百醜千拙草

何とかやっています

Taming Ego

2017-04-21 | Weblog
以前、三年ほど一緒に仕事をして、別の研究室に移った人が、遠く離れた新しい職場に間もなく移ります。その最後の研究発表のセミナーがありました。私のところから離れて二年ちょっと経ち、去年の論文を最後に、もう研究上の接点はないのですが、移動に向けてサッパリしたようで、楽しいセミナーでした。出て行く前に一緒に昼飯に行こうという話になりました。

一方で、この三年間、研究を一緒にやってきた別の一人も去ります。研究の外にいろいろな問題を抱えていた人で、一時は、毎日カウンセリングもどきのことをやらざるをえなくなったり大変でした。でも、最初は研究に対する情熱もセンスもあったので、ちょっとでも成長してほしいという気持ちでした。

しかし、この一年はあまり成長もせず、結果も出せず、研究以外でのいろいろ悪いことが重なって、モチベーションも低下し、結局、別のところに行くことになりました。研究や仕事がイヤになるという経験をしない人はいないでしょう。そうなった時にそれでも何故かやめずに続けた人が残ります。彼女には、仕事でイヤに思う部分、バカにしている部分に誠実に取り組んで欲しかったな、と思いがあります。そこをおろそかにしてしまうと研究などやっていけないと思うのです。気分が高揚するような良い研究成果など滅多に出ません。ひたすらつまらないような作業を毎日繰り返して続けているうちに、まれに面白いものにぶち当たるものですし。

本人には面と向かって言いませんが、その問題の根元にあるのは、どうも彼女のエゴです。優秀な成績で大学を出た、自分は人よりも優れているという気持ちが強いのは間違いないようです。であるのに、自分は十分に報われていない、どうして自分は見合った評価を受けていないのかと、彼女のエゴは考え、それが彼女の自信を失わせて、同時にその埋め合わせをするためか、外部にその責任を見つけようとして悪い結果を生むようです。そのように思わせるエゴそのものが、不満や失敗の原因であり、人間の成長、そして成功するための最大の障害だということを、自覚することが改善への第一歩だと私は思います。鬱になったり、精神不安定になるのも彼女の場合は、それが原因のように思えます。

結局、彼女はおそらくそのエゴの存在に対峙することができなかったのだろう、というよりそのエゴの存在さえ自覚していなかったのではないかと想像します。その一点さえ克服していたら随分と違ったのではないかと思うのです。弱点を克服して長所を伸ばせば、大きく成功する可能性があると私は思いましたが、結局は本人の自覚と努力にかかっており、そこは他人がいくら言っても強制することはできません。
ま、自分が他人の役に立ちたいと思うのも、私のエゴなのかもしれません。他人は変えられないです。変えられると思うのは傲慢というものです。

ハハハ、こんなことを私が言う立場になるとは思いませんでした。なにしろ、若い時の私こそ典型的な人の言うことを聞かないゴーマン太郎だったからです。いろいろ、痛い目にあって、反省して、自分で変えたいと思ったところだけ変わりました。私もエゴは立派にありますし、それゆえの嫉妬や妬みも昔はそれなりにありました。幸い、今はエゴは放し飼いにしていてもあまり危険なことは無くなりました。これが年をとることの一つの効用かと思います。

去りゆく彼女を見ていたら、もうちょっとやりようがあったのではなかったのか、と思う一方、結局人は水を飲みたければ自分でカップを傾けなければならないのだ、実は、もっと最初から突き放しておいたほうがよかったのかも知れない、と思う気持ちもあります。

いずれにしても別れは切ないものです。それは感情の問題ですからね。来月、代わりの新しい人が来たら忙しくなりそうです。嬉しいような悲しいような。
他人と近く働くことは難しいです。今年は特にそれを感じます。
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