人生の処方箋・セラピスト愚禿進の我が計らいにあらず e-mail:gutokushin610@outlook.com

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我が計らいにあらず 72 人を救うということ 11

2017年07月14日 | 人生相談

 これも前に書いた。生老病死(しょうろうびょうし)生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと、これは仏教でいう四苦である。避けられない、思い通りにはならないから苦しいのです。人間の一生を通して流れる根本的基調であると考える。もちろん私のような凡夫にとっては、精神的肉体的快楽や喜びや幸福感、満足感などの感情を全面否定されたら生きてはゆけませんが、日本的宗教思想というものの根底に流れる基調はやはり苦であるといわざるを得ないのです。むしろそれを前提に考えた方が、苦からも自由になれると思うのです。

 そう考えると存在そのものが苦であるならば、心も苦であるといっていいでしょう。順風満帆な人生ほど退屈なものはないと思いますよ。むしろ苦を楽しむくらいの余裕が欲しいものです。そうなれば心が病むといったこともずっと減るでしょう。心は元来苦しいものであるというところから出発すればいいんです。
 自分と他人、身体と精神、思いと現実、これらの間のずれが、あるいは差異が心を苦しめるのではないでしょうか。

 それでも、人間は心の中にあるものを、魂の奥底にあるものを、外へ、現実の世界へ表出し、実現することによって、この世の中に、娑婆の世界に踏みとどまっていられるのです。
 我々凡夫の心にとって、必要なのは、苦しみや悩みを魔法のようにきれいさっぱりなくしてしまうことではなく、また、修行僧のように、無の境地に達することでもありません。そんなことはできないのです。

 娑婆の世界には、つまらないことがいっぱいあります。そのつまらないものに思いをかけて、娑婆世界にその思いを錨のように投げ入れて、現実に根を張り、繋がって生きているんです。何とかね。でもね、そこにずっととどまる必要もないし、いろいろなものと交流しながら、取り入れながら、流れていけばいいんです。それが、人間の自然であるようになればいいんです。植物でも野生の生き物でもない人間らしい自然を獲得できれば。

 

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