私の目の前にNumberがある。
「スポーツ・グラフィック・ナンバー」
文藝春秋発行の名物雑誌。
…栄えある第300号が、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスだった。
誰もが予想しえなかった運命の悪戯。
案外、悪くない出来だったのに、その後が続かなかったのは、某・ご夫人が不味かったという説。
なぁ、元子さん。
…1992年8月22日の日本武道館。
2年間、超世代軍として全力ファイトを続けるも
シングルのベルトには微妙に足りなかった三沢光晴。
91年には鶴田のバックドロップに沈み、スタン・ハンセンにはパワーで抑え込まれ
時にカラダを壊され“ガラスのエース”と揶揄されていた時代もあった。
…前シリーズで左肩を痛め、それでも武道館に向かう。
スタン・ハンセンとの3冠戦を闘うために。
「負けたら、1年間は挑戦しない。」という言葉を残し。
…気がつけば、エルボー1発で倒してしまった。
1発のエルボーパッドで失神したハンセンが数秒後、何事も無かったように見せたのは
プロレスラーの意地という綺麗事では済まないというオチ。
…たぶん、それってプライドってヤツ。(独り言)
…そんなプロレス的な人間の行き違いが見える1992年。
高田延彦が北尾をハイキックで素っ飛ばしてみせたり
その裏で、天龍が北原と組んで、越中&健吾兄さんと派手に戦う世界があった。
…三沢光晴が本当の意味でヘビー級と評価されるのは、これから数年後。
そんな完成期に相手するレスラーが四天王だけだったのは
レスラーとして幸せでもあり、また、不幸でもある。
…有体に言えば、鎖国した事によるデメリットなのだろう。(自己解決)
…例によって、三沢・ハンセンを観てない人には解らないネタで誠に申し訳ない。