新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

懺悔録

2017年05月14日 | 日記

 1600年前後のキリシタン宣教師たちが書いた日本語文書はだいたい知っているつもりだったが、ひとつ穴があった。コリャードというスペインから来た宣教師が書いた「懺悔録」だ。上野和子氏が岩波文庫3冊を推薦したなかの1冊だった。
 宣教師たちの活動により、キリスト教に転ずるものが増え、また幕府の禁令により、おおくの隠れキリシタンが出てきたころの話だ。近所づきあいの手前、神社仏閣への義理を欠かせないし、キリシタンとしての義務も果たさなければならない信者たちの苦悩を読みとることができる。信者たちは年に一回、自らの行いを振り返り、神に告解することを義務づけられていた。その告解を記録し、宣教師たちの日本語学習に資することをねらったのが本書だ。告解の一例を挙げてみる。

 例1 ミサに行くとオスティアという小麦粉でできた餅とワインを神父さんが持ち出してくる。そして神父さんがそれらにことばをかけると、オスティアがキリストの体に、ワインがキリストの血になるというのだ。ほんとかなあ、と疑った。
 例2 祝日には働いてはいけないといわれるが、忙しい仕事があり、自分も働き、使用人をも働かせた。いちどは2時間ほどだったが、別の日には1日中働かせた。働かなければ大損をするところだったから、後悔していない。

 六番の御掟「邪淫を犯すべからず」には、ここに書くことをはばかる下世話な事柄がゴマンと書かれている。石川啄木「ローマ字日記」、ジャン・ジャック・ルソー「告白」、「ピープス氏の秘められた日記」などを彷彿させる内容だ。夜這いされる女性の側からの告白が入っている点がコリャード「懺悔録」の特異な点だろう。
 
 コリャード「懺悔録」は、日本語をローマ字で書いてある。私が読んだのは、それを日本字に翻字した岩波文庫版だ。1620年ごろの日本語のようすが知れる。「そのほか、我は大悪人でござるによって、定めて見知らぬ、身に覚えぬとが多うござろうずれども、覚えた分は申しあらわいたまででござる」という調子だ。ポルトガルの宣教師たちが著した天草版「平家物語」「伊曽保物語」はもっと関西弁臭さが出ているが、コリャードは熊本あたりで信者たちの告解を採取したようで、関西弁があまり感じられない。


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