田川市石炭・歴史博物館のブログ

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田川のコト 第九回:田川郡⑥糸田町

2017年06月02日 | 日記

みなさん、こんにちは!

田川のコトを、少しでも多くの方々に知っていただこうというこのシリーズ。
いよいよラスト前の第九回は、田川市の北西側に位置する糸田町【いとだ】についてデス♪

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回

中元寺川の左岸と右岸にまたがる糸田町は、田川郡で最小面積の自治体です。
古代より、田川と飯塚を結んだ主幹道である烏尾【からすお】峠で現在の飯塚市(旧頴田町)と接する糸田町は、筑前国と豊前国との国境【くにざかい】の町でもアリマス。

筑豊の他の町と同様に、糸田町にもいくつもの中小炭鉱がありましたが、大規模な炭鉱としては「豊国【ほうこく】炭鉱」が挙げられます。
明治時代の貴族院議員であり筑豊炭鉱王のひとり「山本貴三郎」が明治12年に拓いたコチラの炭鉱ですが、その後、玄洋社初代社長で後の衆議院議員「平岡浩太郎」の所有となります。
1907年(明治40年)、明治期最大の炭鉱事故となる365人の死者・行方不明者を出した痛ましい爆発事故が発生しましたが、そのあとは筑豊御三家の一人「安川敬一郎」の明治鉱業が経営を行い、昭和37年の閉山まで筑豊炭田の有力炭鉱として採掘が行なわれていました。

ちなみに上記の「山本貴三郎」が造った日本庭園が、北九州市小倉の老舗ホテルに残っておりマス。

そのホテルの名前は「ホテル ニュータガワ」と言いまして、北九州在住のワタクシ博物館スタッフもムカシから『なんで小倉にあるのにニュータガワなんだろー?』とギモンに思っておりましたが、そんな繋がりがあったんですネー。

それでは、そんな糸田町について、いくつかご紹介しまショー!

◆糸田町の人気スポットといえば「道の駅いとだ」さん。



飯塚方面から国道の烏尾トンネルを越えてスグのところにあるコチラの道の駅。
直売所の名前は「おじゅごんち市場 からすお」と言うのですが、「からすお」は「烏尾峠」からと分かりますが、「おじゅごんちってナンジャラホイ?」と調べてみましたところ、町の中心にある「金村神社」の「お田植祭」が3月15日に行なわれることから「じゅうごにち⇒おじゅごんち」となり、それを施設名にしたそうデス。

なお、コチラの名物といえば「石炭ソフトクリーム」300えん也。



石炭をイメージして開発された、漆黒でツヤなしのソフトクリームは、見た目はイマイチ(?)ですが、チョコレートをベースに作られておりまして、甘さもしつこくなくとっても美味ですヨ!
ただ、口の周りが真っ黒になりますので、ウェットティッシュは必須かも!?

◆糸田町の近代化遺産遺構
糸田町では、整備・保存された炭鉱関連の遺構は残っておりませんが、あまり開発が進んでいない町の西側には、2004年に廃線となった「三井鉱山セメント田川工場」の専用線(鉄道)の路線跡とレールが残ってオリマス。



田川市の「関の山【せきのやま】鉱山」【現在の池のおく園/中村美術館】で石灰石を採掘しておりました三井鉱山のセメントを、国鉄(JR)金田駅【現在の平成筑豊鉄道金田駅】まで運び、そこを経由して北九州市門司の田野浦港まで運んでいた全長5kmのコチラの鉄道。
廃線好きの方々にはオナジミの路線らしいのですが、スタッフは初めて足を踏み入れマシタ。
遊歩道や道路などに転用されることの多い廃線ですが、このようにレールが残っていると当時の情景を思い浮かべやすく、遺構好きにはタマリマセン。

なお、関の山の辺りの地名「見立【みたて】」と「金田【かなだ】」を結んでいたため、「金見鉄道」とも呼ばれていたそうデス。

※立入禁止の場所や私有地にあることもありますので、もし見学に行かれる際はマナーを守って、周辺の方々に迷惑にならないように十分ご注意くださいマセ!

◆烏尾峠と国境石
豊前国と筑前国を結ぶ重要な道路であった烏尾峠の地名の由来ですが、神武天皇の東征の際にこの峠で悪天候に見舞われ、一羽の烏【からす】に導かれ、無事に峠越えを果たしたという伝説からと言われます。



この烏尾峠の周辺には、筑前国の福岡藩が設置した「国境石」がいくつも残っています。
石に刻まれた文は「従是西筑前國」、意訳すると「こっから西側は筑前の国ばい!」と書いてあります。
このような国境石が、現存するだけで5ヶ所確認されているんデス。



ナゼニこんなにイッパイあるのかとモウシマスト。

福岡藩はいくつもの国境【くにざかい】での紛争を抱えておりました。
1693年に肥前国佐賀藩との国境である背振【せぶり】山で領地の争いがありましたが、江戸幕府の裁定で負けてしまいマシタ。

最初にこれらの国境石が設置されたのは1700年に設置されたそうなのですが、前述の紛争に敗れた福岡藩が、今後同様の紛争が起きないように、国境の論争のあった烏尾峠やその他の国境に重点的に置いたようデス。

筑豊には、この筑前国と豊前国との国境の他に、豊後国日田藩との国境などもありまして、機会があれば各地の国境石を見てみたいなーとオモイマス♪

と、今回は「糸田町」についてご紹介させていただきました。

田川市郡をご紹介するブログ「田川のコト」も、いよいよ次回で最終回とナリマス。
近日、最終となる「福智町」についてレポートいたしますので、ご期待は控えめに、お待ちくださいませー♪

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