退職から16年、現役のころの垢も匂いもすっかり抜けきり、普通の市民になっている。街で出会うかっての会社仲間も顔は記憶しているが名前をサッと思い出せない人も多くなり時間の経過を感じている。先般も会社OB会で、胸に付けた名札を見て話し始める人も増えた。こうなると会社情報にも疎くなる。
とはいっても事故発生の報を聞くと被害の小さいことや早期の稼働を願いながら、現役のころ遭遇した事故のあれこれを思い出すのはOB根性だろうか。また、社宅や保養施設、社員クラブの閉鎖、その一部は売却され、それに続く解体などを見ると我が子がつまずいたような心配心が目覚める。創業時を支えた歴史の一つが消えるのを惜しむのはやはりOBかもしれない。
昭和の初め、石油化学の日本での先駆けとなった工場は海外技術導入が主流だった。外国技術者の応接として和洋の施設がもうけられた。その一つ、和の施設は錦帯橋近に建つ藩政時代の武家屋敷があてられた。石化技術はやがて自社技術を輸出するまでに進歩したが施設は維持され社外交流の施設になった。私的には定年までの20年あまり随分お世話になった。
この和の施設は散策路の一つにあり、いつも手入れされた庭園などを眺めていた。閉鎖された噂を聞いて以降は手入れされないことが外観からも感じていた。そこがついに解体され整地が進んでいる。岩国城を見上げる静かな和の空間が消えるだけでなく、なにか大きな失せ物をしたように寂しく感じる。そう思うのは古い人間の性かもしれない。
しばらくの間、和洋の施設の予約受付の仕事をしていました。
tatu_no_koさんはご職種柄、上お得意様でしたね笑。
社内を颯爽と歩かれる姿が目に浮かびます。
輝かしい歴史が一つ一つ消えていきますが、tatu_no_koさんのブログを通じて改めてその尊さを感じさせていただいています。
これからもOB根性全開で!どうぞお元気に綴っていただけますように心より願っています。
無理な予約をお願いしたのではと思い出します。
時代の趨勢でしょうが、思い出の施設が姿をなくす、やはり寂しいもです。
どんなに変わるか、散歩しながら撮っておきます。
ご推察の通り横山で、もみじ谷付近です。
すでに整地が進んでおります。