日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

天を向いている

2013年05月31日 | 生活・ニュース
            

 ハチク、サヤエンドウ、ソラマメ、グリンピース、タマネギ、ホウレンソウ、チシャ、ダイコン、これは午前中にあちこちから頂いた畑の作物。いずれの食材も季節感を味わえるひと品としてありがたくいただく。とはいえ、夫婦だけの食卓には十分すぎるので、鮮度の落ちないうちにと、少しだがお裾わけ、いや貰ってもらった。「エンドウ、ソラマメ、カツオのたたき、あんまり食べるとお腹をこわす」という例えがある。旬のものも過ぎては災いということだろう。

 いただいた野菜は我が家でも自給用の野菜として少しばかり作っていた。しかし、畑が用地買収にあってから後はネコ額ほどの菜園経験はあるが、それも昔の話になった。最近、月に1度、ある農園にお邪魔し鍬や釜を手にしているが、体力の衰えていることを実感するものの、農作業を楽しんでいる。次回はジャガイモ堀ができるかも、リーダーのその一言を楽しみにしている。

 畑作物の名前について特に興味を持ったことはなかった。そんな調子だから、ソラマメは「さやを天に向けて実るのでソラマメ、空豆と書く」と聞いたとき、突拍子もない名付けと思ったが、知らないのは私ひとりだった。そういえば45度の角度で天に向かって飛翔でもしそうな体勢をしてる。

 親指の先のようなソラマメ、一粒一寸くらいが主流の大きさという。さらに、ひとつのさやに、大きさのそろった豆が三つ入っているのが上質で美味しいと載っている。頂いたそれの外観からは三粒が多そうなので楽しみだ。最近は塩ゆでしてビールのつまみにしている。母はゆでて皮をむき、潰して餡の足しにしていた。そんな柏もちを喜んで食べた記憶だけは残っている。
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芋の苗植え

2013年05月30日 | 回想
            

 園児らの楽しみながらの職業体験がローカルニュースにのる。作業の様子は生き生きとしており、飾り気のない「子ども」らしい姿には世知辛い世の話を忘れる。驚くのは作業についてのインタビューへの答え、成人もかなわぬ名答もしばしば。そんな職業体験は魚の放流や農作業。最近の映像は鮎の稚魚の放流とさつま芋苗の植え付け、アユ解禁と梅雨入り前の季節感ある2題。

 前年収穫したさつま芋のなかで、大きくて美味そうなのは種芋として保存する。その種芋を植え、植え付け用の苗となるつるを育てる。明日が雨、そんな気配がすると、つるを30~40センチばかりに切り、植えつけ用の苗にする。あらかじめ作ってある大きな畝に、手刀で溝のような窪みをつけ、畝をまたいで苗全体をしっかり埋め込む。よく手伝ったことと中腰での作業のきつかった記憶がある。

 父らが畑周囲の雑草を刈ると、それを畝の間に敷き詰め畑の乾燥を防ぐ手伝いもした。そんな手伝いもあってか、我が家のさつま芋のでき具合と味は「どこの家にも負けない」という自信が父にはあった。隣近所、みんな自給用に作っている時代だから、作業の珍しさなど考えることもなかった。収穫が済むと、すくもと呼ぶもみ殻の中に保存、1年間の食材にになる。

 映像でみる苗植えは、マルチシート越しに開けられた穴に苗を「差し込む」方式になっている。これなら園児もしゃがんで楽しみながら植え付けできるし、中腰の苦しさは無くてすむ。シートがるので雑草を敷き詰める必要もないだろう。「おおきくな~れ」という園児の声が、いい肥料に変わるのだろう。こうした体験が将来の日本農業につながってと願う。
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けが防止怠らず剪定

2013年05月29日 | エッセイサロン
2013年05月29日 中国新聞「広場」掲載

今月中旬の広場欄。入院中のリハビリヘの感謝の気持ちが掲載されていた。投稿者は元上司だった。問い合わせると、庭木の剪定中にけがをされたそうだ。

 私は毎年、梅雨入りまでに庭木の枝切りを済ませる。四十数年続け、年数は長いが、満足する枝ぶりはあまり経験していない。

 還暦を過ぎてからは、仕上がりよりもけがをしないことに意を注いでいる。今年は元上司のこともあり、例年以上に気を使った。

 特に、脚立の転倒防止には気を使い、脚立を移動するたびにしっかり固定を確認する。また、不安定な姿勢にならないよう気を配り、枝切りをした。

 しかし、アクシデントは起きるものだ。突然、大きなハチが顔の前に現れた。とっさに、かぶっていた麦わら帽子を手にして追い払つていた。

 2㍍ほどの脚立の上のこと、転倒しなかったことにほっとした。あのハチが、安全への心構えの大切さを再認識させてくれた、剪定ばさみを持ち直しながらそう思った。 
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静かな入り

2013年05月28日 | 自然 季節
            

 昨日は九州、中国、四国が、今日は近畿と東海に「梅雨に入ったらしい」が出た。明日は関東・甲信越にも出るという予報。各地とも平年より10日あまり早いとか。過去には5月上旬に梅雨入りしたこともあるそうだから、気ままな自然の移り変わりを人間の科学はまだ解ききれず、数式化できていない。挑戦はしても永遠の課題かもしれない。

 梅雨入りの兆しは素人にもつかめ始めた。気象観測技術の進歩で正確な梅雨前線の位置が気象情報としてTV画面で示される。沖縄から奄美へ、前線が九州へ達する前に沖縄・奄美を梅雨末期の豪雨が襲う。そして前線が九州へ掛かると一気に本州を北上する。

 梅雨本番、その前に短いけれども「梅雨の走り」や「走り梅雨」などとうっとうしい現象が見られるが、今年はいきなり本番になった。入れば出はいつか。梅雨末期の激しい雨を「送り梅雨」呼ぶそうだが、これを越えなければ真夏はやってこない。子どもらの夏休みの始まるころだろうか。

 この梅雨入りは夜半にわずかなおしめり、朝方、一旦やんで子どもらの登校姿が終わったことから降り始めた。夕方から少し雨足は強まったがそれでも雨音は静かだ。梅雨といえば「苗代」や「代掻き」の、のどかな光景を思い出す。牛や馬が田をならす、足踏み水車で田に水をくみ上げるなど、硬い脳には更新できない残像が幾枚も残っている。早苗とりのないこの頃の田植え、梅雨の風景を一新してもう長い。文化財として伝えられている伝統の田植え姿、長く保存してと願う。
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殺虫剤の効能

2013年05月27日 | 生活・ニュース
            

 ドラッグストアーの殺虫剤特設コーナー。盆踊りの櫓に似た飾りに積み上げた商品、その下で子どもらに風船のサービスをしながら販売員が効能と買い上げのお願いをしている。懐かしい渦巻の蚊取り線香はその中には見当たらない。

 家には庭木や花の葉を食する虫と蚊に使用する2種類の殺虫剤を買い置いている。蚊に対するその効能はTV-CMほど素晴らしいとは感じないが、追い払うには簡単で大きな力を発揮する。しばらくすると羽音が聞こえ始める。また追い払う。繰り返しになると、ひと吹きで蚊がバタバタと落ちるあのCMに大きな疑問を抱くのは我が家だけか。

 木や花へくる虫退治の殺虫剤は農薬という意識で葉に吹き付けている。決した風下側からは作業しない。薬を浴びた虫たちはその場で地面に落ちる時もある。難を避けて逃げおおせた虫もある。吹きつけた後には虫からの食害は減る。しかし、駆除は完全ではなく次の虫が現れる。彼らも子孫を残すために懸命に行動している。

 そんなある日、花の陰から蜂が飛び出したてきた。手に持っていた花用の殺虫剤を吹きかけた。正面からぞれを浴びた蜂は、蚊の殺虫剤CMののようにバタリと落ちた。これは新発見といううか初経験だった。それから2度、巣作り中の蜂を含め、蜂には悪いが経験を生かした結果はひと吹きで蜂の戦力を奪った。

 これまで、蜂の巣を見つけると「蚊」用の殺虫剤を吹きかけていた。飛び立つ蜂に向けて吹きかける。完全撃退には緊張と殺虫剤と少しの時間が必要だった。花用の殺虫剤はその難題を簡単に解決してくれた。「野菜にも花にもやさしい殺虫剤」とラベルには優しい文字が印刷されている。

 中国地方は例年より10日あまり早く「梅雨入りしたもよう」と気象庁。「もよう」であって確定ではないと気象予報士、確定日は後日決まるとか。今年の蚊の発生状況、花粉のような予測はできないのだろうか。
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昨日の今日

2013年05月26日 | 地域
            

 大都市の中心地域ならいざ知らず、地方では公共交通機関を利用してお出かけください、という呼びかけでは集客できない。特に郊外型の店舗では、店舗面積に匹敵、またはそれ以上の駐車場が必要になる。それが行政区域を越えた集客へとつながる。

 広々とした駐車場,、空きはないかと探しながら、繁盛している、店内は混んでいるのだろうなどと思う。やっと見つけたスペースにとめる。帰りのためにそこがどの位置になるか、目当てになるものを覚える。通路や柱などに記号や番号がついていると、高齢者は助かる。

 屋外駐車場はこれからの季節、買い物を終えた後が悩ましい。車体は触れないほど許容を越えて熱せられ、車内はサウナ風呂状に、ハンドルもうかつには握れないほど熱くなっている。屋根付きの駐車場、雨降りや暑い日には空き待ちで込み合っているのは人の心情だろうか。自分もその中の一人に含まれる。

 スーパー出現の前、小さな商店街だが特に込み合う盆暮れの時期には、その通りにある市場前の広場が駐輪場になっていて、よく利用した。当時「大買い物をした」といっても自転車に積めるほどだから、今の車での買い物に比べればささやかだったと思う。

 駐輪場時代のころ田畑としてその使命を果たしていた場所が、今は広い大型店舗とそこの広々とした駐車場に変わり、賑わっている。その結果、小さな商店街の人通りは消え、復活の兆しの見えない通りのシャッターには錆が浮き出ている。これが「昨日の淵は今日の瀬」ということだろう。往時の落ち着いた賑わいには人懐こさがあった。
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梅が膨らむ雨

2013年05月25日 | 自然 季節
            

 このところ最高気温30度超えの夏日が続いているのは市内北部、周囲1000mクラスの山に囲まれた町。県都山口市も30度連続の日が記録更新中という。天気予報ではそんな暑さの訳を解説しながら週間予報に移る。「来週は梅雨の前触れ、もしかすると梅雨入りになるかもしれない」と暑さが和らぐものの、雨でうっとうしくなることを伝える。

 梅雨の雨といえばシトシトと続く長雨が子どものころのイメージ。だが、最近は激しく降る、これを「篠突く雨」と呼ぶそうだが、そんな降りが繰り返しやってくる。その激しさは各所で人命を含む大きな被害を発生させている。

 それでも梅雨の雨は日本の農業には欠かせない自然の恵みだ。特に稲作には欠かせない。また、この季節に雨が降ることで梅の実が大きく膨らむという。このことから「梅の雨」が変じて「梅雨」になったという伝えもあるとか。

 県内の梅雨入りは6月5日が平均とか。今年は少し早目になるようだ。梅雨の花の一つアジサイが今朝咲いているのに気づいた。鉢植えの小さな1本だが季節に合わせて忘れることなくやってくる。こんな来訪者ならいつでも歓迎する。
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新調ネット

2013年05月24日 | 生活・ニュース
            

 種苗店には夏の野菜と花が多種類並ぶ。小さな説明書きには見事な生りものや鮮やかな花が印刷されていて、購買意欲をそそる。今年はこれまでほど節電を言われないが、その一助となる緑のカーテン用野菜ゴーヤも多い。接ぎ木苗はそうでない苗の倍の値がついている。省エネと夏野菜を兼ねたゴーヤ植えは、園児から官公署まで年間行事に組み込まれているようだ。

 朝顔を育てるに欠かせないのがつるの自由な伸びを助ける支柱、一人で立てるとなるとそれなりの訓練がいる。訓練だけは何十年も積んできたが、その学習効果はさほど残っていない、と毎年感じている。昔は竹でこまい風に作っていた。それが全て樹脂製に代わった事で工夫代が少なくなったと勝手に思っている。

 今年は20年以上使っていたネットを新しくした。ひし形に編まれ使い勝手はよかった。ひとつ難点は網目が大きすぎ、人の頭が簡単に抜ける網目で、宙に舞うつるの伸びを手助けしていた。そのネットも長年の酷使で、つると一緒に鋏で切られた糸の結び目が数多くなり、ひし形はいびつ形になっている。樹脂製なので少しもろくもなている。散歩がてら見ているよそ様のネット、代えるなら正方形で網目の小さいほうがよさそうだと感じていた。我が家の植え方にピッたしのサイズを見つけ、切り替えた。

 朝顔にとってネットは育つためのよりどころ。よりどころになるからには頼りになる物でなければその用を成さない。今度のネットは願いにかなう用をなしてくれよう。このところの株価のようにつるが伸びて欲しい。株価はまだ花となり実となるには時間がかかりそうだが、朝顔はひと足早く花を見せてくれるだろう。朝顔に実がつき始めるころには株価にも花や実が見え始めるといいのだが。
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初めての経験

2013年05月23日 | 生活・ニュース
           

 「完成しました」と印刷所からの電話を受け、その日の午後の予定を変更して受取りに出かけた。手にしたのは初の自費出版「日々のことを徒然に」。その部数はわずか100部だが、抱えたとき、これまで経験のない重さを感じた、といえば過ぎるかもしれないが、それから2カ月が過ぎた。これまで多くの人に読んでもらえ喜んでいる。今、保存用の数部を残すのみになった。

 ブログの1年間分を1冊にまとめ製本して6冊並べている。製本はエッセイサロン代表Oさん手製の製本機を借りて完成させる。製本機の良さもあってのことだが、ただ印刷された紙に表紙がつき本の形になると、内容は稚拙でもそれを越えた姿に変わる。並んだ背表紙だけ見ると何かの企画本かと見間違いそうだ。表紙という化粧紙がつくと、事実は小説より奇なり、ではないが本という形は思わぬ力を発する。

 そんな本の力をこの歳で実体験できた。、ここに至るには同好仲間の支えは勿論ある。投稿を読んだと感想を送ってくれた人、載ってたと声をかけてくれた人、切り抜きを持ってると見せてくれた人などを思い出す。こうした励ましとの出合いも、積み重ねた100部の力になっていると感謝した。

 ぶすけているつもりはないのに「笑顔ができるじゃ」という辛口の評をもらったのは、新聞2紙に出版が紹介された記事に載った写真。思ってもいなかった笑い顔に自身も驚いている。撮り手の記者の話しに乗せられ笑わされた。と思っていたが、出版の嬉しさが本心現れたのかもしれない、今はそう思っている。あんな顔は二度と経験しないだろうと思いながら。 

  
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珈琲

2013年05月22日 | 回想
            

 サラリーマン後半は仕事でもコーヒーをよく飲んだ。打ち合わせ、相談、お願い、調整、打診、伝達などなど多くの職場に出かけていた。文字にすればみんな同じ用件に見えるが、用件ごとに内容は微妙に違っていた。突発もあったが約束して出向くことの方が多かった。

 どこの職場にも懇親会費で備えられたコーヒーがある。それをいただく事が話しの始まりだった。多い日には10杯くらい飲む日もあっただろう。嫌いではないので断ったことはない。コーヒーといってもインスタント、だが、数は少ないがドリップ式の職場もあった。味はそれぞれ違ったがドリップ式に軍配を上げた。自分は濃いめを好んだ。

 「コーヒーを寝る前に飲むと眠れない」、多くの人から聞いたのでこの話は本当なのだろう。と思うが、「1日が終わった」という区切れで飲んでいた。それがいつしか習慣になり、飲んで寝るがことが癖になった。変な話だがコーヒーが睡眠導入剤の役目を果たしてくれたのかもしれない。ほかの人と何か違うんだ、そんな意識をしながら「眠れない」に話を合わせたことはよくあった。

 今は茶葉の収穫時期、季節の風物として産地では賑わいが見られる。子どものころは畑周りの茶葉を摘み、茹でて揉んで干して自家用のお茶になっていた。薬草も煎じてお茶代わになった。ペットボトルなんて夢にも無いころには、畑にやかんを持って出かけていた。そんな時代を過ごしてきた母が、「朝食はパンとコーヒー」に変り、食間のお茶もコーヒーになった。時代に遅れまいとしたのか、コーヒーに魅せられたのか、美味そうに飲んでいた。

 先日、お訪ねした家でサイフォンでたてたコーヒーをいただいた。サイフォン、この前はいつサイフォンコーヒーを味わったか思い出せない。水が上がって下がる、理科の理論を実験する器具そのままなのに、コーヒー豆のひき具合、抽出の時間調整で味を操作できるという優れもの。母はこうした上等なコーヒーを飲んだことはない。
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