たろの日記ページ,gooブログ版

http://www009.upp.so-net.ne.jp/taro-r/ の分家です。一部内容が重複してます。

世界一幸せな日本人

2012-05-15 00:02:25 | 音楽・アート
ライブの感想は別途書きますが,先週キース・ジャレットのコンサートに行きました。キースのライブに行く度に思いますが,日本人,特に関東に住んでいる人は世界一幸せなんじゃないかなぁと。

キースは年に数回しかコンサートをしません。でも日本には2年に一度くらいのペースで来てます。コンサートやライブを沢山していた若い頃はともかく,この10年くらいはおそらく日本が一番キースのコンサートをやってるところです。キースはアメリカに住んでますが,アメリカ在住の人でもキースのコンサートをみるのは大変です。

日本でも今回は東京のみの公演です。大阪に行く時もありますが,最近は結構稀なので,東京の人は特に幸せです。夕方まで会社で仕事をして,キースの演奏を聴いて,その日のうちに帰れるチャンスを作れる人って人って世界中で,ちょっと稀なんですよ(笑)。

ところでライブの時に,なぜキースはこんなにも日本でコンサートをするんだろうか?と思いました。
・ギャラがいい?,
・プロモータ(鯉沼氏)との関係?,
・日本の演奏環境や観客が良いから?,
・日本自体に来るのが
好き?
,とかいろいろ考えられます。鯉沼氏の力が一番なのかなぁ,という気がします。

一方で他のジャズミュージシャンもアジアにくるとしたら日本という人も結構います。これは日本にジャズファンが多く観客の質がよいというのと,何だかんだいって経済大国で,ギャラがいいというのもあるのかもしれません。以前韓国にメセニーグループがコンサートをしたときに,韓国や中国が日本に追いつくってこういうことかも知れないなぁ,と少し思いました(苦笑)。

日本にジャズミュージシャンが来るのは波があって,今は一時期より減ってる気はします。大きなジャズフェスがないというのもあります。でも結構小さいライブハウスに海外の有名どころが来ることもあってビックリします。

こういう環境がいつまでも続くといいなぁ,そのためには経済の維持も重要だけど,ミュージシャンにとって魅力的な観客や文化というのも重要じゃないのかなぁと思うので,その辺はこっちも努力したいものです。

関東から引っ越すと,こういうライブに気軽に行けなくなるというのも悩ましいのですが。
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僕がアップルで学んだこと 〜環境を整えれば人が変わる、組織が変わる(松井博著)

2012-05-01 08:14:30 | 書評
1992年から2009年の16年間アップルに在籍した著者が,その最悪だったアップルから今の繁栄にいたるまでの変化をみて,いろいろ思ったことを書いている本です。「思ったこと」と書いたのは,前半はどのようにアップルが変わったかを書いてますが,後半は,著者がそこで学んだ処世術や自己の成長のためのノウハウが書かれているからです。

個人的には私自身がずっとアップルを見ていたので,その内情という意味で興味があったのは前半。後半は読んでみて,新鮮というよりは個人的には「その通り」と思うことが書いてました。いくつかは意見が異なることも書いてましたが。

良く考えたら著者はわたしとほとんど同い年で,会社で管理職をやっていた(る)という意味で,まぁ似たようなものですから当然かも知れません。それでもちゃんと本にまとめているのはすばらしいと思いますが。

さて興味があった,アップルの建て直しの話。思った以上にすごいなと思いました。でもいずれも,それで会社が建て治るのは道理だなとも思う一方で,普通の会社じゃそこまで無理…とも思いました。

アメリオがアップルを立て直す前には350あったプロジェクトをアメリオが50に減らし,更にジョブスが10までに減らしたと。そしてジョブスが復帰した直後,アップルには2つくらいしか商品が無い…ところまでスリム化されてしまいました。いや,そこまで減らせば,そりゃもう徹底的に会社を再建出来るかもしれないけど,それって既に一度潰して,新たに会社を興したに等しいな…と思いました。そして現在6万人を抱える企業なのに5つの事業しかやってないというのもすさまじく,著者はシンプルであることが重要と書いてますが,大きくなった会社をシンプルな形で維持するのも大変なことだと思います。

そもそもどんなに不採算部門を抱えていても,350ものプロジェクトを会社を潰さずに10まで減らすことが,日本の会社に出来るでしょうか?。そのためには多くの社員をリストラする必要があります。日本場合会社を再建する状態に入っても雇用を維持することが求められるケースが多く,なかなかそこまでドラスティックに会社をいじれない様に思います。それと,やっぱり会社の構造や体質を根本的に変えてしまったジョブスの手腕もすごいものだなぁ…と思いました。

ちょっと思ったのはアップルがアップルとして再建できたのは,やっぱりジョブスの手腕によるものでしょうが,ジョブスはアップルの創業者ですから,会社を一度潰して立て直しても,やっぱりアップルとして立て直すことができたんだろうな,と思います。これが別の人だとしたら,立て直すことが出来ても,それはもうアップルらしさが失われた別の会社になるでしょうし,下手をすると,新しい創業者に誰もついていかず,会社が空中分解してしまったかもしれません。

日本のソニーやパナソニックが多くの赤字を出しているからといって,赤字の事業をすべて止めて,採算がとれる十数の事業とかに絞り込んだ場合,やっぱり会社は空中分解をするかもしれませんが,仮に松下幸之助さんや井深大さんがそれをやれば,同じ方向性で,ソニーや松下が立ち直るかもしれません。そういう意味でいうと,アップルの再建は,創業者が存命なうちに出来たから,ここまでうまく行ったのかもしれません。

さて,それ以外に,アップルのやり方で参考になったのは,開発以前のコンセプトつくりやデザインに多くのリソースを使うとか。確かにそうだなとは思いますが,これも会社の構造をシンプルにしてるから出来るのであって,普通の大企業は,コンセプトなんて方便で,いろんな人がいろんな思惑で,ものづくりをしていたりします。コンセプトがあっても,実際に取り組んでいる人は,自分のところの組織防衛とかが主だったりします。だからうまく行かないんですけどね。解ってるんですが,多分トップがそのコンセプトをきちんと理解していて,それを強烈に推進する力がないと無理で,その辺は日本の大企業だと結構難しいなぁ…と思いました。

でも,いろいろと参考になりました。アップルの再建劇については,著者の印象ではなくきちんと客観的な数値に基づいて書いているところは流石だと思います。
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無料には意図があることを知らない人が騙される

2012-03-15 09:52:44 | 社会
前回の続きになるかな。

わたしは世の中でただで提供されるものには,誰かの何らかの意図があると思ってます。特に個人ではなく会社や団体が無料で提供するものは善意や他の人に喜んで欲しい…から行われるものは無い…と考えた方がいいでしょう。

いま,我々の生活の周りには無料のものがたくさんあります。インターネット上には,無料の検索,無料のメイルアドレス,無料のデータストレージやコミュニケーション手段など,様々なものがあります。町を歩いていても,いろんなものが配られていたり,なにかをやってくれていたりします。テレビやラジオも(NHK以外は)ただです。そういうものに囲まれて暮らしていると,世の中にはただのものがたくさんあると普通に思ってしまって,それがどういう意図でただになっているかを考えない人が増えてるんじゃないでしょうか?。

無料でサービスを使わせるものは,ユーザ情報を集めて,マーケッティングに使用して,あたらに何かを売り込むきっかけにするとか,実は他の部分で払ってるお金でまかなわれているとか,広告が付随しているとかいろいろそういう仕掛けがついています。ただであることはお金以外の何かを取られてる…と思うのが正解です。

また,無料じゃなくても向こうが何か「お得ですよ」と勧めてくるのもその勧める人が何らかの得をする仕掛けがあるはずです。これはこっちが損をするのではなく,お互いに儲かる場合もあるので,WinWinであればいいのですが,良いようにこっちにリスクを負わせてるような場合もあります。マンション経営とかの様な金融や不動産ものはたいていそうじゃないでしょうか。

そういう風に考えていくと,ネットの口コミサイトも誰かが運用しているわけで,それが100%の善意でまかなわれているわけがありません。それをやることにより運用者に得があるわけで,その得が何かを理解しないで使っていると「ステマだ」とか「騙された」とか思うのでしょうが,もともとそういうもののはずです。

民放のTVはただですがCMでまかなわれているのは明白ですが,だとすればスポンサーに都合が悪いことは報道できないはずです。そんなこと当たり前です。

個人の場合は本当に善意で行っている人もいないことはありませんが,費用がかかるものとか時間がかかるものは善意だけで出来るのは,よっぽど余裕がある人じゃないでしょうか。また名声欲や自己顕示欲でやる人もいて,まぁそれはいいかな…とは思いますが,そういう人は,自分の意図と異なるように社会に受け入れられると切れちゃう場合もあるでしょう。

というわけでわたしはただの物は信用できないのは当たり前…って思ってるのですが,世の中で騙された…って騒ぎになってるのを見ると,そういう事を知らない人が騙されるってことなのかな?って思いました。

ちなみにお役所だけは,ただで人に役に立つことをやってくれます。それが彼らの役目だから。もっともこれも真の目的は法律を作る議員さんや首長さんが票を集めたい…というのが真の狙いとなります。
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ただより高いものが無い…というのは忘れられたのか?

2012-03-11 17:06:18 | 時事
不思議に思ったこと。福島原発事故について民間調査委員会が調査結果を発表したっていうのは数日前にTV等で聞きました。そのまとめたレポート400ページくらい?がどうやら本になって売り出されるらしいのですが,レポートが有料であることに疑問を投げかける声がちらほら。そこから発展して調査自体が信用できない…みたいな声まで聞こえてきました。

えっ?,どうして?っていうのが正直な感想です。調査結果を本にして売ると,それは信用できないのでしょうか?。確かに事故の調査結果は誰にでも広く読めるようにしておくべきという意見はわからないでもありません。じゃぁ,そうだとして,それを調査して本にまとめるのは誰が費用を捻出してやるべきっていうことなのでしょうか?。ボランティア?ボランティアでも調査には経費はかかりますよね?。

公的な報告であるべきというのはわかりますが,じゃぁその経費を国が出したり,事故の当事者である東電とかが出したら,それって「民間調査」って言いますかね?。そういう調査の方が「胡散臭い」と言う人は言うんじゃないでしょうか?。そもそもその本は一冊1500円位なんですよね?。400ページの本が1500円というのは,普通に考えれば実費程度でしょう。部数によりますがたいした儲けがあるとは思えません。1500円が高すぎて手に入りませんか?。まぁそういう人もいるでしょうけど,そうかなぁ,マンガの単行本2冊程度の値段ですよね。

政府でも東電でもない第三者の調査が必要と思うのであれば,それの費用を誰が出すか?って話になり,自分が出します…とか自分が寄付を集めます…っていうのなら判りますが,自分はお金を出さない,レポートを1500円だして買うのも嫌だ…っていうのはムシが良いんじゃないでしょか?。もちろん誰かが善意でお金を出すって言うのはありえるでしょう。でもそれを受け取るほうが強要するのは変だし,お金を取るから調査がおかしいというのもそちらの方がおかしな意見の様に思います。

もっとも,調査というのは,普通は何らかの立場があってバイアスがかかるものですから,調査の内容に納得がいかないという意見はそれはそれで判りますが,それが嫌なら別の立場の多くの調査を同時に走らせるしかなく,そうなるとますます経費がかかるはずです。

レポートに広告を載せればいいという意見も読みましたが,そうなるとやっぱりその広告を出す企業は何が狙いのなの?…とむしろ思ってしまいます。ある意味一番色をつけなくて済むのが実費を取るってことだと思うんですが。

ネットはただで使えるものがおおいのは確かですが,そこにはいろんな企業の思惑があり,結果的にその企業が儲かってるってことは,実際はめぐりめぐって我々は何かを負担している…ってことに皆さん気付かないのでしょうか?。ただより高いものは無い…ということわざが日本にはあったはずですが…もう廃れてしまったのかなぁ。

あと,余談。PDFにしてネットでばら撒けばいいという意見も読みましたが,それにしても経費はかかります。それに永く残すために本にするということが理解できない人がいるようですが,私はデータより本のほうが長く残ると思ってます。少なくともこれからいつ停電が来るか判らないのですから,ネットのデータなんてあてになりません;-p。電気に頼らずとも読めるっていう意味では紙の本にするのは趣旨にあってるのでは?と思いました。
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働く理由を意識する

2012-03-08 16:39:18 | 時事
ワタミの社員が自殺したのが労災となった…って件は,ちょっとネットで話題になっていて,ワタミの社長は一時期TVとかで好意的に取り上げられていたけど,結局は社員に過酷な労働を強いる人だ…みたいな風潮になってます。ネットでの暴露話みたいのをみると月300時間の残業をしていた事もあるとかあって,凄いなぁと思ったし,しかもそれがサービス残業だったりしたというと,確かに法的に問題だと思う。

世にブラック企業の話は良く聞くのですが,幸運にも比較的大きな会社で働いているわたしは,会社がコンプライアンスを気にするあまり,そういう労働の例はほとんど縁がありません。むしろ夜遅くまで仕事をしたりすることの制限が多く,仕事したいのに出来ないのもちょっと不便だよなぁ…と思う始末ですが,まぁそういうのをなぁなぁにすると良くない…というのも分からないでもありません。

でも残業が良くないとか,サービス残業は悪だとか,休みの日や寝る間も惜しんで働くもの良くない…と一律に決めてしまうのも,場合によっては,頑張る機会を奪うこともあるような気がします。

簡単に言うと,やっぱり大事なのは,その人が,その仕事をどういう意味や狙いがあってやってるか?…なんだと思います。いい給料が欲しい…というのであれば,やはりサービス残業は本末転倒です。働いたのにお金もらえないのですから。給料より出世を狙うとか,会社から何かを学び取って,自己の財産(キャリアとか独立のキッカケ)にしたいのであれば,逆に,給料が少なくて労働時間が長くても,何かを得てる間は頑張ってみるんじゃないでしょうか?。でもその為に頑張るなら,やっぱり体を壊しては意味がないわけで,その塩梅はきちんと管理できないとおかしい。

例えていうとスポーツ選手は多かれ少なかれ,過酷な状態に自分を追い込む必要があるけど,それをブラックとは言わない。でも練習を怪我をするほどやったらやっぱり本末転倒と言わざるを得ない。

働く方もやっぱり自己防衛が必要で何のために働いていて,その場合どこまでやるべきかっていうのを常に考えるべきじゃないかな…と思います。給料が欲しくて働いているだけだけど,クビになったら次の仕事がないのが不安だから,ついサービス残業をしてしまう…っていうのかも知れないけど,やっぱりそれで体を壊したら,給料もなにもないのだし。

最後に自分の例を書くと,わたしの場合は個人的な興味と仕事がある程度一致してる場合は,やっぱり休み返上で働いていたし,研究をやってると個人的なキャリアもつくので,まぁある程度無理はしてましたよ。でも,今はそういう無理をする事自体が,職場が許さない(徹夜はできないし,仕事は持って帰れない)状況になってるから,若い人でそうしたい場合はどうすればいいのかね?…って気はするけど。
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セカイ出来てもうすぐ一年

2012-03-07 06:02:11 | 時事
3月11日が近づいて来てるということで,なんとなくいろんなところで「ふりかえり」的な雰囲気が見えてきてる。TVはおそらくこれから11日に向けて,いろいろと特番をやっていくだろうし,他も11日前後にイベント(?)を開催したり,まぁそんな感じなんでしょう。そういえば福島原発の事故調査報告書とかも出てきて,何かしらの目処をつけたいという気分を感じる。一方で,余震は相変わらず続いているし,がれきの撤去がいっこうに進まないといったことや,補償や支援とかの問題など,まだまだ一向に震災は継続している…という気もする。原発事故や放射能汚染の話はフェーズは変わっていってるものの,出口が見えてるわけでもない。

まぁそんな状況もあるけど,それより思うのは,「そういえば3月11日以前ってどうだったっけ?」みたいなこと。ある意味,あの日から何もかもが変わったような気がする。外出時や買い物時に放射能を気にしたり,電気のことを気にしたり。経済がどうなるかとか政治がどうしようもないっていうのは以前からだけど,物差しがやっぱり電気行政と災害復興絡みになってきたり。将来自分がどこに住むんだろうっていう話も,地震と原発事故というのは判断要素でもある。

一年前というと,息子が1歳になって間もなくて…,まだ武蔵野に住んでいて,そういえば雪がつもったのって2月だったっけ?。雪触るのも抵抗なかったよなぁ。その一年前の子供が産まれる前は新型インフルエンザにビクビクしてたけど,この頃は,それもちょっと落ち着いていたような気がする。自分の体調的には確か一月にぎっつり腰になったのが,二月に立ち仕事をやったので,長引いて…結局これって震災の時に更に痛めて,5月か6月位までつづいたのだけど,まぁそれが気になっていた頃。わたしの癌の方は5年目を半年後に控えていて,気になるような気にならないような…,って感じだったかなぁ。

今の状況を考えると,当時心配事ってなんだったんだろう?という感じです。

あまり大きな出来事があると,それ以前と意識が断絶するというか,一瞬にして価値観が変わって,あの頃は何を気にしていたのだろうか?…と思うようなことってあるように思う。3月11日の地震はそれが社会全体で起きたので,それこそ日本人全部がそういう経験をしたんだろうな…という気がする。

個人レベルの話をすると,わたしは癌になった後,「癌になる前の自分はなんだったんだろう?」と言うくらい自分の中身が変わったという感覚を覚えたのだけど,多分3月の地震も,その後に感じた大きな断絶なんだろうなぁ。

そういう意味で言うと,案外去年の3月11日以降を振り返るよりも3月11日以前を思い出してみる方が,おもしろいのかも知れない。おそらくいろんな人が,今の自分と違うことを考え,意識していたんじゃないかな。まぁ原発のことなんてほとんど誰も考えたこともなかったし,マグニチュード9の地震なんて来るの?…って感じだったかなぁ。

もっとももっと何年も経つと,今度は昔のことを懐かしんだりするんでしょうけど…,ここしばらくは,多分一年分の記憶しかみんなの頭にはないんじゃないかな。

あっそういえば,なんで民主党が与党やってるんだっけ?(笑)。
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大学生を経済的に支えるには?

2012-03-05 06:18:58 | 育児・教育
先週ニュースを見ていたら大学生への親の仕送りが30年ぶりに7万を切ったというのをやってました。この仕送りに授業料と住居費が含まれるかが良く分からないのですが,多分授業料は含まれず,住居費は文脈上含まれるようにも読めますが…,混ざってるのかも知れません。その辺は元の調査結果を見ないとなんとも言えないか。

子供を持つ親としては子供が大学に行き,自宅を離れたとして,それを支えることができるか?…というのはかなり関心のある事です。高校まではおそらく自宅から通うことになるとして,大学の場合,子供が行きたい大学,子供の成績,わたしの住んでいる場所,わたしのその時の経済状況…等,いろいろ不確定要素が多く,現時点では判断ができません。蓄えがあれば大丈夫…と言いたいところですが,学費はともかく,子供がどこに住むのか?…でかなりかかる費用が変わるので,全てにOK…という事は多分難しいと思います。

ちなみに7万の仕送りというのは約25年程前,わたしがもらっていた仕送りがそんな感じでした。ただし授業料は親が別途払っていたし,当時は寮生活でしたが,確か寮費が親が払っていたのではなかったかしら?ただ,寮費月に数千円というレベルで,一年分まとめて払ったとかだったと思います。…それで生活できるかというと出来てました。バイトもしましたが,ほとんど不定期のバイトで,月に1,2回程度徹夜のバイトをしたくらい。それで1万程度もらえば,かなり裕福感がありました。

大学院にいくと,奨学金を月に7万くらいもらえたので,仕送りは5万に減らしてもらいました。寮を出たので,家賃は自分で払いましたが家賃は4万はしなかった…いや3万くらいだったかなぁ。あと大学院の時は週一でバイトに行ってました。大学院で奨学金をもらえたのは,その頃親が公務員を退職して収入が減ったからで,学部時代は,確か無利子の奨学金はもらえなかったので,もらわなかったように思います。

そんな感じでしたが,お金に困って生活できないとか,バイトに忙しく勉強に身が入らない…という事はありませんでした。でもこれって,やっぱり大学が福岡…という事情が大きいんだろうなぁ…と思います。主に効くのは住宅事情。

そういえば,大学の寮ってどこの大学でもあるんだっけ?って調べたら,全国の学生寮一覧というのを見つけました。うーん,と思ったのが,案外首都圏の大学は寮を持っておらず,逆に地方だと国立はもちろん私立も持っていて,月1万以下で済むということ。首都圏は下宿や学生会館というのもあるんだけど,下宿はともかく学生会館は食事付きである以外は,民間のワンルームアパートと比べてもそんなに安くないと感じました。正直これだったら,もし東京以外に住んでいたら,子供を東大にやるより(いける可能性も高くは無いでしょうけど(苦笑))は例えば阪大や京大や九大にやった方が,親としては遥かに助かるって事になります。

自分が大学に進学したときに,親の経済状態を考慮したか?…と言われると,実ははっきりと意識はしてませんでした。ただ親からは寮にはいれと言われて別になにも思わず「分かりました」って感じだったし,少しはそういうものと思っていたのかもしれませんが,一応滑り止めで首都圏の私立も受けていて,そっちに通ったらどうするつもりだったんだろうなぁ…とかちょっと今となっては思います。

さて,今日こういうネタを書いたのはNHKのニュースもあるけど,むしろ日本の大学は学費も高いし奨学金もないと書かれたという記事を読んだから。ここで取り上げると,奨学金とか学費自体よりも,寮があるか?…というような福利厚生の面倒を誰が見るか?…の方が影響あるんじゃない?…という事になってしまいます。つまり学費と奨学金だけでは,信学の困難さ…について語れないと。確かに私立の年間100万以上する授業料を考えると,ムチャクチャ大きいですが,国立の場合その半分以下だから,親の負担はむしろ住居費の方になるとかそういうのもあるでしょう。奨学金については,育英会だけじゃなくて企業の奨学生とかその辺の税制の話もあって,やっぱり簡単に各国を比べるのは難しいかな…と思ってます。

自分の子供が大学に上がる頃は,どういう情勢になってるかなぁ。自分の経験からすると,バイトをしないとやっていけない…という状況は良くないですが,ギリギリ切り詰めればOKなのであれば,学生の貧困と独り暮らしは,その後社会人になるときに,経済観念をしっかりつけるという意味では,良い経験だと思うんですけどね。


…。

余談ですが,最後のリンク先に載っていた,各国の進学率で,日本以外が女性の方が大学進学率が高いというのに驚きました。外国の大学って…,日本の大学と位置づけが違うんだろうか?…と良く分からなくなりました。

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健常者はなんでも出来ないといけないの?

2012-03-01 07:20:19 | 社会
成績優秀なのに仕事ができない“大人の発達障害”に向く仕事、向かない仕事 」を読む。ADHDやアスペルガー症候群の話で,成績が優秀なのに,社会で人に絡んだような部分でうまく仕事ができないとかそういう話。

こういうのを読むと,あぁ自分もそういうのかも知れない…とか,あの人ってこういうのじゃないかなぁ…とか思ったりすることもありますが,ふと,逆の意味で引っ掛かったりもします。

つまり,成績優秀なのに仕事ができないのは障碍だ…というのであれば,逆に,成績優秀で健常者はどんな仕事でもこなさないといけないのか?…という事です。おそらくそういう前提があるんでしょう。*学校の*成績優秀なら社会に出たら苦労せずに成功するはずで,うまくいかないのは,障碍のせいだろう…と。

それもおかしい気がします。そもそも学校の成績でその人の能力が全て測れているわけでもないし,成績に関わらず,なんでも仕事ができるのが健常者と思われちゃうとそれもおかしい。人には向き不向きがあり,難無くこなせることとこなせないことがあります。訓練で習得できることもあれば,出来ないこともあります。向く仕事向かない仕事なんて,健常者でも選ぶべきなんじゃないでしょうか?。

わたしは他人の気持ちが分からない人間で,もしかしたら「心の理論」が無いのではないか?…と思ったことがあります。でも,人の気持ちが分からないから,逆に人を怖いとは思いませんが,人を共感で引っ張る…ということが多分出来ません。熱血漢でチームを引っ張っている人とかを見ると,スゲーなぁー…と素直に思います。それを障碍か?…と言われると分かりませんが,そういう素養なんだと思います。

病気とか障碍と健常の線引きというのは時代によって変わります。明らかな病気や障碍もありますが,良く分からないものも沢山あるからです。普通「病気」というと治療法があるもの,「障碍」というと治療法がないが,正常な生活に支障があるもの…という定義なのかな…と思ってます。治るものは治った状態が正常ですから,「病気」というのはある種の異常であることはわかります。でも治らないし,元々そうであるものは障碍なのか正常の範囲なのか?…というのは微妙です。

もちろん,明らかにこれは障碍だ…というものもあります。でも,障碍かどうか分からないものも多いでしょう。苦手なものがある,どんなに訓練しても習得できないものがあっときに,それを「性質」と認識せずに障碍と認識しなければいけない…というのが良く分かりません。むしろ障碍にしないと理由にならないのか?…という気がして,社会はそこまで「健常者」に万能を求めるのだろうか?…むしろしんどい気分になります。
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最高裁の役目

2012-02-23 19:23:56 | 時事
光市母子殺害事件の判決が死刑で確定しました。わたしも子供と妻を持つ身として,被害者の夫が被告に最高刑を望み,行動し,そうなった…という行動には共感できるものがあります。しかし「皆,敗者」という夫の言葉にも重く,やるせないものを感じます。

被害者がそれを望む気持ちは良く分かりますが,死刑が妥当だったのかどうか?はわたしには良く分かりません。死刑が必要かどうか?…という議論も以前からあちこちでありますが,良く分かりません。これは刑罰とはなんのためにあるのか?…という思想とも多分関係があって,それ自体が社会的合意を得られてないと思うからです。

わたし自身は,刑罰は犯罪抑止のためにあって欲しいと思ってます。つまり犯罪者を懲らしめるための罰とか,被害者を納得させるためのものでは無いと思ってます。犯罪抑止ですから,再犯のある人は社会に出さないで欲しいし,重たい刑をつくることで,犯罪を起こさない人がいるのであれば意味があります。この考え方は,良く裁判で問題になる「悪意」の有無を重く見ないし,被害者の納得感も問題にしないので,おそらく世の中の刑罰はそういう位置づけではないのだろうな…と思ってます。

この視点で考えると死刑の是非は死刑を怖がり犯罪が減れば意味がありますが,死にたくて犯罪をする人にはむしろ悪影響です。ただ死刑になれば再犯はあり得ません。あと冤罪がある以上,簡単に判断できない問題でもあります。終身刑も再犯を抑えることが出来ますが,犯罪者を刑務所で養うコストを,国民が負うべきか?…という問題もあります。ということで,死刑がいいのかどうかを冷静に考えると,答えはなかなか出ません。

とはいえ,いつもこういう裁判の報道を観ていて疑問におもうは,こういう社会的な議論を受けて,判決が変わっていくことです。被害者の納得感や,犯罪者への罰で量刑を望むような声があるように思います。しかし私は,三権分立の原則だと司法はあくまでも法に照らし合わせて,事件を裁くものじゃないか?という気がします。良く行政に「市民感覚」という人もいますが,それもやっぱりおかしくて,司法も行政も立法がつくった法律に基づいて動いていて,法律は選挙で選ばれた議員がつくるのですから,市民感覚や世間の空気はそこで織り込むべきじゃないでしょうか。

市民感覚や世論が反映されると喜ぶ人もいますが,誰の声か分からず,どれだけの人が思ってるか分からないけど,報道が騒いで増殖していくような世論にいちいち行政や司法が振り回されていたら,大変…と思うのはわたしだけでしょうか。
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死は取り返しがつかないもの

2012-02-21 22:27:40 | ココロ
安楽死法 ‐ 死を選ぶ権利」というのを読みました。真っ先に思ったのは自殺を不治の病の安楽死と同列に語るのは,ちょっと違うということです。

確かにもう安楽死を…という病人は生きるのが辛いのかもしれませんが,死を望んでいるわけでも無いでしょうし,そこにいたるまでは死にたくない…と思っている人がほとんどだと思います。末期がんになった人だって苦痛で辛くなるまでは死にたくないはずです。もちろん自殺をする人だって,本当は死にたくないのかもしれません。でもやっぱりどこか違う気がします。まぁ人が死ぬということは,人の数だけちがうということなのかもしれませんが。

それから思うこと。死というのは取り返しがつかないこと,というのはのはたぶん間違いありません。死んだ人間は生き返りません。死後の世界があるかどうかはわかりませんが,生き返らないのは事実です。ですから,死を選んだらやり直しが利かないのです。だから人は死ぬことが大変なこととなっているのだと思います。自分で死ぬにしても殺すにしても安楽死させるにしても,大変です。

あと,不治の病気で末期の場合,そもそも治療放棄をすれば病人は死にます。それ以上のものが必要なんだろうかと思います。安楽死ボタンなんて不要じゃないですか?。

それからもうひとつ。社会が死を簡単なものと捉えることに抵抗があります。死自体が軽くなり,簡単に死の選択を迫られる様になるかもしれません。人が簡単に安楽死を選べるというのは,合法的に殺す手段を得るということにもなりえます。だれかそれで得する人がいるんじゃない?という気がします。
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