行き着けなくても一日一歩の気構えで。たそがれおやじの覚醒。
日暮れて途遠し



旧ユーゴスラビアを中心とした歴史を追ってみると、民族、言語、宗教など基本的な点がわからないとついていけないので、Wikipedia情報をメインに自分用のメモをまとめてみた。

まず、南スラブ人と言う言葉が出てくる。バルカンは南スラブ人。セルビアはスラブ系なのでロシアが支援するのだと。南スラブの前に東スラブ、西スラブこれは分かりやすい。
ちなみに東欧でスラブではないハンガリーはマジャール人、ルーマニアはラテン系。

●東スラヴ人: スラヴ人の中で東スラヴ語を話す、中世にキエフ・ルーシを組成し、17世紀頃までにウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人に発展した人々を指す。

●西スラヴ人: スラヴ人の中で、西スラヴ語を話すチェコ人、ポーランド人、スロヴァキア人、カシュビアン人(ポーランドに同化), ソルブ人(ドイツに同化)のことを指す。

●南スラヴ人: スラヴ人の中で主にバルカン半島周辺に居る旧ユーゴスラヴィアのボシュニャク人(ボスニアック人)、セルビア人、モンテネグロ人、クロアチア人、スロヴェニア人、マケドニア人、ブルガリア人などのことを指す。
これらの民族は、ほかの西スラヴ人、東スラヴ人とは根本的に異なる歴史を歩んできており、ほかのスラヴ語とはことなる南スラヴ語群の言語を話す。バルカン型と言われ、民族の混血・混交が激しく…

★ボシュニャク人:
オスマン帝国支配下で、イスラム教に改宗した南スラブ人の末裔である。言語的にはクロアチア人、セルビア人と大きな差はないと言われている。
ボシュニャク人はボスニア・ヘルツェゴビナを彼らの民族的故地と考えている

★セルビア人:
主にセルビアやボスニア・ヘルツェゴビナのスルプスカ共和国を中心に住む南スラブ人。血統や言語はクロアチア人とほぼ同じだが宗教が異なる。セルビア人には正教会信徒が多い。7世紀ごろバルカン半島中西部に定住し東ローマ帝国の影響下で正教会を受容した。12世紀後半にセルビア王国を打ち建ててセルビア人は東ローマ帝国から自立し、新たにセルビア正教会を樹立して宗教上も独立を勝ち取った。14世紀半ばにセルビア王国は黄金期を迎えるが、その後急速に衰弱しオスマン帝国の圧制下に置かれることとなった。

★クロアチア人:
主としてバルカン半島北西部のクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナに在住する南スラブ人。クロアチア語話者であり、主にカトリックを信仰する。
クロアチア人は7世紀ごろセルビア人やスロベニア人とともにバルカン半島北西部に下った。東ローマ帝国の支配を経験したのち、9世紀半ばに独立国を形成する。
11世紀からハンガリー王がクロアチア王位を兼任したが、15世紀後半クロアチアはセルビア・ボスニアとともにオスマン帝国の指導下に置かれる。

★モンテネグロ人:
モンテネグロを主に構成する南スラブ人である。モンテネグロ人がセルビア人とは別の民族であるかどうかはしばしば論争の対象になっている。モンテネグロ人は、言語・歴史、文化、宗教、起源においてセルビア人にきわめて近しい存在であるといえるが、他の南スラブ諸民族とも密接な関係を有している。
2006年5月、モンテネグロは国民投票の結果、独立賛成派が反対派を10%上回り、独立は承認された。そして6月3日に独立宣言し、独立国「モンテネグロ」が成立した。

★マケドニア人:
主として現代のマケドニア共和国に在住する南スラヴ人。
1912年にギリシャ・セルビア・モンテネグロ・ブルガリアはオスマン帝国に宣戦し、ギリシャその他四国(バルカン同盟)が勝利した。戦後のロンドン条約でバルカン同盟はマケドニア地方を獲得し、モンテネグロ以外の三国がこれを分割した。また、アルバニアが新たに独立した。
このときセルビアが取得した部分が、現在のマケドニア共和国の前身である。1945年ユーゴスラビアが社会主義国家となると、新しい連邦内共和国の国境が定められた。マケドニア人は、自身の民族名を立てることが出来ず、古代ギリシアのマケドニア王国の故地に近かったため国号とした。こうして誕生したマケドニア共和国に在住するスラヴ人は、マケドニア人と呼ばれるようになった。

★ブルガリア人:
ブルガリアを中心に居住する南スラヴ人の一派である。主として、ブルガリア語を使用する。今日、大部分のブルガリア人はブルガリアに住むが、一部は様々な国に移住している。
現代ブルガリア人は、7世紀にバルカン半島に定住した、中央アジアの遊牧民ブルガール人とスラヴ人の子孫である。この2つのグループは、681年にブルガリア帝国を形成した。だが、支配階層となったブルガール人の人口は、スラヴ系住民に比べて圧倒的に少数であったので、やがて混血が進みスラヴ文化に融合していった。
14世紀以降ブルガリアはオスマン帝国の支配をうけたので、再びトルコ人との混血が進み、彼らの用いるブルガリア語にもトルコ語からの借用語彙が多くなった。19世紀後半からブルガリア人は自立に向けて動き出し、20世紀には自らの独立国を打ちたてた。だが、同じスラヴ系の「マケドニア人」との境界は今なお曖昧で、現在マケドニア共和国でマケドニア人として扱われている一部の人物は、ブルガリアではブルガリア人として扱われているという事例もある。

★スロベニア:
200万9245人(2007年推計)の人口のうち、スラブ系のスロベニア人が約83%を占める。公用語はスロベニア語。スロベニア文化はほかのスラブ文化とことなり、約1000年間にわたってドイツおよびオーストリア文化の強い影響をうけ、70年余りのユーゴスラビア時代をへた今もなお、その痕跡(こんせき)をとどめている。たとえば、スロベニア語はラテン文字で表記され、スロベニア人の多くはカトリック教徒である。
スロベニア人以外には、セルビア人(約2%)、クロアチア人(約2%)、ハンガリー人、イタリア人などが居住する。ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦による難民も多数うけいれている。
人口のおよそ半数は都市部に居住し、とりわけリュブリャナ(人口26万6845人(2005年推計))、マリボル(11万1673人(2005年推計))に集中している。

●アルバニア:
バルカン半島南西部に位置する共和国。首都はティラナ。
西はアドリア海に面し、北にはモンテネグロ、東にはマケドニアとセルビアのコソボ、南にはギリシャがある。オスマン帝国支配等の歴史的経緯から、イスラム教を信仰する国民が大半を占めるが、宗教的戒律は概して緩やかであり、トルコと同様に政教分離が進み、世俗的である。カトリックや東方正教会の信者も少なくない。

★コソボ:
アルバニア人がこの地域に住むようになったのは紀元前1000年頃と言われている。アルバニア人はスラヴ人ではなく、インド・ヨーロッパ語族の中でも独立した語派を形成している。アルバニア人のルーツについては未だ分かっていない事の方が多い。一方セルビア人がこの地域にやってきたのは7世紀頃と見られている。その後10世紀になってセルビア王国が成立。その領域に組み込まれた。セルビア人がこの地域について説明するとき、コソボは中世セルビア王国発祥の地であり、セルビアがオスマン帝国に敗れたコソボの戦いの場所であることなどからセルビア人にとっては「聖地」と説明される事が多い。このため後のコソボ紛争ではセルビア人は、コソボがセルビア共和国から独立して切り離されるのに反対し、問題を複雑化させる一因となった。

--------------------------
参考WEB

●SAPIO 9/5号(8/8発売)Intelligence Database 第61回 
ロシアのコソボ独立拒否でまたも燻り始めた「欧州の火薬庫」=佐藤優

憎しみのバルカン(2):戦争を利用する人々
98年10月30日  田中 宇


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア



« コソボ独立 交渉... 改革条約調印 E... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
規約に同意の上 コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁
 
この記事のトラックバック Ping-URL