新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

カウボーイの生態

2017年05月03日 | 日記

 隣の集落にすむアメリカ人女性はコロラド州の出身で、はじめてお会いしたときにカウボーイが使うロープを見せてくれた。コロラドを象徴するものとしてカウボーイのロープを持参したようだったが、こちらにカウボーイについてのくわしい知識がなかったために、あまり強い印象が残らなかった。いまなら根掘り葉掘り質問するところだ。
 1860年代のアメリカ、コロラド。コロラドが州として存在するわけではない。アメリカ中西部はまだ曖昧模糊としていた。アメリカ政府が治めているはずだが、その支配下に入りたがらない先住民族が多くいた。ヨーロッパからの移民たちはそれなりの事情を抱えて西部へやって来ている。フランス、イギリス、スペインなどの母国の富豪たちを相手に交易している人たちが多い。近くにはアメリカ中央政府と強い結びつきをもつ町セント・ルイスがあった。
 南北戦争がアメリカ東部諸州の全体を疲弊させ、奴隷制が廃止されたために南部諸州でそれまでどおりに奴隷を利用したプランテーション経営ができなくなった人たちが新天地を求めて移り住んでくる。土地がほしいのはやまやまだが、近くに水源があり容易に耕せる土地がそれほど豊富にはない。牛を放牧するためにも同じく水と牧草がいる。水源と緑の豊かな土地は需要が高かった。

 南のニューメキシコ州から何千頭もの牛と馬を買い入れて、隊列を組み、北のコロラドまで連れてくるカウボーイたちがいた。このころのカウボーイとはこのような人たちだった。自らは牛でなく馬にまたがる。牛より先に馬を乗りこなせることがカウボーイには必須だった。十数人のカウボーイが互いに連携し、大きな牛の群れを北へと導く。柔らかい牧草がある場所を見つけてはしばらく放牧し、川があれば水を飲ませる。しかし北へ向かう旅の何日もの間、そのような場所が見つからない場合、牛たちは空腹と渇きに耐えながら歩きつづける。苦しさ、つらさに耐えかねて逃げ出そうとする牛が出る。1頭でもそのような牛が出ると、その後に続く牛を止められなくなる。何千頭もの牛のなかでもリーダー格の牛が頭角を現すことがある。そのリーダー牛をうまく制御できるかどうかがカウボーイの腕の見せどころだ。牛にも「人格」がある。1頭ごとの牛の「人格」を見分ける必要がある。牛と人間との微妙なせめぎ合いが生じる。
 感覚のするどい牛は水の在処を本能的、直感的に探知する。そしてそこへ向かっていきなり走り出す。ところがその水が濃度が高い塩水であることがめずらしくない。渇きに耐えかねている牛たちが見境なくその水を飲んでしまうと死につながる。カウボーイたちはなんとかそれを食い止めなければならない。
 旅の途中で雌牛が子どもを産み落とすことがある。カウボーイたちにとって仔牛を連れ歩く余裕はない。殺処分する以外に方法があるだろうか。
 ジェームズ・ミッチェナー「センテニアル」による私の旅は果てしなくつづく。



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