ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いおやじの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

パターソン

2017年09月10日 | 映画館で見たばっかり篇


この映画、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズが町医者兼詩人であり、ジム・ジャームッシュもまた映画監督でありながらミュージシャンとして活躍中という事実を知っていると、より深い理解が得られる1本に仕上がっています。

前作『オンリー・ラヴァーズ…』と同様、アダム・ドライバー演じるバスの運転手兼詩人パターソンに自らの生き方を投影させた、非常にpersonal(≒paterson??)な作品のように私には思えるのです。すくなくとも仏陀の教え(無常=苦しみ)と真逆のことを啓蒙しようとしているような映画などではけっしてないでしょう。

それは、平穏な日常生活自体が(詩人にとっては)どちらかというと“苦行”(円のモチーフ→輪廻→業)として描かれていているからです。どう贔屓めに見ても、アラブ系の奥さん(ゴルシフテ・ファラハニ)は突飛な思いつきだけで行動する困ったちゃんだし、マーヴィンに至っては大切な詩を書きためておいたノートをビリビリにしてしまうダメダメ犬です。

内心では「スーパーでレジ打ちのパートでもして家計を助けてくれよ」とか「ビールを飲んでいる間に誰かワンジャック?してくんないかなぁ」なんて思ってはいるけれど、心優しきパターソン決して口には出しません。

本業であるバスの運転中にも思わぬトラブルが発生し、心身ともに疲れはててしまうパターソン。あの滝のある公園では「面倒なバスの運転手(映画監督)なんかもう止めちゃおうか」と、思い悩んでいたのかもしれません。そこへ日本の詩人役で永瀬正敏が登場するのです。

WCWをこよなく愛するこの男とパターソンの会話がなければ、劇中やたらと出現する2in1の双子たちや、2足の草鞋ならぬワークブーツのアップ、アボット&コステロの凸凹コンビ、白と黒に塗りわけられた内装などのメタファーが何を意味していたのか、気づかないまま映画を見終わっていたことでしょう。(趣味性の強い『ギミー・デンジャー』とのセット公開に踏み切った意図も同じなのかもしれません)

趣味を仕事にしてしまうと途端人生がつまらなくなるという話を聞いたことがありますが、WCWも本業で日常を素直に見つめる目を養ったからこそあんなに素敵な詩が書けたはず。詩人(アーティスト)とはなるものではなく生き方そのものであり、金儲けの道具にしようとスケベ根性を出したりすると日常生活がかくも息苦しく感じられることに、パターソンいなJJは気づいたのではないでしょうか。

大谷翔平をラストに登場させた方がむしろわかりやすかったのではと思えるこの映画、ファンにとってはJJが今後映画監督を続けるかどうかが最も気がかりところ。2刀流の可能性(真っ白なノート)について指南を受けたパターソンが、翌週の月曜日元気に出勤していった様子を見る限り、この人まだまだ映画を撮り続けるようですよ、きっと。

※劇中永瀬正敏が薬指と小指にしていたテープ、自分は見ていないんで断言できませんが、以前永瀬とJJが組んで撮った『ミステリー・トレイン』へのセルフ・オマージュじゃないすかね。その時の役の何十年か後の人物設定とか。日本向けのポスターに使われていたダブルベッドシーンも多分そうですよ。センス👍。

パターソン
監督 ジム・ジャームッシュ(2017年)
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