新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

「猫」を読む

2016年10月17日 | 日記

 毎朝、新聞で『猫』を読むのが日課になっている。夏目漱石『吾輩は猫である』が新聞に連載されている。「こころ」「三四郎」もこうして再読した。いや「こころ」は新聞ではじめて読み通した、というべきだろう。1回1回区切らなければ退屈でとても読めた小説ではなかった。「門」「それから」はもうついて行けなくなってやめてしまった。
 そして『猫』。単行本でむかし読んだ。新聞ですこしずつ読むのがまた楽しい。おっと、これは本来、新聞小説ではなかったな。明治の末ごろ、俳句雑誌の月刊『ホトトギス』に載ったものだ。ということは1回分の長さ、区切りが新聞小説のそれとは違うはずだ。読んでいて第8回までが一区切りだったことが分かった。第9回だったか、吾輩がいささか有名になったと書いてあった。猫の絵を描いた年賀状がたくさん届いたとも・・。読者の反応を作品のなかに取り入れる手法は、セルバンテスの「ドンキホーテ」を彷彿させる。
 漱石を専門に研究した人によれば、『猫』は漱石の処女作で、イギリス留学から帰国してこれを書き始めたころ、精神の病は最悪の状態だった。そんな状態でかくも融通無碍な作品を世に出せる漱石の筆力には驚嘆する。猫の視点で人間界を描写する手法が奇抜なら、苦沙弥先生のもとに迷亭君、寒月君らが集まって交わす会話はなんとも珍妙で、読者の心をくすぐりつづける。高等遊民、太平の逸民ということばが頭をよぎる。私が憧れる人種であり、『猫』はこのブログがめざすところでもある。
 銭湯のなかの風景が猫の目から描かれていた。おもしろいが、やはり迷亭先生の珍説をうかがうほうが気分を楽しませる。そろそろ終盤を迎えたようだ。語彙やエピソードの豊富に入った本は漱石をおいてほかの作家には書けないだろう。終わってしまうのは惜しい。たしか密壺にはまり込んで、「ねこじゃねこじゃ」を踊りながら窒息死するんだったかな。




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