京都~東北 東北大震災復興支援 支援サークル『絆』の活動記録

2011年3月11日東北大震災復興支援の活動をしています。

『絆』第10回支援活動の報告 ⑤

2016-03-28 20:09:54 | 日記
長磯七半沢住宅を訪問…3月12日午後
 旧新城小住宅での交流を終えて、次の訪問先の長磯七半沢へ移動する。自治会長をずっと続けておられる佐藤さんのおられるところで、一番濃くて一番長くお付き合いをしているところです。佐藤さんや村上さん、仮設を出て行かれた三浦さん畠山さん吉田さんも待っていてくださった。佐藤さんのいちご園でとれたイチゴを使った手造りの「イチゴ大福」で歓待してもらった。三浦さんのわかめの酢の物も美味しかった。
 プロジェクトKの田中さんや北海道から来たという若いお医者さんと一緒に、おなか一杯のイチゴ大福!!会話の中に関西弁が聞こえる・・・びっくりぽん!宇治市在住のフィンランド人の宣教師ペウフクリネンさんもボランティアに来ておられた。しばらくの間、宇治や城陽の街の話題も。
 訪問したての頃の人たちが新しい生活を築くために仮設を離れて顔見知りの人たちも本当に少なくなってしまいました。仮設の人たちがみんな新しい生活に旅立つことはいいことなのだけど、なかなか踏み出せないお年寄りや一人暮らしの人たちが増え、集会所に集まってくる住民の方々も減ってしまい少し寂しいとの声。これが5年目の現実。
「私は最後までここで頑張る」とおっしゃってる佐藤さんに「絆」の思いも託して、お別れした。



気仙大島の民宿に

 気仙大島を訪れるのは、今回が初めてです。大きな被害に襲われた大島にも是非訪れたいと思っていました。フェリーに乗船して、気仙沼湾を30分弱。民宿「アイランドハヤシ」へ。島の中腹部で港からも近くて、震災前はたくさんのお客でにぎわっていたそうです。夕食時に82歳とは思えない元気なおかみさんがご挨拶。(宿泊客は「絆」の7人と福島の除染に旦那さんが来ていたという兄妹夫婦の4人)
 久しぶりにあったかい部屋でフワフワの布団で寝られる…エアコンは冷房オンリー。石油ストーブとぺちゃんこの布団で、それでも、ぐっすりと。
次の日(3月13日)大島の亀山山頂の展望台へ。ここは「三陸復興国立公園」担っていて、気仙沼湾や唐桑半島が一望に。もちろん気仙大島の全容も見渡せた。

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気仙沼を後にして、帰路につく。帰りは日本海周りのルートで、久御山市番に22時30分頃に無事に到着した。
活動を支えてくださった方々に感謝!(^^)!
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『絆』第10回支援活動の報告 ④

2016-03-25 17:10:00 | 日記
旧新城小住宅での交流…3月11日~12日
 追悼式の会場を後にして、次の訪問先の旧新城小住宅へ移動する。集会所ではいつものように尾形さん三浦さん鈴木さんが待っていてくださった。荷物を下ろしてお風呂と夕食へ。ほっこり湯でいつもより長めの入浴タイムのあと、「たいわ食堂」で心づくしの夕食をいただく。(おばあちゃんには会えなかったけど…8月か9月には移転して、新しいくお店を開かれるそうです。顔晴れ!(^^)!)




 集会所に帰って明日の準備に取り掛かる。お米とティッシュボックスをビニル袋にセットする。役員さんの手を借りて、住宅のすべての家庭に届けてもらいます。慣れたもので、それぞれのパートで順調に進んでいきました。簡単に打ち合わせをして寝袋に潜り込む。

 朝6時起床。値引きのパンと生野菜+コーヒーでの朝食をすませて、無料バザーの準備に取り掛かる。外にブルーシートを引いて物資を並べていく。9時前に「おはようございます」「いつもお世話様です」と顔見知りの人たちが集まってこられ「あっ!このスカートいいわ」「毛糸は○○さんに」と、ご近所の人の分も考えて次々にもらっていただけた。やはりに日用品(洗剤・石けん・シャンプー・歯磨き粉チューブなど)は需要が大きく、毛糸やはぎれも人気でした。大学を卒業して今春一人暮らしを始める「彼」には、ストーブ・毛布・布団・洗剤などをもらってもらった。
 バザーが一段落して、おしゃべりとおにぎりパーティになる。5年前にまだ小さかったリコチャンは小学一年生になり、お友達と一緒に一杯お手伝いをしてくれました。会長さんとこの4才と3才のの兄妹も参加。若いパパママ子どもたちがいて希望の光が見えます。梅干し・昆布・しその実入りのおにぎりと手作りのお漬け物をほおばりながら、ちょっとしたマジックも楽しんだ。


 楽しい時間を目いっぱい過ごしたので、みんなそろっての記録写真を撮るのを忘れてしまった( ;∀;)。後片付けもそこそこに、佐藤さんたちの待つ長磯七半沢住宅に向かった。
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『絆』第10回支援活動の報告➂ 気仙沼市の追悼式

2016-03-23 21:32:34 | 日記
気仙沼市東日本大震災追悼式は、3月11日の午後2時30分〜気仙沼市総合体育館で開催されました。


<堀江レポート>>
 今回はここに参加したいというのも大きな目的でした。2時半開会。献唱。気仙沼市新月中の生徒の「あすという日が」「ふるさと」の歌の後、映像で政府主催の追悼式を見る。2時46分から一分間の黙とう、安倍の式辞(きれい事でなく本当の支援をしてほしい)天皇陛下のおことば…これは東北の人たちに寄り添っておられるし、東北の人たちにとっては心温まる言葉と感じられた。 遺族代表の斉藤さんの言葉はあの日(3月11日)のことが生々しく思い起こされ、経験した人でないと話せない…そんな言葉ですすり泣く人たちが…思わず私たちも。そのあと白いカーネーションの献花。やはりこの日にこの場所に来れてよかったです。




<図師レポート>

 気仙沼総合体育館で14:30から追悼式典が始まる。2000人を超える人たちの参列。献唱、気仙沼市立新月中学校生徒の「あすという日が」「ふるさと」の歌の後14:46から1分間の黙とう。映像で政府主催の追悼式を見る。安倍首相の感情のこもらない挨拶。天皇陛下の被災者の思いをこめた、何回も東北を訪れ、被災者と言葉を交わした気持ちが現れた言葉だった。遺族代表の斉藤さんの3・11の生々しい状況。夫が津波に流され、木の枝に遺体が挟まれて見つかった。その後の避難所での苦しい生活、仮設住宅での狭い空間での息苦しい生活などが話され、あちこちですすり泣く声が、仲間の女性たちももらい涙。そして、一人ひとりが献花をする。白い花を持って、安らかにと祈って献花する。



まだ家族のもとに帰れない・発見されていない人達が・・・。この現実!

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『絆』第10回支援活動の報告➁ 

2016-03-22 14:56:34 | 日記
 3月10日の3時半に久御山の市番に集合して、4時ぎりぎりに京滋バイパスにはいる。(早朝割引は財政的にも大きい!)名神~新名神~新東名~圏央道~東北道のルートで気仙沼市を目指す。参加者は7人。ドライバーは5人の男性陣で1000km強を走り切り、17時ころに鹿折中住宅に到着。例によって、小野寺自治会長さんが集会所を温めて、待っていてくださった。お世話になりま~す!荷物を下ろし、お風呂とごはんへ。お風呂はいつもの「ほっこり湯」晩御飯は、何度かお世話になっている「たいわ食堂」へ。美味しい料理をいただいた後は、イオンで、お茶っこの材料と我々の朝ごはん(割引きのパンと生野菜)を買って、今夜の宿舎に帰り、簡単に打ち合わせをして寝袋の中へ。💤・・

 3月11日の午前は鹿折中住宅で、交流活動です。font>
*無料バザー *お茶っこ *おにぎりパーティ などで、交流を深めました。
><堀江レポートより>
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 朝6時起床で朝食準備。パンと生野菜とインスタントコーヒー。ごそごそ整理して、バザーの準備をする。日用品・オムツ・服・食器・はぎれ・毛糸などを分けて置いていく。8時半、次々にいつもの顔なじみの方々が来て下さる。「ありがとう」「ありがとうございます」「お元気でしたか」の声。本当にうれしいひと時です。 9時無料バザーの開始。いろんな物資がどんどんなくなっていきます。5年がたった今でも日用品も食器も服(新品か洗濯した物)が必要とされているのを実感します。お役に立てるってうれしいですね。おにぎりパーティは仮設のお母さんたちがてきぱきとしてくださってでるまくなし。しかも「なめこ汁」まで・・・こちらが助けてもらっているのかも。
 お茶っこはお父さんたちも参加。94歳写真屋の佐川さん、津波でお母さんに助けられた畠山さん、菊田さんたち10名ほどが。(お茶っこマスターは小松・岩井。おしゃべりは杉山・図師と川島・堀江。それぞれに大活躍)途中代表の井井上さんのマジック。今まではう~んと思えるものもあったけど今回は話術も腕もすご~い。タネもわからず思わず乗り出して見ました。これはどこへ出しても大丈夫。・・・芸があるのは素晴らしい!! なめこ汁とおにぎりとおしゃべりのパーティ。あちこちでおしゃべりの輪ができ、今回違う仮設から来た男性が「僕と子の仮設はこんなに人が集まることも、他から来てくれることもない。今日はたのしい」と言われ、まだまだ待たれているんだ。行く(来る)意義はあるなあと思いました。みんなで記録の写真を撮って、鹿折での交流は終わりました。












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『絆』第10回支援活動の報告➀

2016-03-21 21:51:39 | 日記
 『絆』第10回支援活動に行ってきました。あの日「3・11」を、気仙沼現地で迎えたいと計画しました。気仙沼市の追悼式に参列していいのだろうか?という迷いもあったのだが…(鹿折中住宅)(旧新城小住宅)(長磯七半沢住宅)の皆さんにも受け入れた頂けることがわかり、7人のメンバーで気仙沼を目指しました。今回の活動にもたくさんのカンパや支援物資が寄せられました。本当にありがたいことです。お寄せいただいたみなさんの心も一緒に届けました。
 3月8日の発送作業の様子です。お米=120Kg、日用雑貨=歯磨き粉・洗剤・食器類、衣類・下着類、おとな用おむつ等々沢山の物資を、整理点検しながら発送先ごとに箱詰めしていきます。H氏宅の二部屋に一杯集まった物資をボランティアの方や参加者で3時間ほどかかって作業をしました。
お雛さまも温かいまなざしで見守ってくれていました。
今回の活動と合わせて、支援サークル『絆』の取り組みが、地元の新聞「城南新報」で報道されました。

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