かんがえていたこと

考えていたたことですね

神だってばw

2006年08月12日 | 政治

以下の朝日の記事中におもろいものがw

自民県連幹部ら、靖国参拝に疑問も 「ムキにならずに」

ただ、「A級戦犯とはいえ、死ねばみんな仏。首相は参拝すべきだ」(金子和夫・千葉幹事長)という主張もある。


いや、仏じゃなくて神だからw
しかも、死ねばみんなが祀られる訳でもないしww


ご冗談でしょう、白田先生

2006年08月10日 | 政治

"ご冗談でしょう、牧野先生"内の白田秀彰先生の以下のご発言にびっくり。

「岡本先生は、著作権(知的財産権)=人権説を採用しているが、これは誤り。「私権(人権)」という書き方も誤読を誘導しようとしているように思われる。だって私権=人権ではないもの。そんなことを言い出したら、民法にて保障されている諸権利はすべて人権ということになる。さらに、最後の行には「私権」(財産権)とも書いてあって、ここでいう「私権」なるものが何を指しているのか不明だ。

さて、まず私の渾身の代表作(これしかない...トホホ)である『コピーライトの史的展開』において、著作権の発生過程をネチネチと研究したが、知的財産権が「人権である」などと言えるような痕跡は微塵もなかった。「所有権の一種である」という根拠ならいくらかは存在していたけどね。」

 エエエエェェ(;゜Д゜)ェェエエエエ

民法というか、財産法で保護されている諸権利は、憲法が保障する財産権が具体化した権利であって人権だと思うぞ~~~~~~
それに、人格権はどうなるんだぁ~~~~~~?

しかし困ったことに、白田先生は、人権の定義を書いてない・・・・・・il||li _| ̄|● il||li
よって、なんで人権でないと考えているかが不明・・・・・

しかも「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約)について、「国際人権規約は通称で、別に人権の規約って書いてないじゃーん」って言ってるが、人権に関する規約として理解されているからそう呼ばれているのに・・・・・

さらに以下のように書いている。

 「赤字の部分を読んでもらえば、「固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利」すなわち基本的人権を達成して「自由な人間」をうみだすという理想を達成するために、「経済的、社会的及び文化的権利」を保障しないとマズいよね、と書いてあることがわかる。文化的権利は基本的人権を支える柱ではあるけど、基本的人権そのものではない。」

これも、エエエエェェ(;゜Д゜)ェェエエエエ

規約の前文が言っているのは、

人類社会のすべての構成員の「固有の尊厳」及び「平等のかつ奪い得ない権利」を認めなきゃいけないよ。具体的には、「すべての者がその市民的及び政治的権利とともに経済的、社会的及び文化的権利を享有することのできる条件が作り出される場合に初めて達成されることになる」んだから、次のように権利を定めますよ。

じゃないのかぁ~~~~~~?

別に権利をランク分けして基本的人権とそうでないものを区別するようになど書いてないじゃないか。特に「市民的及び政治的権利」は、どう考えても人権だ。だが、「経済的、社会的及び文化的権利」は人権じゃないなどとは書いてない。むしろ同列に扱っている。だったら、人権だろう。

なんでこの人はことさら人権を狭く解そうとしているのだろうか。


岩見隆夫という政治記者

2005年11月29日 | 政治
著名な毎日新聞の政治記者、岩見隆夫のコラム
「サンデー時評:『悟性』という言葉、ご存じでしたか」
には呆れかえった。

「悟性」について、「人生七十年、はじめて巡り合う言葉である。」と言い切っている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/sunday/

つまり、この方は、日本を代表する新聞のもっとも代表的な政治記者でありながら、過去、まともな哲学書はおろか、政治哲学・政治思想史も一切読んだことも考えたこともないと述べているに等しい。

専門分野を支えるはずの基礎的教養がこれほど欠如していても、その分野のジャーナリストを堂々と名乗れる日本のジャーナリズムに今更ながら絶望した。
まさにこの方は、政治屋しかいない日本の政治風土にふさわしい、そこに寄生する「ブンヤ」そのものなのであろう。

2005総選挙の結果について(1)

2005年09月13日 | 政治
今度の選挙の結果は、与党に第一院の2/3という実質的な白紙委任を与えることになり、日本の戦後政治史上、少なくとも制度的には、最大の画期になってしまったと理解しています。
現在の小選挙区比例代表並立制は、民意に強いバイアスを掛ける点が特徴で、その事から成立当初から様々な弊害が言われていましたが、今回小泉というキャラクターを得て、それがとても素直にに出てしまい、日本的ボナパルティズムが制度的にも実現したと言っていいのだろうと思います。
ほんとうに佐々木毅たちもとんでもない制度をつくってくれたものです。

さて、これで少なくとも今後四年間、与党には全くのフリーハンドが与えられたわけですが、本当に一体どうなるのやら・・・・
柄谷行人が戦前の思考を謂ってから10年あまり、あー、本当に戦中になってしまったんだな。
というのが、実感です。