人生の処方箋・セラピスト愚禿進の我が計らいにあらず e-mail:gutokushin610@outlook.com

愚かで、弱くて、不完全なのが人間です。だから生きていてよかったと感謝の気持ちで、滋味深く生きよう。メールにて相談受付中

我が計らいにあらず 73 人を救うということ 12

2017年07月15日 | 人生相談

 私たちは自分の心だけで、意識だけで生きてはいない。もし自分の意識や意思や理性や感性やこころや精神だけで生きているとしたら、苦しくなって押しつぶされそうになるだろう。もともと人生は苦であるのだから、それを受け入れた上で、その苦からの解放を願っている。完全に苦から解き放されることはないんですが。だから少なくともこころが苦しくなることを緩和できれば、癒やせればと願っているんです。これが人を救うことに繋がっていけばと思うんですが。自分が救われるという感覚が分かれば、それを人に手渡していくのがカウンセラーとか心理療法家・心理セラピストだと思っています。でもあまりにも自分の意識だけで、自分の心だけでやろうとしていないか、生きようとしていないかと、いつも思ってます。エゴや傲慢さが顔を出してはいないかを自重しながら。

 私の考える「他力」というのは、法然、親鸞の阿弥陀さまとか、あるいはそういう権威(俗世界の権威とは違う超越的なもの)に、まかせるというものではないんです。他力という仕掛けは、捧げる、まかせるということ、計らわないことなんでしょうが、そのことを通じて、自分の心のもっている潜在的な可能性というものが動き出すままにするということです。
 意識を集中させて、何かをやり遂げるのは自力です。その凝縮された意識を停止し、瀬在的可能性にまかせるのが他力。簡単にいうとこういうことですが。私は他力の方は感覚で受け入れる方が分かりやすいと思います。意識やこころの働きを停止すること自体は自力ですよね。これって結構難しいですよ。なるようにまかせるといった方がいいのかな。誰もが経験することだと思いますが、「気付いたらある人のことを思っていた」「気付いたら山頂まで登っていた」「気が付いたらこんな時間まで❍❍に夢中になっていた」こんなことってよくあるでしょう。意識してやっていることではなくても、それ以上に力を出してやりきってしまうことってありますよね。私はこれを「他力」といい、「我が計らいにあらず」といってます。
 そういう時間を過ごすということがとても幸せな気分なんです。誰にでもそういう時がありますよ。意識を集中してできることよりも、意識から離れたときにできることの方が、つまらないことであっても、大切なことであっても、満足感は大きいのではと思います。もちろん満足感、充実感を得るために、幸せになるために、という意識が先行していてはだめですよ。難しいですね。でもこれだけは言えます。「わくわく」感が動き出しているときには、計算抜きで動いていますよ。つづく

『癒し』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 我が計らいにあらず 72 人を... | トップ | 我が計らいにあらず 74 人を... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

人生相談」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL