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高齢化、戦争体験語り継げるか 京都、岐路に立つ団体

2017-08-13 12:13:22 | 民 people
 15日で終戦から72年―。広島原爆の日(6日)、長崎原爆の日(9日)と合わせ、戦争犠牲者を思い、平和への決意を新たにする日が近づく。被爆者や戦争体験者、戦没者遺族の高齢化が進む中、京都府乙訓地域では原爆被災者団体の支部解散が判明するなど戦争の記憶を引き継ぐ難しさも浮き彫りとなっている。

■減る会員、解散もやむなく

 乙訓2市1町の被爆者でつくる「府原爆被災者の会向陽支部」は昨年5月にひっそりと解散し、活動に終止符を打っていた。支部長だった鮫島純子さん(79)=長岡京市馬場=は「体調がすぐれず、会を引っ張っていく気力も体力も無くなった」と打ち明ける。後任の支部長探しも辞退する会員が相次ぎ、引き受け手はいなかった。

 会員数は一時100人近くいたが、解散時には約50人まで減少。毎年催す支部総会の参加者も近年はわずか7、8人だった。日本が不参加の核兵器禁止条約採択後初めて迎えた夏。「支部の解散は残念だが、原爆被害者は私たちだけでいい。戦争と原爆は二度と繰り返してはいけないと伝えたい」。鮫島さんは現在、上部組織の府原爆被災者の会副会長として活動を続ける。

 一方、2市1町の各戦没者遺族会も岐路に立つ。会員数が15年間で半減した向日市遺族会の永井諭会長(88)=同市上植野町=は「活動しなくても特別弔慰金はもらえるからと退会する人もいる」と肩を落とす。

 上部団体の日本遺族会は組織の存続のため孫、ひ孫世代の青年部の組織化を推進するが、市遺族会に動きはない。永井さんは「戦死した兄を弔うためにも体の動く限りは活動を続ける」と前を向く。

 「会員の高齢化は避けられない」と危機感を募らせる大山崎町遺族会の森田俊尚会長(56)=同町下植野=は「将来的に遺族会自体がなくなる可能性もある」としながらも、「遺族会の活動や平和の取り組みに理解のある人に活動参加を呼び掛けている。今後も平和団体と協力し、ほそぼそとでも遺族会という形を残して活動していけたら」と、後世へ語り継ぐ活動に意欲を見せた。

■各自治体、次代へつなぐ

 乙訓の各自治体は戦争の風化を防ぎ、記憶を次の世代へつなぐための取り組みを行っている。

 長岡京市は、米軍艦載機の銃撃で犠牲者の出た「神足空襲」があった7月19日を「平和の日」と定めている。来年の制定30年に向けて市内の戦争に関する資料を電子化して保存する事業に着手した。市が保管する資料の劣化が進んできたためで、現在は資料の仕分けを進めている。来年夏ごろに、戦争体験者の証言などと合わせ「平和博物館(仮称)」として市のホームページに公開する予定だ。

 また、向日市と大山崎町では、平和の尊さを子どもたちに学んでもらおうと、広島へ小学生とその保護者を派遣している。親子は5日に折り鶴を「原爆の子の像」へ納め、6日には平和記念式典に出席した。

 向日市では当初、市民全般を対象に派遣していたが、2010年度から募集を小学生と保護者に限定。今年は23組の応募があったという。市担当者は「戦争経験のない次世代の子に現地の雰囲気を感じてもらえたら」とし、未来を担う子どもたちに戦争の記憶をつなごうとしている。

【 2017年08月09日 11時59分 】
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