ゴダールの再来とか、アンファン・テリブル(恐るべき子供)、ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグなどと呼ばれ一時はもてはやされたレオス・カラックスも、恋人のビノシュと別れて以来どうもパッととしない。本作品は、カラックス自身の自伝的要素が強いと言われるアレックス3部作の中の2作目にあたる。
プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の使い方や、『アルファビル』を思わせるお金のかかっていない近未来社会のセット、VFXに頼らない斬新な映像表現などは、確かにゴダールと共通するものがある。が、その個性的な表現によって導かれるテーマに、ゴダール作品からは伝わってくる“深さや重み”を感じないのは自分だけだろうか。
おそらくカラックスはこの映画の中で、心に何らかの重りを抱えた飛べない人間たちを描きたかったのだろうが、背が異常に低く野卑な顔立をしたアレックス(ドニ・ラヴァン)以外の、やくざなマルク(ミシェル・ピコリ)、その情婦アンナ(ジュリエット・ビノシュ)、恋人のリーズ(ジュリー・デルビー)の<心の重り>が十分に描けていなかったような気がしてならない。
デビット・ボウイの「モダン・ラヴ」にのって街中を疾走するアレックスに尾崎豊的なシンパシーを抱ける人ならば、評価が真っ二つに分かれるこの映画はきっと心に響くはずだ。
監督 レオス・カラックス(1986年公開)
〔オススメ度 〕
プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」の使い方や、『アルファビル』を思わせるお金のかかっていない近未来社会のセット、VFXに頼らない斬新な映像表現などは、確かにゴダールと共通するものがある。が、その個性的な表現によって導かれるテーマに、ゴダール作品からは伝わってくる“深さや重み”を感じないのは自分だけだろうか。
おそらくカラックスはこの映画の中で、心に何らかの重りを抱えた飛べない人間たちを描きたかったのだろうが、背が異常に低く野卑な顔立をしたアレックス(ドニ・ラヴァン)以外の、やくざなマルク(ミシェル・ピコリ)、その情婦アンナ(ジュリエット・ビノシュ)、恋人のリーズ(ジュリー・デルビー)の<心の重り>が十分に描けていなかったような気がしてならない。
デビット・ボウイの「モダン・ラヴ」にのって街中を疾走するアレックスに尾崎豊的なシンパシーを抱ける人ならば、評価が真っ二つに分かれるこの映画はきっと心に響くはずだ。
監督 レオス・カラックス(1986年公開)
〔オススメ度 〕