人生の処方箋・セラピスト愚禿進の我が計らいにあらず e-mail:gutokushin610@outlook.com

愚かで、弱くて、不完全なのが人間です。だから生きていてよかったと感謝の気持ちで、滋味深く生きよう。メールにて相談受付中

我が計らいにあらず 81 自分を信じる

2017年07月29日 | こころを耕す

 何故自分がこのような辛い、苦しい状況に陥らなければならないのか、訳が分からない状況ってあるもんなんです。でもね、この世に意味のない存在なんて何ひとつないんですよ。1年前に起きた障害者施設での殺傷事件。障害のあるなしに関係なく、この世に生まれた生命はみな同じように尊いのです。病気に苦しむ人も、経済的に恵まれていない人も、頭のいい人も、身体が丈夫な人も、そうじゃない人も皆同じなんです。男も女も、子どもも大人もみんな同じ命の価値なんです。違うのは世間の、市場経済の、学校教育の、競争社会の価値で計っているからなんです。これを忘れてはだめです。いろんな価値は総じて、世間の価値といっておきます。
 この世間の価値を基準にして考えると、勝ち組、負け組に分けられてしまいます。あるいは格差社会は当然という見方が成り立ちます。イジメや落ちこぼれの問題もそうです。すべてはこの世間の価値に振り回されていることが原因です。
 もちろんこの世間の価値をすべて無視しては生きていくことすらできません。だから何か壁にぶつかったとき、岐路に立たされたとき、迷路に迷い込んだとき、自分を見失いかけたときなど、ここはというときに立ち返るところを持つことです。私にとってそれはは命の価値です。命の価値はみな平等です。そして、この世に意味のない存在もないんです。その存在の価値も平等です。
 命の価値、存在の価値に立ち返って、自分はどう生きるのかを問えばいいんです。その時にはじめて、「自分を信じて、自分を認める、自分を愛すること」からはじめてみてはどうでしょう。

 時代や社会が、世界がいろいろな意味で大変なときです。だから生きていくことだけでも大変なんです。一生に誇るべきことを成し遂げた人、成し遂げようとする人もいるでしょう。その人はそういう機会に、縁にめぐりあえたことに謙虚になって感謝すればいい。そのようなことができなくても決して恥じることはない。どんな人生であっても、それなりに生きてきたことをほめてあげればいい。これが自分を信じることだ。自分を愛することだ。と私は思う。

『癒し』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 我が計らいにあらず 80 人を... | トップ | 我が計らいにあらず 82 自分... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

こころを耕す」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL