新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ボブ・ディランとジョーン・バエズの時代

2016年10月14日 | 日記

 ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与された。これは意表をついた。
 私が英語で憶えて歌うようになった歌は数えるほどしかない。そのなかの1曲が「Blowin’ in the Wind」だった。ほかに「Where Have Flowers Gone?」「Dona Dona」「We Shall Overcome」などを思い出す。
「Blowin’ in the Wind」の曲のなかでは次の一節が強烈なインパクトを伴っていた。
   Yes, and how many times must the cannon balls fly
   Before they're forever banned?
   どれくらいの砲弾が飛び交えば
   永久に禁止されるのか
 あきらかに反戦歌だった。アメリカはベトナム戦争の泥沼へとつき進んでいた。1960年代、世界情勢について、アメリカの状況について深い知識があったわけではない。何げなく時代の雰囲気を感じられたのはこれらの歌をみずから口ずさんでいるときだった。すくなくとも聞くための歌ではなかった。
 1980年代になり、60年代の状況が客観的に振りかえれるようになった。ベトナム戦争が終わって10年あまりが経過していた。私にとっては「プラトーン」という映画作品を観たり、小説「イン・カントリー」を読むことがアメリカ60年代をふりかえる契機になった。ウッドストック、ボストンコモン、アビーホフマンなどの固有名詞をたよりにこの時代を解きほぐしていった。
 ボブ・ディランについては70年代以降の活躍状況を知らない。84年だったかアフリカの難民救済のため、マイケル・ジャクソンらの呼びかけに応じたアメリカのアーティストらが一堂に会し、チャリティーソング「We Are the World」を収録した。そのときボブ・ディランが健在ぶりを見せていた。収録のようすを記録したプロモーション・ビデオでナレーション役をしていたジェーン・フォンダが、ボブ・ディランを「プロテストソングの神様」と紹介していた。
 そうそう、日本にはこんな歌もあった。

 きみとよくこの店に来たものさ
 わけもなくお茶を飲み話したよ
 学生でにぎやかなこの店の
 片隅で聴いていたボブ・ディラン

 これからは、70年代以降のボブ・ディランの活動を調べてみよう。




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