行き着けなくても一日一歩の気構えで。たそがれおやじの覚醒。
日暮れて途遠し



20年前に今回と同じような場所、条件下で起きた事故とはどういうものだったのか。
イージス艦漁船衝突の詳細を伝えるテレビ報道でも断片的に紹介されている。
「真相はこれだ!『昭和』8大事件を撃つ」祝康成(新潮文庫)から抜書きしてみた。(全体の約60%程度の分量になります)
相手の船を右舷に見る側(航路回避義務がある側)が自衛艦側であったこと、組織的に事実隠蔽の陰が見えることなどいろいろと相似形が見えて参考になります。

●潜水艦「なだしお」東京湾衝突事件で隠されていた「無謀運転」
真相はこれだ!「昭和」8大事件を撃つ
祝康成 新潮文庫 (H16.3)初出H13.10

「潜水艦です、ほら潜水艦が見えますよ」外から、乗組員の弾んだ声が聞こえた。横浜港を出発して1 時間余り。第一富士丸は、横須賀港の沖合、約3キロの地点にさしかかっていた。
昭和63年7月23日(土)午後3時半過ぎ。北の風7メートル、視界13キロ。空はどんよりと曇っていたものの、波もそれほど高くない、穏やかな夏の東京湾だった。
船をチャーターしたのは伊藤忠グループ約100社で作る親睦団体。社員とその家族など39人、乗組員9人の計48人を乗せた第一富士丸は伊豆大島を回って海水浴や夜釣りを楽しんだ後翌日帰港する予定だった。

第一富士丸の船長は、30歳の近藤万治だった。国立鳥羽商船高等専門学校を出て船乗りになった近藤は、貨物船やサルベージ船に乗り込み、世界中を回ってきた海のスペシャリストである。
海上自衛隊所属の潜水艦「なだしお」はこの日、伊豆大島東方海上での展示訓練(公開訓練)を終え、横須賀港へ帰投の途中だった。総排水量2250トンのこの巨大潜水艦は、日本初の対艦ミサイル搭載艦として知られていた。
操舵室から近藤がなだしおを視認したとき、まだ3000メートル以上、離れていた。危険は感じなかった。距離は十分あるし、双眼鏡で見ると、洋上から突き出たなだしおの艦橋には、白い制服を着た隊員の姿も認められる。だが、黒い鉄の塊は、確実に近づいてきた。乗組員の1人が「大丈夫ですか」と声を掛けると、近藤は「優先航路だから大丈夫」と答えている。
優先航路――海の交通ルールである海上衝突予防法では、2 隻の船が接近した場合、相手の船を右舷に見る船に回避義務、左舷に見る船に航路保持(そのままの進路とスピードで航行を続ける)義務を定めている。そしてこの場合、東京湾を横切って横須賀港へ向かうなだしおが、南下してくる第一富士丸を右舷に見ていた。つまり、回避義務は潜水艦にあったのだ。しかし、なだしおはみるみる接近してきた。
近藤は、10ノットの速力(1ノットは1時間に1海里・1852 メートル進む速さ)を7ノットに下げ、舵輪を左に回した。そのとき、近藤は恐ろしい光景を見た。なだしおも右転を始めていたのだ。万事休す。第一富士丸となだしおは右舷同士で激突した。

船の中は地獄だった。サロンと客室には多くの乗客が残されていた。横倒しになった第一富士丸はわずか1分ほどで沈没している。
4日後の27日早朝、水深50メートルの海底から引き上げられた第一富士丸の船内には、20名の遣体があった。乗客乗員48名のうち、30名が亡くなるというこの大惨事は、自衛隊を窮地に追い込んだ。新聞記者が語る。
「最新鋭艦のなだしおと釣り船の第一富士丸では、ダンプカーにバイクがぶつかったようなものです。しかも民間人ばかり30人も犠牲になったから、世間の非難が集中した」
加えて、事故後の自衛隊の対応が火に油を注いでしまう。
「第一富士丸の近藤船長がその夜の7時過ぎ、横須賀海上保安部の庁舎内で事晴聴取に応じたのに対し、なだしおの山下啓介艦長は出頭しなかった。自衛隊側が“いまは聴取に応じられない”と拒否したのです」
結局、聴取が実現したのは午後11時過ぎ。それも、海上保安部の係官が、事故現場に留まっていたなだしおに出向いて行う、という異例の形での事情聴取だった。新聞記者が続ける。
「事故後、7時間も空白があった。この間、自衛隊幹部もなだしおの中に入っている。なんらかの口裏合わせがあったと疑われても仕方がない」
艦長の山下啓介は当時39歳の二等海佐。防衛大学の15期生で、3月に艦長へ就任したばかりだった。自衛隊関係者が語る。
「山下は幹部候補生学校をトップクラスで卒業した、エリート中のエリートだった。地味な潜水艦乗りから海上幕僚長が出るとしたら山下しかいないと言われたほどの逸材。それだけに、自衛隊もなんとかして守りたかったのです」
翌24日、海上自衛隊のトップ、東山収一郎海上幕僚長は記者会見の席上、「第一富士丸が左にカジを切らず、直進していたら事故は避けられた」「山下啓介艦長は最善の措置をとったと思う」と述べ、自衛隊に責任なしの立場を明らかにした。
この強気の姿勢の背景を、防衛庁関係者が語る。
「昭和46年の雫石事故の二の舞いを避けたかったのです。全日空機と自衛隊戦闘機が激突し、全日空機の乗客乗員162名全員が亡くなったこの大惨事では、自衛隊機のパイロット2人が助かったこともあり、防衛庁は平謝りに徹した。これで自衛隊イコール悪者のイメージが根付き、隊員の士気も低下した。なだしおでは、主張するところは主張しよう、というわけです」
44 歳になる近藤万治が、当時を振り返って語った。
「事故の後は呆然自失というか… 海上保安庁で事情聴取を受けているときは夜も昼もなくてね。保安庁にいる鳥羽商船の後輩が来てくれたとき、はっと我に返って、死ぬことを考えました。あの窓から飛び降りたら死ねるかな、と。事故の翌日に幕僚長が会見で“事故の原因は第一富士丸にある”と言いましたが、あれだけの人が死んでいるわけだから、自分が悪いというのは分かっています。しかし、全部おまえが悪い、という言い方は納得できませんでした。でも、国だから、全部それで終わってしまうのかな、という恐怖心はありました」

ところがこの後、19歳の女性の証言に日本中が戦係する。女性は第一富士丸の接客係だった。彼女は事故から2日後の25日、記者会見でこう言い放ったのだ。
「潜水艦上に人が見えたので、“助けて”と何度も叫んだけど、彼らは黙殺したのです」「わたしのほかにも何人もが助けてくれと叫びながら、次々と海中に沈んでいった」
「わたしは何度も“あんたたち、何見てんのよ。どうして助けてくれないの”’と叫んだのですが、潜水艦の人たちはただ見ているだけで何もしてくれませんでした。この事故は、自衛隊が一方的に悪いと思う」
だが、このショッキングな発言に自衛隊側は「ありえない話」と猛反発。後に女性本人も海上保安本部の事情聴取で「思い違いでした」と訂正し、尻すぼみとなっている。
だが今回、取材を進めるうちに、こんな驚くべき証言が出てきた。第一富士丸で事務長を務めていた平間惣一郎(53)の話である。
「事故の直後、彼女の “潜水艦は助けてくれなかった”という証言が物議を醸しましたたが、わたしもまったく同じ体験をしているんです。みんな口々に“助けてくれ”と叫んでいましたし、必ず潜水艦は助けてくれると信じていました。わたしが海上で木の板につかまっているうちに、潜水艦本体の上に隊員が何人も並びましたが、みんなじっと見ているだけで、助けようとする素振りは全然見えませんでした。声を掛けるとか、ロープを投げるといった動きもないのです」近藤らを救助したイブ1号の足立もこう語る。
「衝突から10分ほど経過していましたが、救助しようという素振りは見られませんでした。近藤船長らを救助した後で、なだしおの甲板がざわざわしてきて人が集まり、オレンジ色のライフジャケットを着込んだりしていたのです」
もっとも、元潜水艦乗組員はこう言う。
「ハワイのえひめ丸の事故もそうでしたが、潜水艦は洋上の人間を助けるようには出来ていないのです。一応、救命用のゴムボートはありますが、艦内の奥から引き出すのが大変で、緊急の場合は殆ど役に立たない。海へ飛び込もうにも、なだしおのような大型艦になると、ボディが甲板から5メートルくらい張り出しているからとても無理。じゃあ艦上を滑り降りればいいかというと、ボディは一見ツルツルしていますが、実際は溶接とかでデコボコしているから大怪我をしてしまいます」
助けなかったのではなく、助けられなかった、というわけだが、ともかく、これまでの証言をみる限り、なだしおの隊員に、誰もが納得するだけの強い救助の姿勢が無かったのは事実のようだ。

ある海運関係者は、大惨事の原因を次のように推測する。
「事故のあった浦賀水道は、世界でも屈指の過密航路。当時、1日当たり700 隻以上の船が往来していた。しかも南北に航行する船と、横須賀港に出入りする東西方向の船が交差するため、衝突の危険性は常にあった。信号機のない交差点みたいなものです」
加えて「自衛隊の船舶は特別」と、こう言う。
「自衛艦は海上衝突予防法で定められた避航船(他船の進路を避けねばならない船舶)の時でも、民間船が避けるのが当然と思っている。レジャー船なんか蹴散らされていますよ。“おまえらは遊んでいるんだから、自分たちに航路を譲るべきだ”という意識でしょう。近藤さんは、海外の航路が長いから、自衛艦と民間船の関係が良く分かっていなかった。逆になだしおは衝突寸前まで、第一富士丸が避けるはず、と思い込んでいたんじゃないかな」
近藤もこう言う。
「それまでは大型船で外洋に出ていたので、洋上の潜水艦は1、2 度見た程度です。船仲間からは、ギリシャ船というのが“あまりルールは関係ない、気をつけなさいよ”と言われていたんですけどね。ただ、ルールがある以上、ちゃんと守るべきだし、それは自衛隊だろうと同じでしょう。ですから、民間船たるもの、自衛隊の船が来たら無条件に進路を譲るべき、という考え方はとても納得できません」

海難事故の原因究明は、運輸省(現国土交通省)の外局である海難審判庁で行われる。なだしお事件の審理は昭和63年10月3日から始まった。新聞記者が語る。「とにかく、なだしお側の行動に疑問が多すぎた。海上保安庁へ通報したのは事故21分後、という事実も明らかになっており、おかげで巡視艇の現場到着が大幅に遅れた。
一方、富士丸の側にも間題があって、定員44名のところ、48名が乗っていたとか、正確な乗客名簿が作成されていなかったとか、杜撰な点が多々あった」
しかし、審理で最も注目されたのは、なだしおの航泊日誌の書き換え疑惑だった。
「平成元年11月15 日の朝日新聞がスクープしてね。衝突時間を3 時38 分から40 分に書き換えた跡があった、というもの。審理の中で、山下艦長の命令で部下がやったと確認されたが、艦長は“鉛筆の字をペンで清書しただけ”とよく分からない弁明に終始した」
もっとも、2分遅れたことがなだしお側にとってどれだけのメリットがあるのかはっきりせず、この間題はうやむやのまま終わっている。
「ただ、あの一件で、なだしお側の証言はあてにならない、組識ぐるみの改竄も平気でやる、と分かった。他にも何か隠してあるんじゃないか、と疑いの目が向けられた」

実はなだしお事故の裏側を取材していくと、ある重大な疑惑に突き当たる。書類の改竄など比較にならない、衝突の原因となった疑惑である。
なだしおの乗組員たちは、筆故後、密かにこう語り合っていた。
「あんなことをやろうとしたから事故になったんじゃないか」
----------------------
(以上が基本情報。これ以降がこの本の核心部分なのであるが、その詳細は本書を手にとってご確認ください。概略は、当日演習に向かうなだしお最高スピードにあげたときに原因不明の絶縁不良不具合がみつかり、その原因特定のために帰港直前のあの交通混雑地域で再度スピードを上げる実験をしたことが原因ではないかということです。それを乗組員は海難審判庁の審判では隠した)

しかし、実は、海難審判が進行している間、横浜地方検察庁は、第一富士丸の近藤万治となだしおの山下啓介への業務上過失致死傷害罪等を問う刑事裁判に向けて、密かに乗組員らの事情聴取を続けていた。
彼らは検事に対し、恐るべき事実を語っている。なだしおの乗組員は、30 人の民間人の命を奪った惨劇に深くかかわる秘密を抱え、苦悩していたのである。

裁判の模様を詳細にルポした『なだしお事件』(上村淳著第三書館)は、N1計画について次のように書く。
<船舶の多い東京湾内でこのような試験をしようとしたこと自体、衝撃である。仮に事故の直後に明るみに出ていれば、マスコミでも国会でも大きな問題となっていたに違いない。海上保安庁に話すのはまずい、という考えが乗組員の間で出たのは当然だろう>

N1の問題は横浜地裁の刑事裁判で検察官によって追及されたものの、マスコミは殆ど報じず、無視された形で終わっている。新聞記者が語る。
「難解な専門用語が飛び交う海難審判で、記者連中はすでにうんざりしていたんです。傍聴席で眠っている記者も多かった。しかも、刑事裁判の公判が始まったのは平成2年の12月10日。事件発生から2年半近くも経過していた。加えて、判決まで2年を要してね。世間の事件への関心は薄れるばかりだったし、記者連中も、N1とかMCとか言われても、よく理解できていなかったんですよ」
なだしお艦長の山下は、刑事裁判の法廷で第一富士丸側の弁護人から「N1運転のことを事故直後の段階であなたは供述されていませんね」と指摘された際、こう答えている。
「そういうことは全く事故と関係ないし、わたしはとっくに忘れておりました」
以下、機関長の古澤の供述。
「当然、N1運転の指示がなされるものと思っていたところに、後進一杯という予想外の指示が来たので、意外な感じがしたのは事実です」この時、運転室の乗組員の間からは「後進一杯はN1じゃないよな」と、戸惑いの声も漏れている。しかし、巨大潜氷艦のなだしおは後進一杯をかけてもすぐには停止できず、衝突した。

裁判は真相解明とは程遠い、なんとも不可解な灰色決着で終わる。横浜地裁の判決(平成4 年12 月)は山下啓介に禁固2 年6 カ月、近藤万治に禁固1 年6 カ月(いずれも4 年の執行猶予付き)というもの。ちなみに海難審判では一審こそなだしお側に主な過失があったとする裁決が下されたが、二審は「過失は同等」と一転している。
司法記者が語る。
「過去の船舶事故で禁固2 年を超えるものはほとんどないから、判決そのものは軽いとはいえない。ただ、公判の証人尋問で、なだしお側の乗組員の証言がガラリと変わったことが不自然だった。検察の調書の内容を本人がことごとく“違います”“分かりません”“忘れました”と否定し、とぼけたのです。事前に意思の統一があったとしか思えない。

司法記者が続ける。「山下艦長も最後までN1(最高スピード12ノット運転)の試験計画と操艦判断のかかわりを全面的に否定し続けた。乗組員はだれ1人として、検事調書の記述を認めなかった。これでは検察はお手上げ。自衛隊の一致団結した組織防衛の前に敗れたのです。結局、N1計画と事故の関連性は限りなくクロに近いものの、裁判は真相が解明されないまま、うやむやで終わった」
(近藤が)裁判を振り返ってこう語る。
「自衛隊の人の法廷証言が、検事調書とことごとく違っていたのはね… 正直に言ってもらえると信じていたのに、統一した回答になっていたのは、やはり情け無かったです」
民間人30人の命が失われた大惨事から13年。潜水艦なだしおの乗組貝は、今も沈黙を守ったままである。



コメント ( 17 ) | Trackback ( 1 )



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コメント
 
 
 
漁船でなにがあったか (古井戸)
2008-02-26 11:52:39
面白そうな本の紹介ありがとうございます。わたしも昭和人間だから、この本のなかの事件、いずれにも想い出があります。

ところで。。撃破された清徳丸で直前になにがあったのだろうか?過去の、この親子の漁船の運航パターン(仲間の漁船員が知っているはず)であれば、自衛鑑の回避行動など期待しているはずはないから(漁船側が回避するのが常)。。気づくのが余程遅れた、としかおもえない。
 
 
 
真相はこれだ (管理人)
2008-02-26 23:55:13
お役に立てて何よりです。
私もたまたま家人から、ここにあるよと教えてもらったものです。
報道によればどの船も回避しようとしていますね。清徳丸も右に回避しようとしたようです。車の運転などと違ってすぐに方向を変えられず、止まれず、人間のサイズにくらべて桁違いに大きい。
だから早めに予測・注意が必要なのでしょうね。そこを自動運転で突っ切ろうとは…
 
 
 
真実 (フリージャーナリスト)
2008-03-18 00:03:13
 拝見させていただきました。本事件(なだしお事件)は当時、各社の報道は一貫して自衛隊バッシングでしたが、これは視聴率を上げるための手法からの報道内容でした。いわゆる構図作り(善対悪)が少ない情報のもと優先されましたのは事実です。私はどちらも擁護しません。ただ、本文に記されている内容の殆どが、後の調査によって証言女性、船長、機関長の発言が事実と異なることも生存者の証言から明らかになりました。真実は小説よりも奇なり。本件を含め、常に真実は闇の中です。組織による隠蔽、視聴率のための報道(事実歪曲)、評論家に発言内容を指示するマスコミ、常に真実から置き去りにされるのは一般の視聴者です。
 
 
 
コメントありがとうございます (管理人)
2008-03-18 23:03:58
私はこの本の内容がどこまで真実に迫ったものなのかを判断する材料は何も持っていません。
たまたま、手許にこの本があり、過密航路であったこと、回避義務を果たしていない、海上保安庁へ通報が遅い、日誌の書き換え等それらしい類似点が目に付いたのでとりあげてみたものです。
「後の調査によって…の発言が事実と異なることも生存者の証言から明らかになり…」とありますが、具体的にどのような点についてどういう新証言があって、それが何を見れば分かるのか、もしご存知でしたらご教示いただければ幸甚です。
 
 
 
Unknown (たばこ大好き)
2008-07-24 16:58:21
昨日で、ちょうど20年だったんですね。
僕は、20年前、新入社員で、会社の先輩、お二人がこの事故で、亡くなられました。

この本、読んでみようと思います。
ありがとうございます。
 
 
 
ご存知の方 (s)
2009-01-07 16:40:50
Unknown(たばこ大好き)さん
この事件で亡くなられた先輩という方についてお尋ねしたいです。その先輩という方は当時24歳のSさんという方ではありませんでしたか?
違っていたらすみません。
 
 
 
はじめまして (通りすがり)
2009-05-24 20:05:39
はじめまして。
なだしお事件を調べようとグーグル検索していて、偶然こちらに、たどり着きました。

>総排水量2250トンのこの『巨大潜水艦』

なんともお粗末な本ですね。
上記の一言で『まともな取材をしていないか、自衛隊バッシングさえ出来れば良く、そもそも事実なぞどうでも良いと思っているかのどちらかなんだろうなぁ。』と推測出来てしまいます。

排水量2250トン(水中2400トン)というのは確かに通常動力型潜水艦としては大型ですが、世界には水中排水量48000トンの潜水艦もある訳で。
2400トンで巨大なら、その20倍の潜水艦はどう表現したら良いのかと。
 
 
 
巨大潜水艦 (管理人)
2009-05-25 22:08:21
第一富士丸154tからすれば2250tは十分に巨大だと思いますが。
 
 
 
Unknown (通りすがり)
2009-05-26 23:40:28
こんばんわ。
先日、書込みをさせて頂きました『通りすがり』です。
早速、ご回答を頂きまして誠に有難うございます。

管理人さんのご気分を害してしまった様で、申し訳ありません。
事実をないがしろにする、祝康成氏の姿勢を批判するのみであり、管理人さんを揶揄する意図は全くございません。
拙文ゆえあらぬ誤解を産んでしまった事を、重ねてお詫び申し上げます。

『第一富士丸154tからすれば2250tは十分に巨大だと思いますが。』との事ですが、これは日本語の解釈として不適当ではないでしょうか?
『巨大潜水艦』とは『潜水艦として巨大』と言う意味です。
潜水艦以外の物と比較している訳ではありません。
この事は原文の『巨大潜水艦』の部分を他の言葉に置き換えると分かりやすいでしょう。

例1:総排水量2250トンのこの巨大タンカーは

ね? おかしいでしょう。
2250トンはタンカーとして明らかに小型です。
潜水艦の排水量は一般の人にはあまり興味がなく知られていないため、違和感を感じられないかも知れませんが、他のモノに置き換えてみると、不自然さが際立ちます。

違った場面を想定してみましょう。
公園で三歳の幼児が、中学生とぶつかって転んだとしましょう。

例2:三歳の幼児を、身長150cmの巨漢がぶつかって転ばして怪我をさせた。

三歳児と比べれば、身長150cmの中学生は巨大です。
でも身長10cmの中学生を指して『巨漢』とか『巨人』『巨体』とは言いません。

祝康成氏は「『なだしお』が潜水艦として巨大だ。」と言っていることがお分かりいただけると思います。

管理人さんは、心情的におそらく祝康成氏を擁護なさりたいのだろうと思います。
ですがこの場合、管理人さんの仰っている事は擁護になりません。
むしろ『祝康成氏は日本語が不自由だ。』と言う罵倒になってしまっています。

最後に、私が祝康成氏の本を批判した理由を述べさせて頂きたいと思います。
私の『なだしお事件』に関する政治的なスタンスは中立です。
(未だ調べている途中ですが今のところ)なだしおと第一富士丸の双方に責任があったのではないかと思っています。
ただ多数の死者を出した痛ましい事故だと言う思いは変わらない。

祝康成氏の『事実などどうでも良い。』と言う姿勢は、それが単純に不勉強でただ本が売れれば良いと思っているのであれ、反自衛耐熱を煽りたいのであれ、犠牲者を利用するもので不謹慎だと感じました。
それ故、一言感想を述べさせて頂いた次第です。
 
 
 
おまえは何も解ってない (戦人)
2009-06-22 15:51:01
海外では、軍艦の前を横切らないのが常識だ、日本が非常識なんだ。
 
 
 
横須賀ふきん航行の常識 (葛飾のにほどり)
2010-06-29 18:44:38
なだしお事件後、ある週刊誌で老年の漁師が「おれらはよ、昔から帝国海軍や米軍の軍艦、自衛艦には近づかなようにしてんだ」と語っていたという記事がありました。この暗黙のルールを先輩から引き継いでいる若い艦長とローカルルールを知らない遊漁船の船長の認識のズレも、この事件を招いた原因の一つではないかと思います。
 
 
 
海難事故防止 (Unknown)
2011-03-23 14:09:22
自分の優先だけ主張しても、事故は事故、小型船が基本的に回避すべきです。日本人は、池の中のかわず 日本国家・アメリカに対しては無茶苦茶は、主張をするが、北朝鮮・中国・ロシアに対して同じ事を言ってみたらどうか、言論統制がおあるところで、同じことを言ってみろ。
 
 
 
ちょっとこれは (新保守は必要なのか)
2011-05-25 16:01:00
管理人さんへ
通りすがりですが、少々。最近は検察の取り調べの世界というか実情というのが信じられないくらい酷い状況だというのが暴露されましたね。自業自得という表現のほうが適切でしょうか。「国家の罠」をお読みなので次のくだり→「彼らは検事に対し、恐るべき事実を語っている。なだしおの乗組員は、30 人の民間人の命を奪った惨劇に深くかかわる秘密を抱え、苦悩していたのである。」← ですが、これって検察の捏造と仮定した場合。捏造された調書に署名を強要されたら自衛官はどう思いどう行動するかという視点で再考してみてはいかがでしょうか?そお考えを知りたいです。
 
 
 
無謀 (深夜特急)
2011-10-17 08:55:58
結論、から40何名も載せている遊漁船が、潜水艦に近ずくことが無謀、根本の原因はここにあります、
 
 
 
Unknown (ナナシ)
2014-01-16 02:16:35
~のようだ、~と推測される、()書き内の妄想など、事実と確定されていないことを並べても、それはブログ主の希望でしかありません。
東京湾のような狭い海域では大型船は「航路」 しか通れません。その上、大型であるが故に緊急時の操船にも限界があります。大型船の航路を妨害してはいけないルールもあります。
また、なだしおが救助義務を怠ったというのもマスコミのでっち上げであったこともわかっています。
詳しくはhttp://m-atomi.blog.so-net.ne.jp/2008-07-23をご覧下さい。
近日中に本記事についての訂正を希望します。
 
 
 
自衛艦の傲慢な操船 (外国航路ベテラン船長)
2014-03-12 13:46:22
今年になって、またも自衛艦(おおすみ)と漁船の衝突事故が起こり、またも漁船員のかたがなくなりました。 
なだしお、あたご、おおすみと漁船との衝突事故を見ると、漁船を見下したような自衛艦の傲慢な操船が目立ちます。 私は自衛隊の方には、大変感謝しておりますが、この3件の衝突事故に関しては、自衛艦の傲慢な操船が大きな要因であると思います。
自衛艦の5000-6000トンは、我々商船乗りからすると、小型で大変操縦性すぐれており、どんな状況であろうと、他船をかわすのは容易でしょう。
何故ぶつかるのと聞きたいです。
軍艦であろうと商船であろうと海の上で1対1ならお互いに五分五分です。 これはアメリカでも同じでしょう。 ただし艦隊行動をしている場合には、他の船に避ける義務があります。 勘違いなさらないように。
今山崎豊子さんの約束の海を読み、あらためてなだしおの事故を思い出しました。
 
 
 
Unknown (g)
2016-02-12 22:01:44
犠牲者の知人です。
今も許せません!
 
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