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マーティン・スコセッシが28年かけて映画化・・遠藤周作の「沈黙」

2017年02月10日 | あなたの○○○な映画
マーティン・スコセッシの「沈黙」を観てきた。28年かけて制作したというだけあって監督の思い入れが伝わる映画だ。米国映画にありがちな東洋趣味的な場面は一切なく、江戸時代の貧しい村や家屋など日本土着の雰囲気がよく出ている。全編にわたり音楽もほとんどなく、オープニングもエンドロールも海の波の音、蝉の声、雨の音のみであった。
 マーティン・スコセッシ

舞台は江戸時代初期の頃の長崎。日本で布教中の宣教師フェレイラが拷問に屈し棄教した旨の手紙がポルトガルのイェズス会に届く。信じられない弟子のロドリゴとガルペが真実を探るため3年かけて日本に渡るのだが、十字架磔や逆さ穴吊りなどの想像を絶する拷問とこれに屈しないキリシタン達の信仰を知り、驚愕する。しかし、何度も踏絵を踏むキチジローに裏切られて奉行に捕まる。そして踏絵を踏むことを強要される。棄教したフェレイラが現われ、自分が何故踏絵を踏んだのか説得するのだが・・・。

宣教師ロドリゴとキチジロー
若い頃遠藤周作の小説「沈黙」を読んで以来心に引っ掛かっていたが、この映画を見て改めて自分ならどう行動するだろうかと考えてしまった。拷問に耐えるか、キチジローのように踏絵を踏むか。残念だが、自分はキチジロー側の人間であろうと思う。遠藤周作もそうであったかもしれない。だからこそ、小説最後の「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため・・・。」の言葉が心に沁みるのだ。

この物語はキリスト教がテーマになっているが、実は仏教でも神道でもいい。或いは妻でも家族でもいい。要は自分が信じ、愛しているもの、大事に思っているものを踏みつけろ、踏みつけないと処刑すると言われたら、我々はどういう行動をとるのだろう。勇気を持って立ち上がって行くのだろうか。如何に生きるか、誇り高く死ぬことができるのかについての問いかけだと思う。辛い小説である。

 宣教師ロドリゴとモキチ
マーティン・スコセッシは凄い監督である。NYのイタリア街に育ちたくさんの暴力を見て来た。映画も「ギャング・オブ・ニューヨーク」などそういう作品が多い。しかし遠藤周作のこの小説に心を動かされ、28年かけて制作したこの作品、映画人生の勲章として残るであろう。出演した俳優たちの演技もよかった。フェレイラ役のリーアム・ニーソン、殉教して行く塚本晋也、笈田ヨシ、キチジロー役の窪塚洋介、通辞役の浅野忠信など、素晴らしかった。

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