三国軍事同盟の締結 5 ソ連の外交政策

2017年06月16日 | 歴史を尋ねる
 三国同盟側にソ連を引き入れることの不成功にはバルカン問題が大きな理由であったが、この外、更にソ連の基本的な外交政策上の大きな問題があった、と斉藤良衛は解説する。斉藤の著書「欺かれた歴史」の出版時期は昭和30年1月。大戦後の米ソ対立の世界情勢も知っているので、後知恵的なものもあるかもしれないが、当時のソ連を斉藤がどう見ていたか、或いは松岡がどう見誤っていたか、見ておきたい。

 ソ連の外交政策には、二重性格が認められた、国家主義的政策と世界主義的政策とが。ソ連の建国以来の外交方針は、いうまでもなく世界共産主義の実現であり、一切の資本主義国を打倒して、プロレタリア独裁の唯一の世界をつくることにあるが、ときに、国家主義的に行動する。一方で世界主義的は国是を持ちながら、建国以来つねに自国の繁栄と膨張のための政策をも実施し、バルト海やダーダネルス海峡への進出政策、ペルシャ湾や大連湾等不凍港獲得政策といい、帝政時代の帝国主義と、何処に違いがあるか分からなくなる。しかし他面、各国共産主義者を統制指導し、国境と民族とを超越した赤色世界帝国をつくろうと務めた。しかもこの二つの政策が破綻なしに関連づけられ、このためソ連外交の性格が掴みずらく、他国が誤る場合が多い。第二次大戦における米ソ同盟が、はじめは偉大な同盟と呼ばれ、のちには奇妙な同盟と称せられるに至ったのはこのためだと斉藤。ローズベルト大統領から見ると、先ず警戒すべきは枢軸国ということか。
 しかしながら、と斉藤は筆を進める。ソ連外交の二重性格は事実は共産主義本来のイデオロギーである世界主義を根底にしたもので、世界主義実現に至るまでの一方便として、一時的に国家主義がソ連外交にこうした外観を見せるに過ぎない。スターリンは、レーニン主義とマルクス主義が均しく共産主義でありながら、実質的には著しい相違がある、マルキシズムは革命前期における共産主義だが、レーニン主義はロシア革命の鉄火の中で生成して性格を変え、民族的な枠をはみ出し、その闘争は国際的舞台に移すべきだと、その著「レーニン主義の根拠」で明言し、マルキシズムはもはや革命の戦略と戦術を教えるものではないとも言った、と。

 レーニン主義は、本質的には赤色世界主義であるが、政治経済および社会的情勢が、各国により地域により同一でないから、ソ連はこれを一緒に赤化することの不可能を知り、実情に応じた外交政策をとることを止むなしとして、各国共産主義者をたえず指導している。1928年のコミンテルン大会では、工業国に対してはプレロタリア独裁政治樹立のための活動を指導し、農業国については、先ず大農打倒のための農地改革の戦略と戦術を指令した。また、東洋の植民地には民族解放運動を指示しているが、これは他日プロレタリア革命の下準備に過ぎないことは、農業国に対してと同じである。ソ連の民族解放運動が、民族の開放でないことはいうまでもなく、いわゆるソ連式民族解放運動は、運動をまず共産主義者の指揮下に置き、次いで民族をソ連式の共産主義革命に持っていくことの狙いに過ぎない、と。
 他面、ソ連は時の情勢に従って、一時的に戦略を変える。他国に赤色革命の気運が漲ったと見ると、当該国共産主義者に対して、暴力革命への驀進を命令するが、その気運が高まらぬ時は、主として住民大衆の経済的困難等に乗じて、日常闘争を展開し、上手に指揮して、「経済闘争から政治闘争へ」または「一部闘争から全部闘争へ」のスローガンが実行に移される。「一歩後退、二歩前進」、暴力と平和攻勢が、チャンポンになされる。レーニンは進を知って退くを知らぬ馬鹿さを指摘して、ジグザグ戦法を説いている。世界共産主義運動から国家主義への一時的転換も、この戦法の一つの現象である。スターリンが第二次大戦を「ロシア大祖国防衛の神聖戦争」と叫んだことはこうした目で見なければならぬと、斉藤。

 ソ連を枢軸国に引き入れるための日ソ国交調整の考案者は、軍部にしろ、文官グループにしろ、ヒトラー、ムソリーニにしろ、みな事実上は、国家主義的ソ連だけを考えに入れて、世界主義的ソ連に目を塞いだ。ソ連の世界主義の前には、日本もドイツもアメリカもない。一切の自由主義国を倒すこと以外には、振り向こうとはしない。特定自由主義国と協調して、他の自由主義国を向こうに回すことなどは、一時的方便として以外、考えようとはしない。ソ連は各自由主義国内の共産主義者の活動に期待を寄せ、時が世界の体勢を自分に有利に展開させてくれるものと確信し、自分から戦争に飛び込んで、貴重な力を消耗することを、愚の骨頂と考えている。ソ連の世界赤化の戦術は、自分が決して表面に立たない。バルカンの侵略、中国赤化、朝鮮問題など、ソ連は民族解放工作の表面に立ったことがない。自分が動かずとも、各国共産党が自国をソ連に売る仕組みが出来ているから。ソ連は世界のすべての共産主義者が、各本国の規律に服する義務を否認し、コミンテルンだけが、彼らに対する支配権を認めているものとしている。コミンテルンの規定によると、世界共産主義者のソ連防衛義務並びに共産主義者の真の祖国がソ連であることを定め、ソ連は各国共産党員に忠誠を要求し、各国共産党員は、自ら承認した規約によって、この要求を受け入れている、と。

 当時ソ連はアメリカが参戦し、戦争が長引くことが望ましい。将来の強敵となるアメリカやドイツがともに疲れ切って、それだけにソ連の実力は相対的に増大する。そこでソ連は一度ドイツの誘いに乗った形で、これと不可侵条約を締結したが、その付属密約で、バルト沿岸諸国やポーランドにおける特殊地位の獲得に成功すると、ソ連は手のひらをかえすように、ドイツに背を向けだした。ドイツが三国同盟の際の日本との約束に従って、ソ連に同盟への同調を求めたのは、ちょうどその頃のことであった、と。ヒトラ―もスターリンに手玉にとられたと、いうことか。英国はドイツとの国交がうまくいかぬと見た頃から、早くもソ連との国交調整を試み、米国も横から助けたが、ソ連の態度はあいまいで、他方ひそかにドイツとの間に、バルト海方面の領土分割の外交取引を開始、ドイツは喜んで、対英仏戦争の後方の憂いを除くため、ソ連の要求をほとんど容れ、電光石火に独ソ不可侵条約を締結。しかしこれと同時にソ連と米英側との話し合いが進められ、遂にソ連はドイツから離れた。しかしアメリカもイギリスも、ドイツも日本もソ連との握手を真面目に考えたことは、ソ連の当時の行動を勘案すると、甚だ理屈に合わない、三国同盟が日ソ間の握手を最大の望みとしたことの矛盾は、この同盟に対する日本の期待が裏切られる原因で、自明のことであった、と斉藤は振り返る。
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