日本の風景 世界の風景

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ラトビア  Republic of Latvia

2007-08-11 | 世界地理
1940~1991年には、ロシア人の過酷な支配
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国は、スターリン(ソ連)とヒトラー(ドイツ)の密約により1940年にソ連に占領された。
第2次大戦中、ソ連はヒトラーに協力したラトビア人4万人をシベリアに送り、炭鉱開発・木材伐採などの強制労働をさせた。
第2次大戦後、スターリンの立案した集団農業に反対したラトビア人地主・知識人など5万人を、シベリアに強制連行し、石油パイプラインの建設や第2シベリア鉄道など、過酷な自然環境の厳しい仕事に従事させた。5~10年間の強制労働で半数が死亡し、残り半数がラトビアに帰ることができた。

1991年の独立後、ロシア人への静かなる報復
1991年のバルト3国の独立は、バルト3国在住のロシア人エリートには予想外のことであった。永遠にソ連が存続し、ソ連の枠内ではロシア人の優越的地位が保障されると信じていたからである。
ソ連離脱を宣言したバルト3国は、エストニア、ラトビア、リトアニアとしてそれぞれ独立した。各国では、ロシア人に報復が始まった。スターリン独裁下のソ連が課したような、残酷な強制労働はなされず、理性的報復であった。
ラトビアの人口230万人のうち、ラトビア人は150万人、ロシア人は80万人である。ラトビアではロシア人に対し、ラトビア語の使用を強制したり、旅券の発行を制限したりしている。

自由貿易港の指定
ソ連に属していた当時は、ラトビアは鉄道車両の生産に特化し、ソ連全体に製品を供給していた。しかし、1991年にソ連が崩壊、ラトビアが独立してからは鉄道車両の販路を失い、基幹産業が崩壊した。
ラトビアではリガ、ヴェンツピルス、リエパーヤの3港を自由貿易港に指定した。EUとCISの中継貿易による収益が期待される。3港のいずれもかつてのハンザ同盟都市である。
1991年には国連加盟、1992年にはIMF、世銀加盟、1999年にはWTO加盟、2004年にはNATOとEU加盟している。旧ソ連CIS依存の経済体質から脱出する基礎はできた。


 Ventspils



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