、その興味と必要に即して自発的に学習するように指導しなければならない。とされている。【少年院法第八条の二】に規定する矯正教育とは、【少年院処遇規則第二十条の二】の規定によれば、職業補導のことを言い、職業補導によって入院者が死亡した場合、身体に障害が残った場合のことを規定している。学校教育と違い、身体に危険を及ぼさないと誰に言えたであろうか。結果論的に言えば少年院で死亡、障害が残った場合など、死亡手当金、障害手当金などを与えることで処理されていた。また、【少年院法第六条】累進処遇、及び、【少年院処遇規則二十五条から四十二条】に渡り、在院者の処遇には段階を設け、殊遇状況が決められていた。その改善、進歩等の程度に応じて、順次に向上した取り扱いをしなければならない。となっていた。

【少年院処遇規則第二十六条】の規定により、N中等少年院では山下裕二を二級の下の取り扱いとした。これから先、二級の上、一級の下、そして一級の上になり、保護期間の三分の一を経過した時点で地方更生保護委員会に仮退院申請をし、許可されることによって保護期間を残して退院となるであろうが、今の裕二は何も知らなかった。昇進及び降下の審査は毎月一回以上行われ、在院者の成績を正確に判定するため、入院時から出院するまでの経過を記載した少年簿、及び、【少年院処遇規則第三十条の一】学業の勉否及びその成績、【二】職業補導における勉否及びその成績、【三】操行の良否、【四】責任観念及び意志の強弱よって審査された。

 

 その日、山下裕二は看守二人に付き添われ、護送車に乗り八時丁度に少年鑑別所からN中等少年院に向かった。カーテンの掛けられた車窓の向こうに自由な社会があった。それは、どんなに足掻いても足掻いても直ぐに取り戻すことの出来ない社会であった。裕二の両手には手錠が掛けられ、車内の隙間からは何も見えず、看守に話し掛けることもなかった。裕二はこれから連れて行かれる少年院のことを考えていた。六ヶ月の期間をどのようにして送るのか不安であった。しかし屹度乗り越えて行くだろうと思った。

 幾つもの坂道を越え、護送車は一時間以上掛かってN中等少年院に着いた。鉄の扉がギーギーと鳴く音が聞こえてきた。護送車が停車したところは少年院の中庭だった。

 少年院処遇規則は、【少年院法第十五条第一項】の規定に基づき、第一章から第十一章まで八十条に渡りその細則が決められている。また、細則に従い個々の処遇上の項目は少年院で、また法務大臣が規定することになっている。処遇規則に沿って、裕二のN中等少年院での入院生活一日目が始まろうとしていた。看守に付き添われ八畳程の部屋に連れて行かれた。衣類、所持品の検査を受け、少年院用の服に着替え、腕には二級の下の腕章が付けられた。腕章は、【少年院処遇規則第二十五条の二】在院者には、記章又は腕章により、処遇の各段階の区別を表示させなければならない。の規定により、入院者がどの段階にいるのか分かるようにされていた。

 裕二は着替えが済むと院長室に連れて行かれた。入院者に対して院長の査問である。家庭裁判所の送致決定書と、本人が人違いのないことを確かめ入院させる為である。入室してきた裕二を、院長は一瞥し院長机の正面に対峙する格好で立たされた。

「名前は?」

「山下裕二です」

「年齢は?」

「十七歳です」

「生年月日は?」

「昭和五十八年十二月五日です」

「住所は?」

「東京都W市W町二丁目一一九五番地です」

「両親の名前は?」

「父、山下剛。母、山下康子です」

「これから少年院の使命、日課の概要について説明するからよく聞いているように」

「はい」

 院長は少年院処遇規則総則に沿って裕二に説示した。一通り話し終え次のように結んだ。

「尚、これから概ね二週間、経歴、教育状況、心身の状況など身上調査をする期間は、他の収容者との接触しないように常時独居にいなくてはならない。その後、矯正教育の計画書が出来るが、進んで改善に励むように」

「はい」

 院長は一呼吸おいた。

「山下君、これから六ヶ月間の矯正教育が始まるが、規則を守り、しっかりと教育を受け退院出来るように頑張って下さい」

「はい」

「徐々に慣れて行くと思うが、あくまでも矯正教育の場であることを忘れず、また呉々も院内ではもめ事を起こさないように。指導する人たちの言うことを良く聞いて、早く退院出来るように努めなさい」

「はい」

「日常生活上必要なことは、この後説示を受けるように」

「はい」

 裕二は院長室から別の部屋に連れて行かれた。そこで、日課、衛生上のことなど簡単に説示され独居に連れて行かれた。

「昼食時紹介をするから此処にいるように」

 看守は裕二を独居に入れガチャリと鍵を掛けた。

 

 独居房は三畳程の板の間で隅に蒲団が畳まれていた。その奥は板塀で仕切られ、便器が置かれていたが他に何もなかった。壁にラジオが組み込まれていたのでスイッチを入れてみたが何の音も出なかった。扉は鋼鉄製で、上の方に二〇センチ四方の覗き窓があり、壁には、食器の出し入れ用の戸口が付いていた。また反対側の壁に、はめ殺し窓が付いていたが其処にも何本かの鉄格子が組み込まれていた。独居の中では就寝時間の二十一時まで横になることは許されず、裕二は昼食までの時間座禅を組んでいた。『・・・今、俺は独りである。社会から閉ざされ、個としての自由は奪われ、他者に依拠した生活が始まろうとしている。内側から開けることの出来ない鉄の扉、鉄格子の入った窓、幽閉された空間、恐らく命を繋ぐだけの最低の場所なのだろう。二十四時間監視され、一切の自由を奪われ、人が、人として生きることの出来ない牢獄の中で、正誤は一体何であるか一つ一つ考えていかなければならない・・・寂しく、虚しいのだろうか・・・否、何も感じない・・・何か遣りたいことがあるのだろうか・・・否、何もない・・・監視され支配された生活に、人間として生きることが出来るのだろうか・・・否、人間らしい生き方などある筈がない・・・そして、鉄格子の中で徐々に人間性を蝕まれて行くのだろう。語る相手もいなければ、自分の考えを具現化させることも出来ない鉄格子の中で頽廃を見るのかも知れない。施錠された三畳の板の間だけの社会である。此処には俺しかいない。俺だけの社会であり俺だけの世界である。しかし自由が奪われても、俺の内面は誰にも支配出来ない・・・置かれた環境によって変容せざるを得ないのも、また人間の心なのかも知れない。俺はそれに負けることなく、この鉄格子に負けることなく生きなくてはならない。しかし郷に行ったら郷に従え、朱に交われば赤くなる。そう言った類の生活しか出来ないのだろうか、否、そうではない。仮に苦しみしか無くても、それに耐えることの出来る理性と勇気を持ち生きる力を蓄えなくてはならない・・・』

 昼食の時間だった。看守と共に大食堂に連れて行かれた。この施設の中で唯一全員が集まる場所である。入院者の殆どは裕二の方を見ようともしなかった。名前だけ紹介され席に着いた。

 現在N中等少年院は二〇〇名近くが収容されていた。法務省の管轄下に置かれ、十六歳から二十歳未満の保護処分一、二年以内の初犯、または再犯の少年たちだった。二〇〇名の収容者のうち、五〇名ほどの入院者は給食班、洗濯班、衛生班などに組分けされていた。それらは、【少年院処遇規則第三十五条の二及び三、第三十六条】により、職員の監督を受けて一級の入院者が当たっていた。また、一級の入院者には殊遇上の恩典が与えられている。【少年院処遇規則第三十二条、三十三条、三十四条】特別の居室、日用品その他特別の器具の使用の許可、単独での外出及び帰省の許可、特別の服装の許可など、仮退院申請中の者、又は仮退院申請を間近に控えた者で、社会に戻される前の自立訓練とされていた。

 その日は入院初日であり昼食後は独居に戻された。『・・・初めて見た食事風景だった。唯、食しているだけであって、生きることの凄まじさを教えられる情景だった。若いエネルギーを、誰も彼も浪費しているのに過ぎない。俺も、此処で同じように時間を浪費するだけの青春を送るのだろう。院長の言うように、少年院の目的として、在院者の心身の発達を考慮して、明るい環境のもとに規律ある生活に親しみ、勤勉の精神を養わせ、正常な経験を豊富に体得させ、その社会不適応の原因を除去し、心身ともに健全の育成が図れるのだろうか・・・俺の矯正教育とは一体どのようなものになるのだろう。それに、社会不適応とは一体何を言うのだろう。人を刺してしまったことが、偶然であれ、刺してしまったことが社会不適応と言うのだろうか・・・此処には大勢の若者が収容されている。それぞれが何らかの罪状があり、その為に保護処分を受け収容されている。一人仮退院をすればまた一人入ってくる。何時まで経っても同じことが繰り返される・・・俺は六ヶ月の保護処分を受けた。少なくとも六ヶ月間は此処で矯正された生活を送らなくてはならない。日常の全てが決まっている牢獄で、地獄のような生活を送るのだろう。少年院法が何であるのか知らない。少年院処遇規則が何であるのか知らない。しかし、それに沿って規則通りに規制されるのだろう。何れにしても、自分が自分でない生活が強制される。六ヶ月後の俺は、此処を退院するとき何を思うのだろう・・・何も思わないようにする為の教育なのかも知れない。しかし俺は、俺を失わない為に生きなくてはならない・・・』

 五時前になっていた。夕食が運ばれてきた。逮捕されてからの食事は何時も同じ器だった。アルマイトのお盆にアルマイトのどんぶりと皿、夕食を食べ終われば就寝時間の九時まで何もすることはない。そして、明日の朝六時半の起床時間まで横になることが許される。それがN中等少年院の規則である。独居の中まで規則、規則で拘束されるのが少年院である。

 裕二は食後の洗面が済むと、独居の鉄格子に囲まれた閉塞された空間の中で座禅を組んでいた。『・・・正美と最後に会った日から既に一ヶ月近く経っているのかも知れない。激しい豪雨の中、正美は全身ぐしょ濡れだった。別々のパトカーに乗せられG警察署に向かった。パトカーから降りたとき正美の姿が見えた。俺の方を見据えていた正美は未だ泣いていた・・・あの時、俺を見据えていた正美の眼差しを見たときから俺は冷静でいる。警察の取り調べも、少年鑑別所に入所中も、家庭裁判所の審判の時も、相手の言っていることも周囲の状況も理解していた。一つ一つの質問に事実だけ答えていた。現実の自分自身から背理するのではなく冷静な自分が見えていた。俺自身が俺に対して背かないことが、正美のことを考えるときに、そして、これからの生き方を考えるとき一番大切なことだと思っていた・・・正美、俺は此処で六ヶ月間を過ごさなくてはならない。一体何が待っているのだろう。何があったとしても、それに耐え乗り越えて行く。そして、必ず正美の許に帰る・・・』

 就寝前の点検時、自分の番号を看守に告げ就寝だった。少年院での一日が終わろうとしていた。

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