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磐井川、せき止め湖崩落の危険

2008-06-16 | 世界地理
栗駒山を岩手県一関市では須川岳いう。その山頂から磐井川が流れ、名勝厳美渓をつくり、一関市街地を流れて北上川に流入する。その磐井川上流に、岩手・宮城内陸地震(2008.6.14)による山崩れが発生、複数のせき止め湖ができた。もし、貯水量が増えた時にせき止め湖が崩壊すれば、下流の一関市街地に洪水が押し寄せるであろう。
建設省(国土交通省)は、一関市街地が水没しないように、かねてから一関~平泉の水田部分が遊水池になるように、堤防を建設してきた。平泉の世界遺産登録を無にする遊水池建設の大工事であった。もし、平泉遊水池が有効に機能すれば、稲作への被害だけで収まり、世界遺産平泉を破壊しただけの価値はあるかもしれない。
しかし、もし磐井川の洪水が遊水池に到達する前に、一関市街地の磐井川堤防を破壊したり、堤防よりも流量が多ければ、一関市街地は水没する恐れが強い。


(上)仙台市の号外。(下)一関市体育館駐車場に集結する救助救援車両


昔、磐井川原の堤防、岩手県立一関第一高等学校に入学した頃、アイオン台風とキャサリン台風で一関市街地が水没し、その水死体が一関第一高等学校の校舎、それもこの教室の中に流れて来て、いくつも重なっていたものだ、という話を、先輩から聞かされた。そして、その晩に新入生は徹夜で肝試しをされた。まあ、悪い冗談も通用する、ゆとりのある時代であった。

今回の岩手・宮城内陸地震によって、磐井川のせき止め湖ができた。しかし、突然崩壊せず、自然消滅して、アイオン台風とキャサリン台風の時のような悲劇が起こらないことを祈る。

東北大学の地震研究姿勢は30年ごとの大地震周期説にこだわり過ぎているようである。宮城県沖地震から30年、そろそろ宮城県沖で海底大地震が起こり、宮城県に大津波が押し寄せる、仙台市街地は再度崩壊すると、熱心に騒いでいる。
しかし、今度の内陸地震は東北大学の想定していない、栗駒山山麓が震源の大地震であった。知っていた、心配していた、とTVのインタビューに答えていたが、東北大学が栗駒山の地震を心配していたことは、聞いたことがない。
今回の岩手・宮城内陸地震は、東北大学のいう30年周期の海底プレート地震とは成因的には異質であろう。しかし、東北大学の地震予知姿勢には内陸への視点が欠け、その研究能力に欠陥のあることが露呈したのである。東北大学の負けである。
宮城県沖地震・津波のことをマスコミでとくとくと語るのはやめて、青葉山の地震研究所に閉じこもって、地道な基礎研究に戻るべきだろう。
東北大学の名誉挽回のためには、宮城県沖の太平洋海底で大地震が発生し、それもM9クラス、仙台で震度8程度の巨大地震が起こることであろう。そんな巨大地震でも、東北大学の事前警告が功を奏して、耐震構造の建造物には全く被害がない、という状況が現実にならなくはならない。

海の研究費用はふんだんにもらえるが、内陸地震では研究費用がなくて、研究はできない、と思ってはいないだろうが、内陸型の地震はさっぱり研究はしていないようである。

海洋プレート近辺を震源とする大地震が30年ごとに発生するならば、30年間言い続ければ、予想は的中する。30年は長くない。学生が教授になる程度の年数である。
しかし、内陸の断層震源型の巨大地震が1000年ごとならば、1000年間言い続けなくてはならない。言う方も、聞く方も飽きてくる。東北大学の30年周期宮城県沖地震にだって、もう飽きた。いつ、どこで、どの大きさで、が特定しない限り、地震予知の話はやめたらと思う。

今度の岩手・宮城内陸地震(08.6.14)の原因は、地質断層らしい。つまり、人間がいなかった昔むかしの断層が、プレートの力を受け、急激に動いたものである。いわゆる活断層ではない、死んだ断層だが、その死んだ断層が生き返ったのである。地質断層も活断層も、前回の活動時期が特定可能かどうかの違いであり、今後、地震の震源となるかどうか、とは別のはずである。

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岩手・宮城内陸地震の被害が大きかった、栗原市は合併前には宮城県栗原郡築館町であり、考古学上の大発見のあった地域である。地震の地滑り跡などを精査すると、ネアンデルタール人の人骨が発見されるかもしれない。

2001年11月5日の毎日新聞の特ダネ報道で、東北考古学研究所の藤村新一氏の発見した旧石器遺跡の遺物は、調査前に藤村氏が縄文石器を加工して埋めていたものであることが暴露された。
藤村氏が発掘調査に参加した遺跡は、すべて旧石器遺跡とされたのだが、実は、藤村氏の演出によるインチキな調査であった。
座散乱木遺跡(1992年)と上高森遺跡(1999年)の発掘調査から、日本に原人のいた可能性が指摘された。地元栗原市では、上高森原人ブームに沸いた。高校の日本史教科書も書き換えられた。
藤村氏の発掘した石器は、文部省の岡村道雄氏の旧石器仮説に合致する石器ばかりであった。しかし、岡村氏と母校東北大学の責任は問われず、藤村氏を精神異常として、入院隔離してしまった。一部には、藤村氏に石器ねつ造をさせた黒幕がいる、という説もある。






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