人生の処方箋・セラピスト愚禿進の我が計らいにあらず e-mail:gutokushin610@outlook.com

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我が計らいにあらず 77 人を救うということ 16

2017年07月22日 | 人生相談

 「癒し」というのは一種の自然現象です。木一本見ても癒されていた。床の間に置かれた石、日本人が感じる共通の風雅、詫、寂、趣。
 雑草、空に浮かぶ雲、何でもないものにもこころを寄せる、そんな日本人の細やかな息づかい、暮らしぶり。わざわざ「癒し」と命名しなかったけれど、人々は癒されていた。まだ村や里山があちこちにあった、東京にも武蔵野というところがまだ残っている。高層ビルがニョキニョキ生えてきているが。
 しかし科学、とりわけ自然科学の発達と技術革新の進展が進めば進むほど、自然現象としての「癒し」からは遠くなる一方です。自然科学とテクノロジーによって私たちの生活は便利になるほど、癒される機会が減っていくのです。そういうことに気が付かないで暮らしている人は、楽しいかどうか分かりませんが、ストレスだけは確実に増えていますね。
 「地中海に行ってきた」とか「フランスへ行ってきた」とかいって喜んでいる人も、別に「地中海へ行ったって、フランスへ行ったって、行かなくったって同じじゃないの」というようなことを考え出すと、危うくなるんですね。それでまた現代版「癒し」が必要になってくるんです。
 アパートやマンションでひとり暮らししていれば、床の間どころか、木一本、雑草すら生えてない。もう自然現象で癒される場所もない。「癒し」が自然現象ではなくなった。「癒し」すら意識に上ることがなかった時代は遠い話。

 心理学とか、精神医学が、これに替わって登場してくる。もちろんずっと以前からそういう学問はあった。特に心理学は科学と言えるかというと、私は疑問を持っているが。でも、あくまでも疾病、というか精神疾患、心の病に対し有効と思われていた。事実そうであったと思うが、現代風の「癒し」ということでいうとどうなのか。つまり、病気や傷を治すとか、治療するという意味は薄れているんじゃないかな。心の傷を「癒す」という使い方は、受け入れやすいけど、心の傷って、「トラウマ」「うつ病」「人格障害」「解離性障害」「神経症」などに対しても「癒し」ではどうもしっくりこないんではと思うけど。もっと分からないのが、カウンセラーや、セラピスト、心理療法士は何をする人なのか。「科学的」定義はあるのか、なくても実際やっていることは「科学的」根拠はあるのか。等々自分で心理セラピストを名のっていても、分からないことがあります。相談に来る人にも混乱がありますよね。
 でもね。本当はそんなことどうでもいいんだけど、我々庶民はとにかく権威に弱い。「先生」と名のつくものにはめっぽう弱い。さっきのべた自然現象には「権威」「先生」もない。ただあるがままである。
 まだある。「科学的」という言葉にも弱い。もう一つ「マニュアル」というものには服従しかない。というのが現代社会の通念になってはしないか。すべて「癒し」という自然現象にはないものばかり。そんな「癒し」を他力にまかせて語ろうとしているのが、私のブログです。つづく。 

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