日米交渉決裂の裏(米国の本音)

2017年11月30日 | 歴史を尋ねる
 東郷外相は、11月5日の御前会議で、12月1日午前零時までに日米交渉を行い、不成功の場合は武力を発動する、という新「帝国国策遂行要領」が決定された後、野村大使にまず「甲」案で交渉を開始するよう野村大使に指示した。
 電報はすかさず「マジック」で補足解読されたが、「甲」案・「乙」案の解読は米国側に微妙な作用を及ぼした。国務省顧問ホーンベックは、かねて重慶情報が伝える日本軍の行動開始説を裏付けるもので、一種の陽動作戦とみられる、蒋介石政権援助を強化して対日警告を行うべきだ、「強い態度だけが日本の行動を抑止できる」というホーンベックの持論の表明であった。だが、陸海軍責任者はその種の対日強硬姿勢に反対、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルと海軍作戦部長ハロルド・スタークは連名で大統領に意見具申した。米国の軍事的主目的はドイツ打倒である。日本に対しては極東防衛力の強化で対処すべきである。①対日軍事行動は、次の事態が発生した時のみ発動されるべき。A.米国領土、委任統治地に対する日本軍の直接的武力攻撃。B.タイ領土、チモール島、ニューカレドニア島、ロイアリティ群島に対する日本軍の侵入。 ②対日開戦を避けるため、米軍の中国大陸派遣、対日最後通牒などの措置は取るべきでない。
 
 ルーズベルト大統領は、この陸海軍当局の意見書を読むと、陸軍長官ヘンリー・スチムソンを招き、「マジック」情報が伝える日本側新提案「乙」案を話題にして、「マーシャルもスタークも、時間を要求している。六か月間軍事行動を停止し、その間に日支和平を試みるよう日本に提案してみては、どうだろうか」といった。すでに行われているフィリピンに対する兵力輸送、重慶に対する援助物資の輸送も中断していい、と大統領。スチムソン長官は反対しようとしたが、スチムソンが発言する前に、大統領に届けられた一通のマジック電報を一瞥したとたん、提案を撤回した。電報は東郷外相が野村大使に宛てた極秘親展電で、「本交渉は諸般の関係上、遅くも25日までに調印をも完了する必要がある。右篤とご了承の上、完全のご努力あらんことを懇願す」 解読文を読み終わるころ、ハル国務長官が入室、電文の意味に関する長官の意見を求め、「11月26日以降は、日本はいつでも攻撃を開始する決心を固めたこと、ゆえにわれわれが利用できる時間はあと二十日間であること。この二つでありましょうか」 大統領はうなずき、スチムソン陸軍長官に、さっきの話は無いことにすると伝えた。

 交渉は11月25日まで、というマジック情報は、米国政府に深刻なショックを与えた。11月7日の定例閣議で、ルーズベルト大統領はハル国務長官の「日本はすでに戦争機械を作動させているはずだ」という情勢判断について、一人ずつ閣僚たちの見解を求めたが、全員が同感の意を表明した。では、われわれはどうすべきか。大統領が質問すると、スチムソン陸軍長官は『無策の策』を進言した。「軍事行動を含む現在の政策を維持し、攻撃を含むすべての決断を日本にまかせるがよいと思います」 同席していた大統領顧問ウィリアム・リーヒ海軍大将は「要するにヘンリー(スチムソン長官)は西部ガンマン魂を主張したのだな。まず相手にピストルを抜かせろ、という訳だ。政治の真髄でもある」 先に撃った方が悪者だ、という米国式正義感をスチムソン長官は主張したのである、と児島氏はいう。さらに解説し、相手に撃たせるようにする挑発や謀略はとくに正義に違反しない、世論は明確な行動や事実に反応する。そして、政治が世論を基礎にしているならば、事実をもたらす工作もまた政治の手段となる、と。ルーズベルト大統領も即座にその意味を理解し、「日本が太平洋で英国、オランダに攻撃を加えた場合に、われわれが日本に挑戦したら国民は政府を支持するだろうか」といった。イエス、その際は正義の名分が成立するだろう、というのが閣僚たちの返事であり、閣議の決定でもあった、と児島襄氏。さらに児島氏は解説する。後に、太平洋戦争が回顧されるとき、この米国の方針は論議の対象となり、ルーズベルト大統領は対ドイツ参戦のために、日本を追い詰め、挑発した、「裏口からの参戦」をはかった、と指摘される。だが、そういった「裏口政策」も、つまりはこの日の閣議で主張された米国式正義感の産物に照合すれば、しごく自然な米国式政治作法とみなされる、と。確かに、マジック情報で日本政府の動向も承知していたし、いかようにも料理できるのがアメリカの態勢であった。余裕をもって、米国式政治作法が採用できる、という訳か。
 
 元駐独大使であった来栖三郎は、東郷外相が日米交渉で野村提督(大使)を補佐するために派遣した大使で、11月15日ワシントンに到着、17日野村大使と来栖大使はハル国務長官を訪ね、そのあとルーズベルト大統領と会談した。いわば表敬訪問であったが、ハルは後日の回想録に、野村と正反対の人物で、私ははじめからこの男はうそつきだと感じた、と酷評している。ハル長官の回想録は戦後に書かれたもので、とくに対日交渉では、米国の平和意図に対して日本は偽りの外交を行って、真珠湾にだまし討ちを加えた、という論旨を一貫して主張している。来栖大使の渡米も、その欺瞞外交の一手段とみなしている。
 ハル長官はマジック情報で、日本政府が「甲」「乙」両案の交渉案を用意し、また11月25日が交渉期限と定めていることも、知っている。日本側のカードはこの甲、乙案の二枚しかなく、しかもゲームの時間も限られている。問題は、日本側の最後の切り札である乙案に対してどのような対案で臨むか、であった。乙案は、交渉の焦点を武力進出の停止と通商関係の回復に絞っている。時間を稼ぐためには、乙案内容に近い日本の関心を引く対案を提示すべきだ。また、交渉打ち切りを承知する場合でも、乙案をはねつけるより、対案を示して日本側に拒否させて行動の責任を取らせる形が、望ましい。ただ、各担当部門は対案がしきりに考案されていた。
 国務省極東部は、日本を支那から撤退させる代りに、北樺太、仏領インドシナ、ニューギニアの西、南、北部のいずれかまたは全部を買う資金を日本に貸し、日本は商船または軍艦で支払う」暫定協定案を考えた。
 また、財務省特別補佐官H・D・ホワイトはモーゲンソー財務長官を通じて、解決案を国務省に提示した。
 ▽米国が実施すること:①太平洋から艦隊を引き揚げ、②期間20年の日米不可侵条約、③満州事変の最終解決、④仏印の共同管理(日、米、支、仏)、⑤対日クレジット供与、⑥移民法廃止、⑦対日資金制限解除、⑧対日貿易協定の交渉、⑨日米分担の円・ドル安定資金設定、等。
 ▽日本が実施すること:①支那(1931年国境)・仏印・タイから撤兵、②蒋介石政権以外の支那政権支持廃止、③支那で使用の軍票の円交換、④支那に十億円援助、⑤ソ連極東軍の撤退に応じて満州撤兵、⑥二割の利潤で現有軍需物資の四分の三を米国に売却、⑦対支、対米最恵国待遇供与、⑧米、支、英、蘭と十年間の不可侵条約締結、等。
 ホワイトはこの解決案が成就すれば、日本のメンツは失わずに支那事変から脱出出来て生存の道が確保できるし、米国にとっても、英米に軍事援助が出来るし、対日戦争が回避できる。協定実施に伴う使う金より日本と戦う方がお金がかかる、と指摘、『解決案』内容の中で、「日本の支那撤兵と軍需物資の対米売却」 この二つだけは実現させる必要がある、と強調した。

 国務省極東部案も財務省案も、日本を完全にアジアから撤退させてヨーロッパ戦争に参戦する、という基本方針に基礎をおいている。結局は『対日屈服要求案』でもあり、日本が承知しない場合、戦争を覚悟しなければならない。とくに財務省案は、後に「ハル・ノート」の基礎になるが、内容が詳細かつ広範であるだけに、全面降伏要求の印象が強い、と児島氏は論評する。確かに、児島氏が云う様に、違和感がある。日米が戦争していないにも関わらず、降伏文書みたいな内容である。そもそも日米交渉の発端は何だったのか。それを考えると・、当時の軍部のみならず、日本国民も納得いかなかったのではないか。経緯からすれば、ハルノートのみで、アメリカ側の解決案は提案されることはなかったが。さらに、児島氏は付け加える。
 のちに、日米交渉を振り返るとき、米国側の担当者のミスキャストが米国内でも指摘されているが、交渉で主要な役割を果たしたのは、ハル国務長官のほかには、ホーンベック顧問と極東部長M・ハミルトン、日本課長J・バランタインであった。ハル長官はテキサス州の判事出身で、ハミルトン部長は典型的な官僚性格者との定評があり、バランタイン課長の小心も名高かった。そしてホーンベック顧問は、支那で育ったので支那贔屓で有名であるうえに、極めて厳格な道徳家を自認していた。これら4人は生真面目で物堅い代りに政治性に乏しい性向の持ち主で、最も政治性を要求される日米交渉には不向きな配役だった、と論評されるゆえんであった、と。さらに付け加えると、ヴェノナ文書によってルーズベルト民主党政権にいた政府高官のなかで、解決案を提案したH・D・ホワイトもソ連のスパイであるといわれている。
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