人生の処方箋・セラピスト愚禿進の我が計らいにあらず e-mail:gutokushin610@outlook.com

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人生は旅 7

2016年12月07日 | 人生のセラピー

 人生は旅のようなものだと思います。その旅とは何なのか、と聞かれてひと言で説明が尽きません。人それぞれでしょうし、『あなたの人生観は」という問いと変わりません。と言ってもこれでははじまりませんね。これまでも多くの国内外の著名人が、人生は旅である。旅は人生である。ということを自分のことばで、自分の人生と旅を論じてきた。と言ってもそれをわたしは読んでいるわけではない。だから多分が付く。今まで森本哲郎氏の論を拝借してきましたが、多くの点で私を納得させるものがあったからで、全てが一致するわけではないのは当然です。
 人生の意味とは、目的とは、生き甲斐とは、はたまた幸せとは、といった類の自問自答をする人は多いでしょう。私の場合はそのような自問自答は一切しません。旅も同様です。俳人芭蕉は、俳句と旅と人生が重なり合っていて、人生とはと改めて思索することなどはなかったのではないでしょうか。わたしの好きな種田山頭火は、こういっていた。   

『 ----私はその日その日の生活にも困ってゐる。食ふや食はずで昨日今日を送り迎へてゐる。多分明日も----いや、死ぬるまではさうだろう。だが私は毎日毎夜句をつくってゐる。飲み食ひしないでも句を作ることは怠らない。いひかへると腹は空いてゐても句は出来るのである。水の流れるやうに句心は湧いて溢れるのだ。私にあっては生きるとは句作することである。句作即生活だ。
   私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることがその一つ。そして他の一つはころり往生である。病んでも長く苦しまないで、あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである。----私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じてゐる。
 ----私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまへを持ちつづけてゐる。----残念なことにはそれに対する用意が整うてゐないけれど。----
 ----無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵してゐる私は恥ずかしいけれど、かうなるより外なかったのであらう。
 意志の弱さ。貪の強さ。----あゝこれが私の致命傷だ!  『山頭火句集 村上護編 ちくま文庫』

 山頭火の境遇は決して恵まれたものではなかった。その句作も存命中は今ほど評価されなかった。行乞の日々を送りながら、各地を漂泊する山頭火の旅もまた人生そのものであったろう。

       生死の中雪ふりしきる
       炎天をいただいて乞ひ歩く

  これは私の好きな句だ。四三歳で出家得度し、耕畝と改名。今でいう曹洞宗の雲水というとかっこいいが、当時は無一文で、托鉢乞食生活であった。もちろん俳句では一銭にもならないから、家々を乞い歩くしかない。
  そして一草庵にて酩酊したまま五八歳で死亡。死因は心臓麻痺。

 旅(行乞)と人生と句作が見事に重なっている典型である。芭蕉とは対極にある俳人であると私は思っている。

 

 
                               

 

 

 

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