百醜千拙草

何とかやっています

生物学の行方 (2)

2017-06-16 | Weblog
前回の続きを書く前に、
共謀罪の強行採決、与党の傲慢さには呆れかえりますな。牛歩の果てに、山本太郎氏壇上で、「恥を知れ!」と叫んだそうですが、気持ちはよくわかります。与党のやり方は「卑劣」の一言です。国民ではなく、自分の短期的利益にしか興味がないようです。真摯に国のことを考えて議論するというつもりが全く最初からなく、数にものを言わせて、自分の利益になるような法案を強行採決するするのですから、国会は連中のアリバイ作りみたいなものです。

ま、できれば、しばらく政治の話はしないようにしたいと思っています。こんなデタラメをやっていれば、アベもトランプも遠からず、自滅するでしょう。国民も一方的にバカにされてばかりではいません。上がれば下がり、下がれば上がる。戦後の政治において、現在はまちがいなくドン底です。あとは上がるはずです。残された短い人生、アベ政権のような嫌悪感と怒りしか湧いてこないような汚いものよりも、もっと注意を向けるべきものがあるのではないのかと思うようになりました。汚いものは世の中にはあって、それがどれぐらい汚いかを知っておくことは身を守る上で大事でしょうが、必要以上にそういうものに注意を向けて、怒りを募らせるのは、時間と健康のムダというものではないだろうか、そんな風にも思うようになりました。

さて、前回の話の続きですが、生物学研究は基本的に博物学的な活動であったと私は思っているのですが、それが十年ほど前から急に変わってきたように思います。特に税金を分配する側において、「知識の集積」だけを目的とする研究はほどほどにしておいて、今は、その集積された知識を応用する時期だという意見が増えてきました。

一つの大きな理由は、数年前にアメリカNIHのディレクターとなったフランシス コリンズのTranslational researchへのこだわりだと思います。コリンズはMDであり、早老症の研究者でもあり、ヒト ゲノムプロジェクトを主導したアカデミアセクターのトップです。患者さんに役に立つ研究をしたいというのは、多くの医師/医学研究者にとってのモチベーションであり、その基礎研究を臨床へと結びつけたいという熱意が、かつてあったNIHの機関を閉鎖して資金を回して作った、新しいNIHセンター、National Center for Advancing Translational Sciences (NCATS) の設立に繋がっています。(もう何年も前の話ですが)そのNIH ディレクターの意図をソンタクしたのか、NIHの最高レベルが言っているという文書がNIH各insitutionに回ったのか知りませんが(冗談です)、この「知識の集積の時代は終わった、これからは応用だ」という雰囲気は、各NIH機関ののリーダーシップに共有され、そしてグラント レビューセクションの研究者メンバーにも徐々にその意識が広まり、加えて、これまでの生物学研究の技術的な行き詰まりも加わって、研究の「博物学」しての生物学を支えるために生物工学を利用というスタンス(発見)から、逆に、応用のために生物学知識を利用して、自然界にないものを生物工学技術を使って作り出す(発明)を行うという研究が広がってきた、そのように思います。

それで、この一年の間にサポートが始まった研究がどういうものか、その傾向を見てみました。やはりというか恐るべしというか、純粋な基礎研究のプロジェクトの割合は激減しており、過半数がバイオエンジニアリングやtranslational研究で、生命現象を理解するという目的のものではなく、応用研究です。そのうちいくつかの抄録を読んでみましたが、悲しくなりました。いくつか読んでみたもののうちほとんどは、臨床応用など及びもつかないだろうと思わせるようなものです。良い例えが浮かびませんが、プロペラ飛行機を改良して宇宙船を作ろうとするようなプロジェクトばかりです。どちらも飛ぶものには変わりませんけど、プロペラ飛行機をいくら改良しても月に到達することはできないでしょう。宇宙船の開発には宇宙空間を飛ぶことがどういうことかという根本的理解が必要なのは論を待ちません。しかるに多くのプロジェクトで応用ばかりに注意が向けられるために、それに不可欠な基礎知識を緻密に積み上げるという部分がおろそかにされているような感じがします。もちろん、プロペラ飛行機をちょっといじって宇宙船ができるのなら凄いことですが、たいていの人は荒唐無稽な計画と一笑に付すでしょう。ところが科学研究に関しては、荒唐無稽な計画とイノベーティブで実現可能なアイデアとの違いは必ずしも明確ではないわけで、予備データでちょっとそれらしいデータをつけると、信じてしまうレビューアもいるのだろうと思います。(何せ、数年前には、ほんの数週間でウソがバレるようなSTAP細胞やヒ素細菌みたいなものが一流紙に出たぐらいですからね)皮肉が過ぎますね。

この傾向は焼畑農業を思いおこさせます。そして多分、人々が思っていることは、もはや焼きつくしたので新しく畑を作る場所はもうないのだから違うことをやるしかないということではないでしょうか。一方で焼く尽くして捨てられた畑から、さらに何かを得ようとする努力する人々もおります。何れにしても、従来の知的好奇心に導かれた知識集積のための研究は当面、苦しい目にあうのは間違いなさそうです。



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