ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いおやじの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

海街diary ~ 小津調について

2017年07月25日 | ネタバレ批評篇


自他共に認める小津フリークの是枝監督が描く、不在の(母親ではなく)父親がつなぐ四姉妹の絆を描いた若草物語鎌倉版である。

この映画、見る人がみれば一発で分かるいわゆる“小津調”の技法が、映画の合間合間で使われていて、テーマもさることながら、かなり小津安二郎を意識した作品に仕上げている。

しかし、是枝が小津調の真の意味を理解した上でカメラを回していたのかはかなり疑問であり、小手先の物真似に終わってしまった感は否めない。

さて小津調とは如何なるものか。誠に手前みそではあるが、下記に自分なりの考察をまとめてみたので興味のある方は暇潰しにでもどうぞ。

(1)ローアングル
子供の視線や、美術費用削減のためだの様々な憶測があるようだが、従軍経験のある小津が戦場に横たわる死体の気持ちになってあみだした究極のアングルだったのではないだろうか。固定カメラがとらえる映像はひたすら静謐で、あの世の風景というよりは、彼岸から娑婆の凡景を覗き見ているような錯覚さえおぼえるのだ。

(2)切り返し
会話している2人がお互いに目線を合わせていないようにわざと撮られており、その目線の先には誰もいない。目線の先にあるのは、戦争のリアリティに打ちのめされ生ける幽霊となった小津その人の虚無的な目ではなかったのか。

(3)消え物
ここまで来るともうお分かりだろう。時間の経過や諸行無常を表現しているという高尚な見方が一般的だが、自分の見方はもっと通俗である。これはまさにポルターガイスト現象。カメラには映らない第三者=ゴースト小津の存在を暗示していたのではないか。

同じような作風の映画の中で、同じ台詞を役者にリフレインさせ、輪廻を繰り返す凡夫の日常生活を正見し、断続する静止画のごとくフィルムに焼き着けた小津安二郎。

役者には一切の演技を求めず、自分の頭にだけあるイメージを何回も演じさせることによって見つけていくような撮影工程だったという。

生涯独身で通し、後進を育てることもしなかった小津の姿勢はしばし独善的とも評されるが、小乗の説く法には則っているといえなくもない。

小津調とは、あの世と地続きの戦場から舞い戻り、幽霊としてでしか娑婆では生きていくことができなかった小津の、一種の悟りを得るための方便だったのではないか。

鎌倉円覚寺にある小津安二郎の墓には「無」の一文字が刻まれている。

海街diary
監督 是枝裕和(2015年)
〔オススメ度 
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 失われた週末 | トップ | さすらい »
最近の画像もっと見る

ネタバレ批評篇」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。