五つの心

日本の社会情勢や体の不調を中心に書いております。

メディアの力とネットの力

2017-07-17 22:48:13 | Weblog
メディアの影響力は未だに衰えていない。
民進党の海江田氏が言ったという。
「ワイドショウが騒げば騒ぐほど世論に反映する」と。

未だにメディア影響力は偉大なようだ。

まさに権力だ。第四の権力。

権力は相互の監視が必要だ。
誰が監視するのだ。

悪魔の証明。
根拠のないことでも恰も悪魔が暗躍しているように騒ぎ立て
それを証明しろという。

誰が責任を取るのだろうか。

もう、取る方法はスポンサーへの直接的な
抗議、質問しかなくなってくるのではないか。

「テレビを近代企業にできなかった最大の原因は、
テレビと新聞が密接に結びついてしまったこと。
新聞の広告取りと同じ要領で商売をやってしまったことが、
日本のテレビの不幸の始まりであった」と言われている。
新聞社は長い時間をかけてテレビの全国的な放送網を完成させ、
テレビ局を事実上兼営することになった。その結果として、
お互いがお互いを批判するジャーナリズム機能を弱めてしまうこととなる。
日本のテレビ業界は「共産主義への砦」を旗印に
テレビ草創期を迎えたものの政治的信条とテレビカメラを用意しただけで走り出し、
以後もビジネスの一面だけを重視してきた。

自らのミスや誤報に対して真摯に向き合えないのは日本のマスコミの特徴だ。
間違いを犯しても、自らのミスを別の報道で糊塗し、時間をかけて修正し、
そしていつの間にか、ミスそのものを無きことにしてしまう。
これこそが、これまで幾度となく繰り返されてきたマスコミの欺瞞に他ならない。

重要なのは何が真実かではなく、
何が真実であると人が信じるかである。
マスコミの貼ったレッテルが、そのまま真実になるのだ。

手の届かないものに対して、人間がとる態度は様々だ。
酸っぱい葡萄というイソップ童話にある話は有名だろう。
狐が葡萄を取ろうとするが、どうしても届かない。
狐は、その時こう思う。ああ、どうせあのブドウは酸っぱいんだ、と。
人間は自分の欲求を諦めるためによくこういうことをする。
小学生の男の子が美人の委員長をいじめるのも、一つの欲求の解消法なのかもしれない。
そして、そこには必ず性的な快感も伴う。
マスコミによるパッシングも性的な快感が伴っているのは明らかだ。
そこには、サディズムがある。

良識を捨て去った報道機関というのは、
強力な銃を持って町中に現れた凶悪犯と同じだ。
そして、人々は、その凶悪犯がめちゃくちゃにはなった弾丸に
たやすく心を打ち抜かれてしまう。
マスコミの報道を、まるで自分の判断のように信じ込んでしまうのだ。

それはまるで、原理主義のような宗教のようだ。

戦時下において多くの若者を戦火に送ったのは
マスコミである。

同じ轍を踏むマスメディアに、どれほど信頼があるのか。
信を失った権力はどう暴走するのだろうか。

今後、マスメディアの論調に悪意があるかないか。
それを見極めきれないならば、日本は亡国の憂いをまのがれないのではないか。
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