TAZUKO多鶴子

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『任天堂旧本社ビル』有名な建築を見ましたよ(^-^)

2008-10-31 | TAZUKO多鶴子からの伝言

京都五条の
『任天堂旧本社ビル』が当時のままで保存されています…
今日はその歴史を感じる有名な近代建築を見て来ました。
私がブログ写真を撮っている間にも、
外国の方が一生懸命写真を撮っていましたよ。
噂通り素敵な建築物でした。


<任天堂>
任天堂株式会社(にんてんどう)は、玩具・ゲームを製造する日本の株式会社。特に家庭用ゲーム機業界では日本、世界問わず最大級の企業。麻雀、囲碁、将棋、花札用具のメーカーとしても知られている。Nintendo(ニンテンドー)は、1990年代まで主に北米でビデオゲーム一般を指す俗語としても使われた。
*元々は京都で花札屋として創業した玩具企業だった。社名は「運を天に任せる」「人事を尽くして天命を待つ」という言葉に由来すると言われているが、初代社長が死去しているため詳しいことは不明である。

参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『小泉八雲』の言葉

2008-10-30 | TAZUKO多鶴子からの伝言


  私が思うに、

  日本の生徒の平均的な図画の才能は、

  西洋の生徒より

  少なくとも五十パーセントは上回っている。

  この民族の精神は、

  本来が芸術的なのだ。

     …… 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) ……



<小泉 八雲(こいずみ やくも、 1850年6月27日 - 1904年9月26日)>
新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家。
*経歴*
国籍を取得する前の旧名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)である。一般的に知られているラフカディオは、彼のミドルネームである。ファーストネームはアイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んでいるが、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」をローマ字読みして「ヘルン」と表記したのが広まり、当人も「ヘルン」と呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。なお名前の「八雲」は、一時期当人が島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」にちなむとされる。
16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写らないポーズをとっている。
なお、彼が松江時代に居住していた住居は、1940年に国の史跡に指定されている。
イザベラ・バード、アーネスト・フェノロサ、モラエス、ブルーノ・タウト、ローレンス・ヴァン・デル・ポスト( 『 戦場のメリークリスマス 』参照 )、アンドレ・マルロー等とならび、著名な「日本紹介者」の一人であり、日本人にとっても、祖国の文化を顧る(かえりみる)際の、重要な便(よすが)となっている。若き日の三島由紀夫の愛読書のひとつであり、川端康成との書簡のなかで、しばしば、嬉々として引用している。



参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『火の鳥』シリーズ2作目を今日から制作…

2008-10-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言

『火の鳥』シリーズ2作目を
今日からやっと描き始めました。
久し振りの自己への世界…
無の空間から形になるまでの時の無い世界…
疲れを意識するのは今日の制作の終了の時。
TAZUKO多鶴子は精神世界に入った時は
いつも
何時までも描き続けて
気付くと
夜遅くになったり
明け方になったりするのです。
今日は気付くと夜10時半になっていて
…ふと我に帰り…
何時間描き続けたのだろう…と。
今日も又
時を忘れていたのでした。

『祈り無限大』掛け軸作品シリーズ・『火の鳥』シリーズの制作をそろそろ…

2008-10-28 | TAZUKO多鶴子からの伝言

現在、ご注文の絵の制作が
まだ数点残っていて…
その中の『上高地』の絵も今少しずつ制作を進めている最中です。
でも…そろそろ…
掛け軸作品『祈り無限大』のような心象絵画シリーズと
『火の鳥』シリーズ2作目を
制作しなければいけないと思っています。
ご注文の制作が全て終了してからでは
TAZUKO多鶴子本来の本流作品の制作を始めるのでは遅過ぎるのです。
TAZUKO多鶴子独自の精神的空間、
心象絵画があって初めてTAZUKO多鶴子は生かされます。
日々の生活で忙しい毎日ですが、
全てをやり抜かなければ先へ進まない苦しさ…
そういえば…
昔、ある長老の画家に言われた事があります。
「君は画家でも最も苦しい道を選びましたね…」
その言葉が時々私の耳元で囁くかのように思い出されるのです。
今日も、その言葉がフラッシュバックしました。
何故そう思うのか…理由はみつからないのですが…
苦しいけれど…その道から逃げず
どうしても私は描いて行かなければならないのです!

『新美術新聞』に『TAZUKO多鶴子個展』記事掲載!

2008-10-27 | 個展

今日はとても嬉しい事がありました。
夜ポストを覗いて見ると…
何と!
美術年鑑社から『新美術新聞』が届いていました(^ ^)
そう!
昨日お知らせ致しました
奈良『飛鳥園・TAZUKO多鶴子個展』の記事が掲載されている新聞です。
ブログ写真がその記事なのですね。
流石に美術年鑑社!見事な文章でした!
ブログ写真では小さくて読み辛いですが、
内容を読むと
短い文章で多くを把握出来る素敵な文面でした(^ ^)
これは前々からお世話下さっているご恩ある設楽昌弘様のご配慮。
設楽次長様を初め美術年鑑社様には
いつも何時も感謝するばかりです。
更に嬉しいのは
新聞の記事の『火の鳥』の作品も美しい色彩に掲載されていました。

設楽昌弘次長様と
美術年鑑社の記事担当の方、
更に美術年鑑社様、
今回の掲載も感謝するばかりです。
心から
心からお礼申し上げます。
本当に有り難うございました。
TAZUKO多鶴子はこれから益々頑張りますので、
今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。

個展も後一ヶ月先で随分近くなって来ましたが、
最近色々な方々から
励ましのご連絡やメールを頂いています。
応援下さっている方々の為にも
素敵な個展にして行きたいと強く思っている昨今です。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。