開戦前夜 日米諒解案の生成 7(「ジョン・ドゥ」工作)

2017年07月15日 | 歴史を尋ねる
 日米交渉における”神父工作”について、米国務省当局者は、「ジョン・ドゥ」工作という呼称を与えていた。国務省公文書で、「ジョン・ドゥ」工作という呼び方が現れるのは、4月5日付けホーンベック顧問のハル長官あて覚書からであった。ジョン・ドゥとは、一般に無名の私人を指す、神父あるいは井川理事という私人が中心になっている工作であることを意味し、交渉があくまでも日本側の提唱によると理解していることを明示している。一方、井川理事も岩畔大佐も、神父たちの説明で交渉は米国側の意向によると、解釈している。この点が、日米交渉にゆがみを与える大きな要因になるわけだが、そのうえ、交渉を終始して性格づけたのは、日米の考え方の相違であった。岩畔大佐をはじめ井川理事、そして野村大使も、工作による交渉は一種の高級政治折衝だと理解しているが、ホーンベックに代表される国務省側は、外交交渉はどんなものにせよ、政治の原則にもとづく交渉以外にはあり得ない、と考える。その意味で、「ジョン・ドゥ」工作は、非合理かつ非現実的であるとしか考えない。

 ドラウト神父は岩畔大佐と会談した後、4月4日、ウォーカー長官経由でハル長官宛てにメモを送って来た。米国がドイツに対し防衛的行動をとっても日本は米国に軍事的行動をとらないこと、また米国による日支和平調停、日本商船隊の大幅提供その他を岩畔大佐は承知した、という。神父はこれらの内容を含む調停草案についてのハル長官の意見を求め、もし日米交渉が失敗すれば、日本の指導者たちは自分たちが支配力を失い、南西太平洋で戦争が勃発すると信じていると告げた。おかしいではないか、日本は米国の参戦については三国同盟で正反対の態度をとる約束をした、ローズベルト大統領に日支和平の仲介を頼むなら、先ず日本が本気で公正な対支和平方針を示すべき、商船隊を提供するというが、日本自身が船舶不足に悩んでいる、ホーンベック顧問は苦々しく批判した。

 岩畔修正案は4月9日、ドラウト神父からウォーカー長官経由でハル長官に届けられた。ドラウト神父はその際、在支日本軍は日支和平が成立すればその後二年以内に撤兵する、仏領インドシナに進駐している日本軍もアジアに公正な平和が確立され次第に撤兵するなどの諒解が出来ている、と報告した。ホーンベック顧問は、4月11日、日本側提案に対して米国側が対案を出す必要はない、とハル長官に進言。少なくとも訪欧中の松岡外相が帰国の途につくまで、対案を提示すべきではない、日本側は合意を望む以上のものを提案に含めてきている。我々が対案を出す時には、取引する立場で行うべき、日米間にどんな合意が成立しても、世界情勢を変化させることはない、日本の指導者たちは、ヨーロッパおよび太平洋の具体的情勢を判断して、南進するかどうか決定するに違いない。ホーンベック顧問は、この際米国は断乎たる態度と断乎たる意志を日本側に表明する、米国はその政治原則を守るために戦う用意があること、日本の南進は必ず米国の武力抵抗に遭遇することを、とくと日本側に理解させるためあらゆる努力を払うべきだと強調した。
 11日夜、岩畔大佐は修正案が米国側からドラウト神父に返って来たと連絡してきた。「なんら修正なく、米政府側の諒解を得た」と神父はいっている、という。「あとは大使から正式に提案していただければ、米政府は公式に交渉に入って妥結する意向だといわれます。さっそく、案文の作成に取り掛かります」 岩畔大佐は、どうやら国務省の事務官僚の中には反対意見も述べた者もいたらしいが、ローズベルト、ハル、ウォーカーの三巨頭は合意したというドラウト神父情報を告げ、「こりゃあ、どえらいことになりそうですなぁ」と喜声をあげた、と児島襄は記述する。こんな簡単に米側が諒解すると考えた日本側の短慮にほとほとあきれるほかはないが、これが事実だとすれば、ドラウト神父は明らかにスパイである。こうした危ない橋を渡っていることに何ら疑わないでいる日本人関係者が当時のわれわれであったと、考えてみる必要がありそうだ。表面では米国との戦争を考えているように装いながら、裏では米国との戦争を懼れている気持ちが、甘い言葉に何の疑いも持たず飛びついた、そんな絵柄が見えてくる。

 岩畔報告を裏書きするように、ハル国務長官から14日、ホテルで会いたいと連絡が入った。ホテルで落ち合うと、ハル長官は、前日の松岡外相のモスクワで調印した日ソ中立条約に軽く触れ、またヨーロッパ戦況や日米経済問題なども話題にした後、「ジョン・ドゥ」提案を取り上げた。「じつは、先日、日米両国関係の調整に関する非公式提案を受け取りましたが、この件について貴大使もご関係と聞いたが、本当でしょうか」 ハル長官はホーンベック顧問、ハミルトン部長の意見を聞き、原則的協定案と岩畔修正案を検討したのち、どんな機会にせよ日本との広範囲な対話をするチャンスを逃すべきでない、もう一つ、英国とオーストラリアから日本の南進を防ぐ措置を講じてほしい、との強い要請があったと同時に、ヨーロッパ参戦を決意している米国にとって、日本との戦いは出来るだけ避けたいこともあった。野村大使はハル長官の発言でますます神父情報が確かめられた想いで、「よく知っております。まだ本国政府には送っていませんが、十分な理解を期待できます」と答えた。 そして野村大使は、いま成案を作成中だが、国際情勢からみて日米関係の改善は一刻も早い方が良いから、宜しければこの非公式案を基礎にして交渉を進めたい、と述べた。ハル長官は、その作業はいつ終わるのかと訊ね、「交渉開始となれば、その前にいくつかの原則について貴政府の意向を確かめて頂く必要のありましょうが・・・・いずれにせよ、交渉は貴大使以外の者とは致しません」ハル長官はそう付け加えて野村大使の右手を握りしめた。交渉開始に同意した発言と解釈してよいであろう、と児島襄。児島氏はいくつかの原則についてここでは触れていないが、これが所謂ハル四原則を指しているならば、日本にとって前提条件付き交渉開始とも解釈される。事実関係はすぐに判明する。しかし野村大使が理解できたかどうか。

 16日、野村大使は最終案を国務長官に提示すると、大使によれば、ハル長官はその「日本人及び日本人の友人たる米人の作成した」諒解案によって交渉を認める日本政府の訓令を得てほしい、といった。ハル長官は野村大使の英語能力はギリギリの線なので、しばしば自分が述べた問題点を理解したかどうか不安だった、と回想しているが、当時通訳は置かなかったのかな? ハル長官はこの日の会談で主要な論点はすべて列挙していた。「米政府に関する重要な前提問題の一つは、貴政府が解決策を推進する意思と能力を持っていることを、あらかじめ明白に保障されるかどうかである。つまり、現在の武力による軍事征服主義を放棄する意思がおありかどうか? 政策の手段として武力行使を放棄し、わが政府が国際関係の基礎として宣言している諸原則を採用する用意がおありか?」ハル長官は、その諸原則とは、①領土の保全と主権の尊重、②内政不干渉、③機会均等、④太平洋の現状維持、の四原則だ、と述べた。野村大使は、「日米諒解案」の大部分は合意できるか、と質問した。いくつかはすぐに合意できる、修正すべき点もいくらか目につくし、当方から提案したいこともある、とハル長官は答え、静かに付け加えた。「いずれにしろ、貴政府がほんとうに心から政策を転換しようとしておられるのであれば、提案されるあらゆる主要問題について、公正かつ満足すべき解決策が見出し得ないはずはないと思う」 このようなハル長官の発言は、野村大使の回想録にも報告電にも記述されていない、と。ハル長官が指摘する四原則は、もし厳密に適用すれば、満州事変から支那事変に至る日本の歩みは真っ向から否定される。だからその覚悟はあるか、とハル長官は訪ねているのだろうが、では既成事実の尊重を主旨とする「日米諒解案」もまた、四原則の壁の前で足踏みせざるを得ないのではないか。貴政府の政策転換の意思についてハル長官は言っているが、米政府の政策転換の意向は触れていない。交渉する気持ちがあるのか、ととっさに反発したくなるはずだが、日本側の反応は違った、と児島襄。日米間の話合いの扉が開かれた喜びと、米国側に合意の用意があると繰り返す新譜情報のおかげで、日本側は一致して希望的観測の中に身をひたした、と。

 野村大使は直ちに「日米諒解案」文を打電すると共に、交渉開始の許可を求める請訓電も急信した。岩畔大佐も東条陸相、武藤軍務局長、田中新一参謀本部第一情報部長に連絡して、速やかな回訓を要請した。井川理事は米政府首脳は承知済みだという神父情報を前提にした報告を近衛首相に郵送した。井川理事の報告内容は、交渉の妥結はすでに既定と見做し、書簡の大半はホノルルでの日米首脳会談の人選問題に集中していた。
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