ステージおきたま

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書くべきか?ご当地映画?『ヲ乃ガワ』

2013-04-06 21:49:46 | 地域文化
 書いてしまっていいんだろうか?悩んでいる。

 あんなに沢山の人たちが精一杯応援して出来上がった作品だ。監督や制作者にはなんの同情もないが、おらが映画の完成を心待ちしていたボランティアの人たちのことを思うと、感想なんか心に留めて黙っていた方がいいのか、とも思う。

 その一方で、ああも多くの人々の期待をないがしろにした制作者側への憤りも大きい。また、この後各地で上映が進めば、宣伝につられて見に行く人たちもあるだろうし、事前の情報を得たいと探す人もいることだろう。そんな人たちに、上演開始20分で出たくなったこと、その後、かなりの我慢と忍耐でどうにか最後まで見続けたこと、しかも最後は最後で体の良い裏切りに腹を立てたこと、そう、僕の憤激の2時間半を伝えておかねばとも思うのだ。

 はっきり言って、大学のSF研究会が映画作ったって程度のものだ。手当たり次第に不満を上げ始めてみたが、止めた。きりがない。論評をまとめよう。まず、シナリオが悪い。導入が冗漫だし、どこまで行っても話しの骨格が見えてこない。どうやら子どもの誕生に関わる秘密だとわかるのは、ほぼ三分の二を過ぎたころじゃないか。

 1000年後の人々の暮らしぶりがよくわからない。定食屋みたいのがあったりするけど、人々はどうやって暮らしを立てているの?生産は?収入はどうやって得ているの?他の町と地下道でつながってる意味は?その他の地域はどうなっているのか
?絶滅したの?


 登場人物の人間性が掘り下げられていないのにもかなり苛立った。主人公の兄らしい?秘密警察のボス?が兄妹のエピソードがまったくないのに、なんと、妹を庇って死ぬ!ヲノガに秘密をぱらした大学の同級生が、秘密漏洩の事実を惚れた男にしゃべってしまう。これといって必然性もなく。弔い屋の女ボスもヲノガのために、体制を裏切るけど、その理由も母親が真実を求めて行方不明になったという幼き日聞かされた祖母の語りだけ。漫画やアニメだって、こうもご都合主義じゃないよ。

 でも、最後の謎解きは引き込まれた。脳だけが生き残って、・・・ってアイディアのことではない。そいつは、王様が、中年男や女や少女やオタク男になって現れるのを見てだいたい想像できた。まっ、よくあるパターンだし。死者を赤子に作り替えるというアイディアも、厳密に考えるとクローンになるはずで、別の人間に作り替える、しかも都合良く脳の記憶だけは引き継がれるってはちょっと、IPS細胞が実用化されようって時代のSFとしちゃあまりにアイディアの押しつけだが、その生命誕生装置を仕切ってきた王様がヲノガに装置を壊すなら壊せ、と迫るシーンは引き付けられた。装置を破壊すれば、生殖機能を失った社会は死滅するからだ。ヲノガの決断は?どうする、ヲノガ、どうする?
 
 ところが、ここでも体よくはぐらかされるんだ。もう、いい加減にしろよ。なんで、ラストが子を孕んだ母親と家族記念撮影なんだよ!どうして生殖機能が回復するんだよ?

 次に演出。まず撮影場所があまりにちゃち。現在の採石場だったり、石油化学プラント?だったり。ああいった建物がどうして1000年後にそのまま存在するわけ?で、なんに使われているわけ?プラントのキャットウォークって言うのかな?の上でのアクションってもうカビ生えてネズミだって見向きしないんじゃない?ヲノガを追う秘密警察?も陳腐!そのアクションも、生でやるならもっと工夫せにゃ。重要な役所の弔い屋の作り方も、笑いとるつもり?っ聞きたくなるような道具立てと衣装と演技だ。

 音響。同じシーンでもカットによって音響がまるで違っている。部屋の上手にいるはずの人物の声が下手から聞こえたり、カットが変わると音量が極端に減少したり、なんか素人っぽいよな。少なくとも完成試写会のできじゃない。音楽だってアコーディオンとちょこっとパイプオルガン?もっとびしばし音を使わなくちゃSFアクションなんだもの。とても貧弱な感じだった。カットのつなぎもぶちぶちって感じで気持ち逆撫でされた。

 そして、最後に決定的なこと。小野川が表現されていない!!!!ご当地映画なんだろ?なのに、なによ!小野川が出てくるのは温泉の地熱エネルギーとほとんど必然性のない入浴シーンと登場人物の名前にのみ!!せめて、生殖機能を失った人々が、温泉に浸かって脳内でセックスを楽しむとか、衰えた生命力を取り戻すとか、そのくらいのこと考えられるだろ。あんだけ応援してもらったんだもの、そのくらいのサービス精神は最低限じゃないのか!

 きり無いから、ここらでやめるけど、映画見ながら考えていたのは、これ見終わった後で、バックアップした人たちどう思うんだろう?ってことだ。よかったよぉぉぉ!素晴らしいできだぁぁ!って思えるなら、それはそれでいい。応援したもの否定するって難しいことだから。でも、これが出来たもの?おもしぇくねぇ!って疑問感じたら、たまらないよな。

 中でも中心になって旗振りした人たちの立場、これはかなり厳しいものがあるんじゃないか。シナリオを読んだ上で前面協力を決めたのか、シナリオも読まずに決断したのか?どちらにしても、すごく辛いだろうな。地域おこしで映画作りをと意気込んだその気負いと投入したエネルギーの膨大さは賞賛に値する。そのバックペイがこれでは。


 それにしても、映画人よ、奢るなよ!地域を馬鹿にするな!自分たちがやりたいことは、自分の金と体でやれ!ご当地映画で協力求めるなら、地域が諸手を挙げて拍手喝采できるものを作れ!

 って、怒り心頭で書きまくったけど、意外とみんな気に入ってたりして。だとしたら、それはそれで辛いことだ、僕にとっても、地域の文化性にとっても、ね。



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